どーもっし! 雨愁軒経です。
『ムカサリ』シリーズ堂々完結!!
ということで、今回は第三部の後書きめいた回でございますー。
……おっと忘れるところでした。エンドロールがまだですね。
KIMS。こちらからどうぞ(URLの頭を削っています。いずれも公式チャンネルです)
第三部メインテーマイメージ
松井亮太『存在証明』
ttps://youtu.be/qmCbjC7aGVo?si=VCrfHoVIZLJ88A49
グランドフィナーレイメージ
さだまさし『あなたへ』
ttps://youtu.be/o-obAqMMeVo?si=1dfalCf1e332JqRQ
さて。
私が忠臣蔵について触れるきっかけになったのは、『Chushingura46+1』というある美少女ゲームでした。
ええそうです、業界十八番の美少女化のゲームです。新八可愛い。本当に可愛い(白目)。
一応はそれまでにも、大石内蔵助が『昼行燈』の代名詞だとか、幕府に仇討ちをしたんだとかいう程度の知識はなんとなくあったのですが、その詳しいところはよく知らず。
それが、ゲームを通して一気に深まりました。
というのもこのゲーム、タイムリープものでして。大石ら山科サイド、安兵衛ら江戸サイドに加えて、戦いを迷う(反対される)サイド、さらには吉良側からの視点も描いているんです。
吉良側の視点……そうです、赤穂浪士を悪とする見方です。
なるほどなあ!と膝を打ちました。
(余談ですが、個人的にはそれでも忠臣蔵は好きです。堀部安兵衛の故郷である新発田まで片道二時間車走らせて、タレカツ丼ともつラーメン食べてくるくらいにはwww)
物事の見方、語り方。すごく大事ですよね。
たとえば昔から、グロテスクなゲームや漫画の影響がどうのと物議を醸しています。そしてその度に散見されるのが「コンテンツに善悪はない。それを受けてどうするのかは別の話」という意見。
最近見たニュースでもそうでした。今の子供は『論破』が好きだそうですね。
親から何かを注意されても「それってあなたの感想ですよね?」とか言ったりするそうですよwwww
このニュースのコメント欄でも「ひろゆきを見るのは自由だけど、親がちゃんと教えないと」という意見が多くありました。
難しいなあ。論破。かっこよく見えますもんね。
けれどあれは、前後の話の流れがあるからこそパンチとして成立するのであって。
個人的に思うのは、この熟語は『相手の「論」を「破」る』だけではなく、それ以前に『自分の「論」を以て「破」る』が大切なように思うんです。
借り受けた一部分を連発するだけなら、ネットミームの引用に過ぎません。口喧嘩でいう「うっせバーカ!」と同じなんですよね。議論の放棄をすれば口喧嘩に負けることはないけれど、何も解決はしないのに。
相手の意見を否定するだけなら誰だってできるんですよ。逆張りすりゃいいだけですから。
そこを踏まえずして『論破』というのも、まあまあ片腹痛いわけですが。
相手は子供だしなあ。難しいよなあ。
かくいう私ですが、論――小論文が大嫌いです。
忘れもしません。中学の授業で行った、外部へ採点を委託するタイプの小論文。
ある時に出された題材が「いじめをなくすためには」でした。
私の書いた答えは「大人をどうにかしろ」です。
主に親ですね。大人は大人で色々あるんでしょうけど、家に帰って口を開けば、他人の愚痴不平不満恨み妬み嫉み……それを子供は聞かされるわけです。何か親の気に入らないことをしてしまおうものなら、日頃の鬱憤を晴らすようにバチクソ怒鳴りつけられるわけです。
自分の家に安らぎを失った子供はどうすりゃいいんですか。
答えは一つです。学校というコミュニティで同じことをするんです。親と同じように。自分より弱いものを見つけて、下に置くことで心を守ろうとする。
そうして行き場を失った『いじめられっ子』は助けを求めてサインを出しますが、大人たちは知らんぷりです。我が校にいじめはなかった。よく聞く言葉ですねえ。
そうなると、逃げ場のないいじめられっ子たちはどうするか。自ら命を絶つしかないわけです。
大人の背中を見て、子供たちは育つんです。
ニート問題や少子化問題だってそうですよ。ずっと大人たちから「社会は大変だ」「働くのは苦しいんだ」「そんな中でもお前を育ててやってるんだ」と言い続けられて、「ああ大人たちはなんて立派なんだ!僕もそんな風になりたい!」なんて言うアホはいるでしょうか。
働きたくなくなるわけですよ。子供なんていらないわけですよ。
けれどそうすると今度は、世の中という『大人』から爪弾きにされます。
そうしてまた逃げ場がなくなり、人知れず……それが今の社会です。クソ喰らえ。
そんな旨のことを書き殴った小論文の採点は「B-」でした。
はじめ用紙を返されたときは、誰か別の人と取り違えていないかと目を疑いました。後にも先にもA未満の評価を採ったことはありません。
選評者の寸評も衝撃でした。
曰く。「子供らしい意見ではありません。困っている人へ手を差し伸べるなど、もっと身近に出来ることはありませんか?」とのこと。
…………はあ?wwww
お前は俺の書いたものの何を読んでいたんだと。それ以前の問題と言ってんだよと。
仕方がないので雨愁少年は、以降、「大人はこう答えてほしいんだろうなあ」という書き方しかしなくなりました。そうして小論文の評価「A+」を取り続けましたとさ。
ははっ、めでてえめでてえ。
この経験が、第三部における「はぐれ者」の着想でした。
みんな悩んでいるはずなのにね。どうして人に優しくできないんでしょうね。
別に褒めそやしたり、何でもかんでも笑顔で応えてくれというわけじゃない。わざわざ避けたり貶したりする必要はないだろうという、単純な話なのに。
百鬼夜行は、いつどこで始まってもおかしくはない。
それが一番、悲しいなと思います。
最後にはなりますが、『ムカサリ』に触れて下さり、本当にありがとうございました。
この斜に構えた面倒くさいテーマを、よくぞwwwww
個人的にも、一つの完成形として誇らしく思います。
山形にまつわる要素だけでここまでパズル組めんだぞと。やれんだぞとww
ほんと、うちの地元は良いところなんすよ。
山形のことがより好きになりました。
以前話した通り、当面……いやおそらく今後ずっと、山形を舞台にした話は封印することになるでしょう。
けれど、がたっ子としての誇りだけは、失うことなく突き進んでいきたいと思います。
これからも精進します。何卒、よろしくお願いいたします。
ではではーノシ