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令和が五年目を迎える

 執筆作業を束ねるだけ束ねて、その成果を大して世に出さないまま年を越してしまった今日この頃。自称でも字書きと名乗れるのか曖昧に感じる。

 失踪と呼べるほどの音信不通っぷりではないと思いつつ、現状を鑑みるとカクヨムには夏からの投稿を怠っている手前、なかなか自己嫌悪に陥る。

 さて、年末年始の時期というのは親戚に会う機会も多く、リアルな話をすると存外、年間で最も忙しい頃合いと言える。ただでさえコミュ障を拗らせている自分としては、精神的にダメージを追いやすい時期とも言い換えられる。

 より具体的な内容を明瞭にすると「早く結婚しろ」という声を頂戴した次第だ。あまりリアル事情を打ち明けるのもいかがなものかと思うのだが、兄弟や従兄弟関係を改めると、自分以外の全員が伴侶がいる状況下となっている。

 これはなかなかメンタルにクリーンヒットと言わざるを得ない。

 親戚の子供たちに囲まれて、自分はどうしたらいいのか分かったものではない。分かったものではないので、とりあえず若年層の娯楽メディアのネタの足しにすることを試みた。

 まあ、子供というのは大人の形態模写みたいなもので、物事を考えるという点に置いては、著しい欠落を垣間見える。

 それ自体は何ら不自然でもなく、当然のことであると断言できるが、なまじ子供より幾分かの知能を発達できている身としては発言の一つ一つに衝撃を覚えるばかりだ。

 まず活字がダメ。分かりきった話だが、小説はまあ無理。試しにゲームとそのゲームの攻略本を渡してみると「わかった!」と言いながらページをデタラメに開き、「なるほど!」とだけ返事し、まるで中身を理解しようとしない。

 シンプルな示唆をしてもまあまあ理解されない。ゲームを前に「ここの操作は○○だよ」といっても、コントローラーをアクロバティックに構えて、ボタン操作もおぼつかない。

 コントローラーを構えて見せて「この指を見て」とか操作しながら言っても聞かないし、自分の思ったままに動かし、ゲーム内の壁に当たり続ける。

 その上で「うごかない!」「やって!」とか言うものだ。結局そんなプレーの仕方ではゲームの楽しさも分かったものではないが、それでも「ゲームやりたい!」「これとくい!」と飄々と言ってのける。

 そりゃあまあ「年齢を考えればそうだろ」以外の答えはないが、ゲームをゲームとして成立させることの難しさを改めて把握した。

 無論、ゲームばかりに熱中する子供ばかりでもない。

 中には、マンガを読むのに夢中な子供もいた。ので、そっちの子にはまとめて何冊か貸してみたりしたのだが、その際、しきりにこんなことを訊かれた。

「このマンガはこれで最後?」
「これは終わりまである?」
「もう終わってる?」

 常識的に考えて、この質問に対して感じる畏怖はないと思うが、そのマンガを読み始めてから飛び出してきた発言には、正直驚いた。

「もう読むの面倒臭いから最後だけ読む」

 マンガという娯楽に対する関心とは、何なのか。
 少し考えてしまった。

 確かに、このカクヨムで小説を投稿してきて、最後の話だけが妙に伸びるということは経験してきた。作者としては、間の話を真面目に練ってきたことがおおよそ無駄になる瞬間でもある。

 それって本当に読者からしても楽しいことなのか、と。

 架空の物語って、そもそも「何が面白いのか」という話だ。

 ストーリーとか、操作性とか、ゲーム性とか、そういうものは全くの度外視で、ただただ何らかの形で干渉している自分が楽しいと感じることもある。

 物語としての運びや、それにまつわる登場人物たちの心情、徐々に明瞭になっていく世界観はさておいて、結末だけに興味をそそられることもある。

 自分がしようとした意図とは全く違うことで「楽しんで」しまう。

 悲しいことに、自分は字書きなもので、自分のこれまで培ってきた実力を持ってその子供たちを楽しませることは、今のところはできないという結論に至る。

 自称、創作屋として考えるべきことは、如何様にして他者に「楽しんでいる」と認識させるか。そこに注視するしかあるまい。

 子供を引き合いに出すことは滑稽かもしれない。あるいは、そういった行動や思想自体が咎められるべきものかもしれない。

 ただ、自分は思う。
 作者と読者は同じ土俵にいないということ。

 自分世界のガチ勢たる作者は、あらゆる手段を持って読者を惹きつけて、引き留める。その上で、感情や記憶に干渉する何かをぶつける。

 読者には、自分世界を避けられてはいけないし、逃げられてもいけない。そして、自分世界の知識レベル0の素人に、叩き込む。

 それしかやれることはあるまい。

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