『与太話』字面だけ見てもなんだか間の抜けた言葉ですが、 意味的にも出鱈目な話、ほどのものらしいです。ヨタヨタと歩くように書き出したら転んでしまったような雰囲気ですね。(でっち上げなので悪しからず)
さて、恐ろしい話だなと思うのは、昔ならば与太話で済んだような、時として笑いさえ起こりかねないような話が、今はなぜか真実の顔をしていることです。もちろん逆もあるわけですし、悪意を持った人が真実に似せる場合もあり(これを虚偽とか欺瞞と言うのでしょうが)なんとも言えませんが、あまりに融通が利かないような気もします。
新事実発見的なものはなんであれ面白いですし、のんびりしながら流し見するのにはうってつけですけれども、その程度で済ませておくのも一つでしょう。それが嘘か真実かは置いておくことにして。
偉い学者さんが仰ったことだから、テレビで放送されていたから、ネットで見つけたから、SNSにあったから・・・だからなんですかということです。本に書かれたものも嘘をつきます。小説なんて、ノンフィクションを謳っているのでない限り虚構が前提です(笑)
要は、自分が実際に目で見たもの、感じたもの、それ以上に確かなものなんて早々存在しないわけです。ブルーライトを放つ画面とにらめっこしていたところで、水が本当に蒸発するかどうかなんて分かりません。実際に会わなければ(特にこの小さな島国においては)黄色人種以外の人が本当に存在するかなんて分かりません。極端な話になってしまいましたが、自分の感覚、つまりは「現実」における視覚情報など(マスクが不織布であることなどはその箱とか袋を見ればすぐわかることですから)をおざなりにしすぎているような気がしてならないわけです。
馬鹿な話やでっち上げのデタラメは面白いです。衝撃的な音楽とともに齎されたり、そうでなくとも刺激的または過激な情報は面白いから拡散する。それを与太話として笑っていられるのが幸せでしょう。