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少し休みます

「終末百合」なんですが、どう考えても企画締切の3日後には間に合わないw
どうせ間に合わないなら突貫工事する必要も減るので、それならもう少しプロットを作った方が良い気がしました。

リアル事情では「模倣犯」などという全5冊2500ページ本を図書館で借りてしまったので、急いで読まないと返却に間に合わないというのもあります
(あと、トマス・ディッシュというSF作家の「歌の翼に」も借りてます。ディッシュは面白い作品と難解すぎて意味不明な作品とがハッキリわかれているので、読んでみてイケそうなら読む感じです)……。

創作に関係あるようでないようで、ある話ですが、
宮部みゆきさんの「理由」を今読んでいます。

僕は特に宮部みゆきさんのファンではなかったのですが、この「理由」はこないだ少し某所で書かせていただいた『視点』が非常に独特で、面白いですね。
小説というよりは実際の事件のドキュメンタリーのようで、(僕が好きな作風では正直ないんですが。だって生々しいしw)、こういうリアリティの出し方が出来る作家は、テクニックがあるよなぁ、と感服した次第です。
いやまぁ、天下の宮部みゆき先生の20年前の作品に向かって、今更感服も何もあったもんじゃないんですがw
その流れで「模倣犯」も借りてしまいました。
あんまり精神に良くなさそうな作品なのがちょっと心配だけど、まぁなんとかなるでしょ、多分。
幸いなことに「終末百合」とは全く被らないはずのチョイスですので、影響を受ける心配はなさそうです。
小説を書いている最中に他者の作品を読む一番の弊害は、影響を受けていつの間にかパクってしまったり、「同じようなテーマだけど、こっちの方が巧い……俺、書く意味ないじゃん……orz」となってしまうことなのですが、その点は心配なさそう。


で、そんなことをしている間に、1日30分か1時間は時間を取って、プロットを練れればいいなと思っています。
それで書かなくてお蔵入りしてしまったら……まぁ、その可能性もないわけじゃないですけど、多分だいじょぶでしょ!
とか言っておいて、いきなりすらすらとプロットができれば、もちろんすぐ書きますw その辺は気まぐれです。


カクヨム内の小説も、僕、既に20作くらいフォローして(あらすじと、1話の文章をサラっと読んで、そのうち読もうと思ってフォローしたけどまだちゃんと読んでない)るんですよね。
いやぁ、なかなか大変です。




3件のコメント

  • こんにちは。

    何やら某健ちゃん信者と大揉めになっているようで。
    双方のやり取りを拝見させて頂きましたが、読者に喧嘩売るようではどうかと思いますね。
    多くの作者は例え誹謗中傷されても、やり返さず耐えています。
    それがある種のルールのようになっているのですが。
    そして、そのやり取りを見た読者がどう思うか、意見を言うとボロクソに仕返しされる、などと思えばその作品に物申す事も出来ません。

    そもそも、客観的な意見とは自分ではない他者の意見なのですから、そこにいちいち異議申し立てして、その解釈は間違っていると指摘する事自体がおかしいと、気付けない時点で終わってます。

    そう読めた、それが客観であり、読解力云々で見下すのも違いますね。
    百人居て百人が同じように解釈する、そんな事はそもそもあり得ませんし。
    解釈の仕方なんて自由であり、お前の読み方は間違っている、などと噛み付くなんてのは言語道断です。
    噛み付くなら批評や感想など貰わず、ノートの端っこにでも書いて大事にしまておけばいいのに、と思います。ついでに読み方のマニュアルでも付けとけ、と思いますよ。これはこう読んでこう理解するのが正解なのだと。それ以外は全部不正解だから、読み直してマニュアルに従った理解が出来たら意見しろと。笑い話にもなりませんが。

    そしてそれほどに作品に自信があるならば、カクヨムで投稿せず新潮社や岩波書店にでも原稿持ち込めばいいのに、と思います。
    優秀な作品ならば採用して貰えるでしょう。
    読者と言い争いなんてしても自己の利益にはなりませんし、むしろあれではマイナスにしかなりません。
    頭でっかちで社会常識の欠如した子ども、とも言えます。

    申し訳ありません。
    こんな事、ここに書くべきではありませんでしたが、何だか巻き込んでしまったみたいで申し訳なくて。

    お休みされるのですか?

