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人称視点

 「女子高生詩人」の改稿してて、一人称視点での状況描写に悩む。

 で、電撃文庫を取り出して鴨志田先生の「さくら荘のペットな彼女」を読み直したら、一人称視点と三人称一元視点がごっちゃに使われているのに気付いてびっくり。てっきり一人称視点だと思い込んでた……
 シーンごとに使い分けるのではなく、空太の心理とましろの描写は空太の一人称視点、行動描写は空太を含め全て三人称一元視点で書いてますね。

 次にもっと最近のラブコメで、羽場楽人先生の「わたラブ」を読んだら、こっちはガッツリ一人称視点。
 けど、主人公とヒロインのヨルカ以外の描写って、すごく少ないんだな。「説明」はそこそこあるけど「描写」はごくたまにしかない。
 やっぱりそういうふうになるのかぁ。

 次に岬鷺宮先生の「三角の距離は限りないゼロ」。これはしっかり一人称視点で、描写もかなり入っている。
 描写の文体は
 ーする。
 ーだろう。
 ーだな。
 ーだ。
という感じの多彩な文末がサイクルしていて、さすが。
 その分「わたラブ」に比べると落ち着いた印象ですね。


「三角」を参考に、でも「わたラブ」のポップなトーンも持たせたいというところで、試行錯誤してみよう。

3件のコメント

  • こちらから失礼します!
    ☆をつけていただきありがとうございます✨
  • お久しぶりです。
    改稿作業が滞っているのでしょうか。

    今さらですが人称について。

    三人称と一人称の混在は「あり」です。
    カメラワークで考えれば主人公視点でひとつ。
    主人公の後方に置かれたカメラひとつ、乃至は自由に移動出来るカメラひとつ。
    情景描写や他の登場人物の動きは三人称で描き、主人公の心情は一人称できっちり描き切れば良いので。

    因みに三人称一元視点とは、あくまで主人公に張り付いた視点です。
    決して第三者視点にはなりません。
    三人称多元視点の場合は登場人物の誰にでもフォーカスできますが、描き方次第で「神視点」となってしまい、なんでもありになりがちです。
    三人称視点で描けないものは心情描写です。
    思った、考えた、感じた、喜怒哀楽の感情や思考を表現する場合に、誰某は内心ほくそ笑んでいた、などとは出来ません。
    笑う表情を描けはしても、内心を描く事は出来ません。
    感情や思考まで描くと神視点になってしまいます。
    読者も混乱し易くなるので注意が必要です。

    本来駄目なのは一人称視点でありながら、他人の心情を描写してしまう事です。
    主人公とヒロイン。
    これをやらかす作者は多いですが原則アウトです。
    それでも最近は緩くなっていて、徐々に増えてきていますが。
    ファンタジーではすっかりお馴染みになっているので、ついラブコメや恋愛でやる人も居ます。
    誰某サイドとかで別人の視点で描く作者も多く、書籍化された作品もまた多いので、原則アウトだったものが普通に通るような状態ですが。

    結局、出版社がルールを曲げてまでも、その小説を書籍化したい、と考えた結果でしょう。
    読者や作者に出版社が負けた状態とも言えます。
    とは言えルールも時とともに変化するので、あまり小難しく考えると、自らの手足を縛る事に繋がるので、今許される範囲内で描くのが精神的にも良いかもしれません。

    あとはご自身で判断すれば良いと思います。

    以上、改稿が済みアップされましたら、また読みに来ます。
  • ゆうさん
    特に滞っていることはなく、ゆっくり進めています。
    人称も、今は迷っていることはないですね。
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