自分の中ではかなり好きな部類の作品なのですが、あまり揮わなかった作品。確か「小説すばる新人賞」に昔投稿したような。
これを書いていた頃は「できるだけ短い話を書こう」としていた頃。というのもこのいくつか前の作品を人に見せたときに「長すぎる」と言われたので、もっと短く書かなければいけないな、と思ったのであった(この文章がいまひとつ長さを感じ得ない)。
『剣の歌』はトラックに轢かれる・転生するなどと、ある意味『異世界転生』なのでアンチ異世界転生作品としての意義は——べつに込められていなかったりする。
そもそもこの話がどこから思いついたかというと、わたしがまだ学生の時分は「暴力系ヒロイン」と現在で言われるような作品がそこそこあって、といってもわたし自身はその時代のラノベはほとんど読まなかったのでよく知らないのですが、なんとなく伝え聞く程度には知っていた。
ちなみにわたしの時代のラノベというのは『ダブルブリッド』とかです。だからヒロインがよく嘔吐したりするのだと思う。
まぁとにかく、その手の作品について考えていたときに「これは一歩間違えたら傷害沙汰だな」だとか思うのです。たとえば廊下で後ろから蹴ったりしたら、倒れて転ぶだろうし、階段付近ならものすごい怪我になる。殴って目などに当たったら失明するかもしれない。
PS時代の名作に『高機動幻想ガンパレード・マーチ』というゲームがありましたが、その中の登場人物に「勇気を出して駅のホームで好きな男子の背中を叩いて声をかけてみた女子」と「その結果駅のホームから突き落とされて下半身不随になった男子」という組み合わせがあって、加藤も狩谷も好きですよわたくし。そのへんの影響もあるかもしれない。
結果としてこの話は「女の子が特に悪気もなく突き飛ばしたら(唯一の)友人が轢かれた」という話になって進めていったらこういう話になりました。
この話は特にアンチ異世界転生ではないのですけど、書いているうちに流れで思い始めたのは、異世界転生的なジャンルについて「現世ってどうなっているの?」ということだったりします。
つまり転生するためによく主人公をトラックで轢き殺すけど、トラックの運転手はどないなっとんねん、という話であって、転生したら死体が出ないのかもしれない、と思わないでもないけれど、それはもう転生ではなくワープなような。つまり人ひとり殺してしまっているのだよなぁ。
ハイコンテクストとして異世界転生を扱ったのは、短編だけど『前髪のある女神』があったけど、あっちは「主人公が転生することを享受する」というところに問題点を集約していたのですが、こっちは「まず死から始まる」というところに異を唱え始めた。
本来生物は死は厭うべきもので、この根源的な理由は「そうじゃなかったら生物たり得ないから」だと思うのです。つまり、生物というのはたまたま死を避ける存在だったから、死なないように、死なないように進化してきた。というか、もし死を避けようとしてこなかったら死ぬわけで、そうなったら遺伝子は受け継がれないのだから、生物は存在し続けられなかった。
自殺が駄目とかそういう話ではなくて、基本的に死は避けるべきものなので、死よりも重い状況に現状が置かれていなければ、死はどうやっても避けたがるよなぁ、という話になったのでした。
あと北欧神話ベースに現代的にやってみる、という要素が個人的にはものすごくよくできたなーと思っていて、これはもうちょっと応用したい。