    あまり焦って自身で納得のいかない作品を出しても、おそらく即座に引っ込めたくなるであろう事は私もよくあるので、じっくり時間を掛けて創作して頂ければ、その分読み応えになって返って来ると期待します。

    それにしても沢山の本を借りているのですね。
    私は自主企画があって二進も三進も行きません。
    表現力を高め語彙も増やしたいのですができません。
    情けない程に言葉が出て来ないので、いざ書く時に難儀しています。

    「ラストブルー」はやはり、しっかりプロット切ってあったんですね。
    読み易さだけでなく、情景描写も心情描写も巧みだったので、あのレベルがただの思い付きで書かれていたら、私は筆を折るしかありませんでした。

    長編ノープロットの私は多少の矛盾は、いえ、相当な矛盾でも目を瞑り無かった事にしてます(;^ω^)
    それゆえに読者に呆れられるのだろうと。
    時々、小説内で「そこに触れないでください」などと逃げを打ったりしてますし。
    呆れた作者ですが、それでも読んでくれる読者が居るのはありがたい事です。
    読者に喧嘩売るなんて感謝こそすれ、そんな馬鹿な真似絶対にできません。
    どんな読まれ方をしようと、そう感じた事がその読者にとっての事実ですから。

    またお邪魔します。
    それでは長々と失礼いたしました。
  • ゆうさん、コメントありがとうございます&お疲れさまです。
    こちらもやけに長くなりました。重複も多く、クド委と思うので適当に斜め読みしてくださいw

    >>小説のこと

    僕の場合、自信がなくなると、もう書けなくなっちゃうんですw
    割と登場人物になりきって書いちゃうタイプなので、たとえばバトルシーンを2時間書いたら、もう脳内で2時間バトルしてますw
    で、ヘトヘトに疲れて読んでみると、5分で読める分量だったりして、「随分あっさりなバトルシーンだねw」とか言われて。バッキャロー、こっちは2時間も敵と戦ってたんだぞ! みたいな……万事がこの調子なので疲れるし、あまり自分とタイプが違いすぎるキャラが書けなかったり、
    「この世界観、おかしくないか?」と悩みだすともうダメです。

    以前、身体の小さな妖精さんとヒロインの友情モノを書いたんですが、『身体が小さいということは、声を出す声帯も小さいわけだから、妖精さんは毎回耳元で怒鳴らないといけないのでは?』とか、『身体が小さい妖精さんがヒロインを見上げたら、めちゃくちゃ大女だよな。足音とかも凄いだろうな』とか色々雑念が湧くと、もう書けなくなっちゃう。

    どうしても書きたかったので最終的にはその辺は無視して、書きましたけど、随分葛藤しました。そういうところに気を取られて、「俺が書いてる小説、嘘くせー」とか考えちゃうともうダメです……。

    そんなわけで、見切り発車もハッタリもできないし、作品執筆は超スローペースです。多分、ゆうさんが僕を忘れかけた頃に、「ようやく短編1作あげてきたのかよw」みたいなペースです。しかもそれだけ考えたって、書いている最中に矛盾に気づいたりするし……。

    今月カクヨムに登録したので、今は最初のブーストがかかっていますが、早くもエネルギー切れを感じたので、マイペースに行こうと思いましてw 基本、読み専みたいなポジションで(苦笑)
    だから、矛盾に目を瞑れるというのは、それはそれで良い事だと思います。それぐらいタフになって、どんどん書いていった方が絶対上達も早いですし。僕なんて口先ばかりで、自分は全然書きゃしない(以下略)
    なので、僕は作品を完結できた「作者」というのはもうそれだけで「尊敬」してしまいますし、僕は自分にも甘いので、自分が書いた時も「俺、凄いだろw」みたいな気分です(苦笑)それだけに傷つきやすい。

    まぁ、読者からしたら知ったこっちゃない、ネットの海の中の一小説(しかも寡作)に過ぎないんですが、そこはね。

    「俺は凄いモノを書いたゾ」幻想に浸りたいし、浸らせてほしいし、僕は浸りたいから書いています。「自分が受け止めきれない(ここ重要)批判意見」はムカつくだけで、自分を向上させる糧にはできない。

    それは、批評者が悪いのかもしれないし、器の小さな僕が悪いといえば、それはそうでもあるんです。精進が足りない。ただ、現実的にはそうなんですね。
    批評者が折角良かれと思ってアドバイスしたって、受け止めきれなければどうしょうもない。精神衛生上、お互いが疲労するだけで意味がないんですよね。


    >>大江ファンさんのこと

    そこで大江ファンさん(以下「ファンさん」)に繋がっちゃうんですが、立ち位置的には僕、ゆうさんよりもファンさんに近いはずなんです。
    ゆうさんほど僕はタフじゃなくて、ファンさんも多分そうだと思います。
    だから心情的には、ファンさん擁護のつもりで最初のコメントを書いたんです(苦笑)。ゆうさんキッツいなー、もう少し優しめの感想書いてあげないと、でも客観視したいならお世辞は書けないしなーって。

