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「行き暮れて 木の下蔭を宿とせば」の感想をお願いします。

小鹿さんの自主企画に参加させていただくための近況ノートです。

〇一番好きな登場人物と台詞
 これは登場人物も台詞も多くない小説ですので、主人公の平忠度と、最後の「桜を愛した男の上に降り積もった。」という一文にさせていただきます。

〇具体的な想定読者
 まず、平家物語を読んだことがある方。その中で平清盛、後白河法皇、源義経など、誰かひとりでも好きな登場人物がいるという方になろうかと思います。
わたしの中学校の同級生に、山岡荘八の「徳川家康」を読んでる女の子がいました。そんな人に読んでもらえたら嬉しいです。

ちょっと対象が狭いのは自覚していますが、よろしくお願いします。

1件のコメント

  • 私、恥ずかしながら『平家物語』を読んだことはありませんが、
    大河ドラマ『平清盛』が好きだったこともあり、能曲で一番好きなのは『清経』です
    そんなわけで、当作の想定読者を知ったとき、私も引っかかっているぞと期待が高まりました

    当作、杉浦さんの忠度愛がひしひしと伝わってきまして、
    読んでいてとても心地の良いものでした
    葉桜とのやりとり、好きです
    寝たふりの唇をつつくとか……案外、癖の悪い口とか、それすらも愛しい忠度とか、微笑ましいですなぁ……

    最後の一文も、良いですね
    見たいものを目が見せる、認識と現実の差は悲しいものともとれるはずが、とても美しく描かれていました

    これらの文章、杉浦さんの描くイメージがよく伝わってきてはいるのですが、
    しかし、気になる点もいくつかあります

    「雪片は、まだ早い春を待ち侘びる桜のように忠度のうえに降った」

    まず、文頭に初出情報である「雪片」とあり、
    いつ雪が来た? となります

    そして、春が「まだ早い」との意味が判然としません
    待ち侘びるには、まだ気が早いのでしょうか?

    桜が春を待ち侘びていると解釈できますが、
    舞い落ちる雪片を桜の花弁と見立てるのは、
    春盛りに散る花弁が、春を待ち侘びているように想像されるために、不自然です
    言わんとすることは十分に伝わっているんですけどね!

    文章構成としても、主語と述語が、長い修飾語を挟んでいるために、一読しての理解のしやすさに優れているとはいえません

    「忠度のうえに降った」と、「男の上に降り積もった」との間にある「ひらひらと。」ですが、
    降る雪が一片のみとも読めます
    継続性/時間経過の描写として弱いために、
    「ひらひらと。」を挟んだ描写を、重複として受け取ってしまいました



     ひらひらと、白い花びらが舞う。
    「桜が……」
     忠度の最期の言葉になった。

     ひらひらと。

     桜を愛した男の上に、雪片が降りて積もった。



    継続性の表現を「て」に丸投げしていますが、
    あくまで改訂例ですので、お許しください

    あと、桜を愛した男なれば、なおなのですが、

    「だが、残念だ。花どころか、葉も散っているのだな」

    旧暦2月、枝だけの桜を見上げたならば、
    葉が散った=過ぎた秋よりも、まだ見えない=来たる春を思い浮かべるのではないかと感じました

    表現に関しては以上、
    次いで、構成に関してです
    お付き合いください

    気になるのは、短編であるというのに、場面転換がとても多い点
    各エピソードがそれほど有機的につながっているわけではないため、読者としては、脳内設定の切り替えに忙しい印象を受けました

    この慌ただしさは、「お話を進めなくては」との作者都合を透かして見せてしまいます
    また、新規情報を素早く継いでいくために、地の文が説明文に偏りがちです

    能はほとんど説明文&説明台詞じゃないかという反論はさておき 笑、
    小説において幽玄を求めるとなると、説明文は少ないに越したことはありません

    物語の駆け足感を緩和させるには、心理描写/風景描写を書き足すこと(各エピソード量を増やし、オムニバスとすること)もひとつの手ですが、

    私としては、それよりも、
    「葉桜との交わり〜俊成への依頼〜一ノ谷」
    とエピソードを絞った方が、お話の雰囲気にあうだろうと感じております

    想定読者は既に、史実の経緯、物語の流れを情報/知識として有しています
    これらは小説に直すと説明文になってしまいますし、彼らにとって、前提の説明はさほど必要ありません

    杉浦さんにしか伝えられない独自性とは、
    当作品における忠度の心境や決意、葉桜との交流などですから、
    これにこそ文量を割いてほしいと思いました

    作中における歴史的経緯や人物のキャラクター性は、読者の知識に寄りかかる形を取り、
    一切の説明文を書かないことで、相対的に心理描写/風景描写の割合を増させる

    そんな、情緒に振り切った作風にすると良いかと思ったわけです
    振り切るためにも、想定読者を狭くとることは有用です

    話はそれますが、
    私、アルバイト先にてお店のSNS記事を書く役を担っております
    店長からは、誰か具体的なお客さんひとりを思い浮かべて、その人が来たくなるような宣伝文句を書けと言われました
    誰かひとりに響く広告は、似通った嗜好の人たちにも響くものですから、
    漫然と広く間口を取った広告よりも、結果として多くの集客をもたらすのだそうです

    さて、題材と試みが良かった当作だけに、
    それを活かすための構成と文章表現について、長々と書いてしまいました

    忠度の命日である旧暦2月7日は、現行暦に直すと奇しくも3月20日
    一昨日のことだそうです
    まさに、季節にふさわしいお話でした
    ありがとうございます
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