ぼくは、日記帳を開いて、書き進めてみた所、ぼく自身が、ふざけた態度で仕事というか、編集に臨んでいたことが判明して、自殺したくなりました。
いつかバレるので早めに明かしますが、本当は「消費文化に対抗する日本らしいラノベとは何か?」という記事を書こうと思っていたのです。
ぼくのビブルカードも燃えていますからね。
オシムのように、自信を持って、日本らしいラノベを考え出せば、いずれ、世界中でトレンドに浮上するに違いないと踏んだのでした。
世の中は、リドリー・スコットさんの映画で、話題が沸騰していますけれど、そんなこと、別に構うことはないと思って、軽率な態度でコラムを用意すれば、ぼくの読者は納得してくれるはずだと考えました。
ところが、ところが、です。
ラノベを日本文学のコンテキストに沿って、およそ、段取りを付けてみようと考えて、略年譜でも作成すればいいんじゃないの?と舐めて、筆記したのがよくなかった。
だいたい、ラノベは、ほとんどゲームだから、ITといえば終わっちゃうけれど、ポストSFという感じじゃないかねと思って、有名作家を列挙していきました。その最後尾に、ソードアートオンライン(SAO)の川原礫さんを一行だけ書き足せばいいだけじゃんと、既にイヤな予感が漂っていました。
じゃあ、SFといえば、「パラサイト・イブ」の原作者というのは、瀬名秀明さんだけれど、父が「大空のドロテ」を図書館で予約して、ハマったのを思い出しました。
そうか、そうか、と頷きながら、書き進めて、冲方丁さんもいたな、乙一さんや西尾維新さんもいたよと思ったのです。
しかし、ちょっと待てよ、と死神の声が聞こえました。
推理小説というのは、ボリュームが大きいじゃんかと書き進めていったのです。東野圭吾さんから松本清張さんまで、そうだ、連塾にメモがあったぞと、山崎豊子、高村薫と一行だけ付記があったよと、そうか、おれは男臭いのか。
でもさ、おれは、むしろ知識人でもあるんじゃない?と考え抜いていきました。
まぁ、山本七平とか、坂口安吾とかを雑食して、小林秀雄の「本居宣長」の下巻を入手して、焼き肉のように箸でついばんでいれば、十分じゃんかと思ったものでした。
じゃあ、松岡正剛さんは、どのように編集していったか、念の為に確認作業しとかねぇとなっていう感じで、日記帳を次のページに開いて、折り目を作っていきました。
「日本文化の核心」の序章には、日本文化はハイコンテキストだから、大体、アレとか、コレとか、一から十まで一気阿世に列挙されていって、全部、読む必要があると締め括っていました。
しかも、「このままでは日本はダメになるかもしれない」と意味深に呟く、不気味な一節もありました。
しめたぞ!嘘を突こうかな、邪心がこころに踊ったとき、本能的に呼吸困難になり、
――ぼくは、小説を読むのが苦手で、こんな乱筆の嵐では、何を書いているのかさえ、わからないよ――
大御所の方々に対する気持ちが抑えきれず、自分を恥じました。あぁ、バレたよと。ぼくは仕事を怠っていたのが、到頭、白昼の下に晒されるんだよと。
松岡さん、あなたも、40代から網野を読み始めましたね、そうでしたか、たった今、ぼくの母屋は微弱な揺れで、地震が起きています。
そうか、そうだったのか、バレました。読んでないのがバレました。デュシャンが偽者なのも、バレました。芸術係数なんて、嘘っぱちなのもバレました。