    勘違いだったらファンさんに申し訳ないけれども、自分に置き換えたら、多分すごく傷ついたんだろうな、とは思いました。
    彼の言葉の過激な部分や色々なモノは、まぁ売り言葉に買い言葉な部分もありますので、割り引いて考えないとまずいとは思いますが、
    僕の中で幾つか「NGワード」はあって、そのうえで邪推かもしれないけれど、浮き彫りになった部分もあります。


    僕の中でのNGワードはゆうさんの企画のコメント欄に彼が最初に書いていた、「自分を客観視したくて」でした。
    客観視。メンタルの弱い人間にとって、これほど恐ろしい言葉はありません。
    『客観視』なんてしたら、たいていの人間は「凹む」ことだらけじゃないですか。

    身体的なコンプレックスに例えるのが一番早いんですが、たとえば『出っ歯でブサ』な方がいるとして(これを読んで傷ついた方がいたら本当に申し訳ありません!)、僕は『あなた、出っ歯でブサですね』なんて絶対言わないし、ネットでも書きません。世の中には「ブサかわ」という単語だってあるし、ブス専の方だって絶対いるし、一概に整形しろとは言わない。むしろ本来のその人の良さが消えちゃうかもしれない。
    人の好みは千差万別ですし、「褒められたい」というのは人間として当たり前の感情だと思います。もっと言えば、1000年ぐらい経って美醜の感覚が変わっていたら、その時代では美人だと評価されるかもしれない。
    だから僕は、「あなたはあなたのままでいて」と思うし、むしろそんな事を気にせず、気づかず、「私は美人だ」ぐらいに思って堂々と明るく笑っていた方が、魅力的に見えたりもする。

    でも、『自分を客観視したい』って言われたら……そりゃ、言うしかないじゃないですか。『ガチな批評をお願いします!』とか言われたら……。
    それはもう、どんな事を言われたって怒っちゃダメですし、怒らない自信がないなら最初から僕みたいに「つまらなかったらブラバして下さい」とか予防線張っておけばいいんです(←これはこれで小心でズルいですけど)。

    『客観視したい』なら、やはりデータ数が欲しいですし、100人の主観を寄せ集めて、『日本人男性には好かれづらいけど、外国人男性にはモテる』とか、『ピアスをつけた時の方が評判が良いようだ』とか、色々データを集めた上で傾向を読み取るのが『客観視』の近道だと思います。
    まぁ、そんなことをすると大いに凹むし、大抵は「他人から言われなくてもわかってるよ」な傷を抉られるだけなので、僕はそんなことは求めませんが(苦笑)。

    彼の本音は「客観視して、自己を高めたい」ではなく、僕のような「チヤホヤされたい」という軟弱なモノだった。
    それを隠して、「客観視したい」なんて言うから、僕みたいな人にイヤ~な批評をされちゃうんですよ……(と言っても、僕、最初のはかなり手加減したつもりだったんですけど)。じゃあ最初から客観視なんて言わないでくれ、と。
    それならいつも通り「気に入ったら最後まで読んで褒める。気に入らなかったら何も言わずに読むのをやめる」で済んだから……。

    ☆ファンさん2

    でまぁ、僕の感性が正しいかと聞かれるとそこは怪しいんですけど、
    「夏」はお世辞にも読みやすくはなかったと思います。
    テーマは悪くない。文章はところどころ巧い描写がある。ただ、地味。
    めっちゃ、地味。地味なのは悪くないと思うんです。
    だけど、それこそ大江健三郎氏の小説なら、頑張って読んでくれて、最後には感動する人もいるでしょうが、ファンさんは著名作家ではない。
    多分、辛抱強くない読者は3行でブラバだと思います。
    折角、良い話を書いても読まれない。それじゃ悲しい。

    で、なぜ文章が読みにくいのかを色々考えたんですけど、やはり『一見無駄に見える』装飾や『意味の解りづらい仕掛け』が多いんですよ。
    作者側からすると「これを読み取ってほしい! ここに面白みがあるんだ!」という部分で、僕のような読者からすると「?? 無駄じゃね?」という。
    よく考えたら凄く大事な装飾文なのかもしれないし、装飾文に酔える人も多分、それなりにいる。
    でも、それは別の人が『酔いました!』とか『装飾文素敵!』とか言ってくれるでしょうし、僕としては一意見として、読みづらいですね。となってしまうし、そうやって多人数の多様な声を集めなきゃ、客観視なんてできないです。
    あと、これが一番致命的&僕の主観バリバリなんですが、単純に笹岡のモノローグが合わなかった。モノローグが合わないと、読むの辛いですよね。
    好き嫌い全開で申し訳ないし、完全に合う・合わないの問題ですけど、合わない文章は辛い。

    更にやり取りを見て感じたのは、ファンさんは自作に絶対のコダワリ(他人にはわからないものも含めて)を持っているし、人の意見を聞く人でもない。
    ファンさんにとっては、それは非常に大切なコダワリだし、それをわかってもらいたくて、発表をしている(と思う)。他人から見たら、「どうでもいい」事が彼にとってはとても大切。
    まぁ、僕もそういうのは分からなくはないし、そういう熱いこだわりを持っている人は嫌いじゃないです。嫌いじゃないけど、客観的にと言われれば、合わない人には「独り善がり、独善的」にも映る。自分のギャグに自分で爆笑、みたいな。
    自分の良さをわかってくれる人とだけ、自分とギャグセンスが似ている人とだけ付き合った方が、自分も周囲も幸せになれる、批判に弱い人間に見えます(僕と同じですw)。


    そして、自分の中での自作への自負と、傷つきやすいメンタルのまま、想定外に厳しい批判に晒された。
    そんな時に、ファンさんが取ったのは「相手の読解力のせいにすることで、周囲に対して、俺の方が正しい・凄いアピールをする事」だった。

    ゆうさんの「真っ当な小説でも読んで」に反発したくなった気持ちはわかりますが、そこで大江健三郎やドストエフスキーを振り回し、「これが解る俺は凄い」アピールをしてしまった。
    恐らく彼はゆうさんが大江健三郎を読んでいないだろうと推測して、ゆうさんに対してマウントを取ろうとしたわけですよね。

    でも、いくら大江健三郎やドストエフスキーが『本物の名作家』だとしても、そこらの本屋で中高生に、いきなり「君、大江さんの全集最高だよね。俺、全部読んでるけど」なんて言って、通じる可能性は限りなく低い。大人にだって、通じる可能性はかなり低い。
    しかも、『売り言葉に買い言葉』や『負け惜しみ』なら別にいいんですけど、
    ひょっとして本人が本当に、大江健三郎やドストエフスキーは日本の中高生に大ウケしていると錯覚している可能性もあり、自分でもあれを中高生向けの小説として書いたつもり。
    これは明らかにギャップが大きすぎるし、自己を客観視とは程遠い状態だと思いました。

    で、どうするか。
    どう伝えれば、こちらの意図が伝わったのかなぁと考える事はあります。
    僕のPS「万延元年の~」はイマイチわからなかったです、が、イヤミに受け取られたのかなぁ。
    僕としては、大江さんの作品は一応読んだことはあるけど、理解しづらかった程度の読解力の一意見なので、参考程度に~。ってつもりで書いたんだけど、あれが余計な一言だったのかなぁとか。

    ☆たとえば

    『三人の女子生徒が昨日放送していたドラマについて話していることを除けば、自習室は静かだ。笹岡は、同じドラマを観ていたため意識が引っ張られる。やがて、波が引くかのように女子生徒たちが喋るのをやめる』
    (引用)

    →『静かな自習室の中で、笹岡はふと意識を引っ張られた。笹岡が好きなあのドラマ、昨日放送されていたあのドラマの事を、三人の女子生徒が話していたからだ。笹岡は、女子生徒の感想に「こいつらなんもわかってねーな」と口を挟みたくなったが、小心な彼はクラスメイトに話しかけることはできず、そうこうしているうちに女子生徒たちは話すのをやめてしまった』

    僕なら、こんなふうに書き換えます。

    他人から見て、客観的に、元の方が良いのか僕の書き換えの方が良いのかはわかりません。僕にとっては、僕の書き換えの方が読みやすいです(そりゃ自分の文章ですからねw)

    『昨日放送されていた』は要らない気もしますが、「昨日、失恋した」というテーマで発表したそうなので、そこに掛けているのかな?ということで残しました。ただ、笹岡が実際に失恋したのは「昨日」じゃないので、厳密に言えば「昨日」にこだわる必要もないとは思います。

    この調子で『僕の文章』に『魔改造』していけば、僕にとってはだいぶ読みやすい作品になりますが、それじゃ僕の小説になっちゃいますし、勝手に引用するのもあれなので、これくらいにします。
    (というか、ファンさんの文を短く削るつもりが、かえって長くなってしまった、だと!?)


    重複も多いし、長々をくどくどと申し訳ございません。
    ゆうさんにもそうだし、ファンさんにも失礼すぎる事を書いた気もします。
    近況ノートとは言え、すっごい僕、性格悪く見えているだろうな~と思いつつ。

    お互い、リラックスして頑張っていきましょう!(無理やりな〆)
    コメントありがとうございました!
  • (クド委って、初っ端から酷い誤字失礼しました!)
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