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[解説]『犬の一生』-2

『犬の一生』の第2章の解説です。
 1章の解説は「[解説]『犬の一生』-1」をご覧ください。

□2. スキールニルの旅
 主な北欧神話のエッダの中では、
・『スキールニルの旅』
がメインとなっている。
 ほか、〈神殺し〉の巨人族の名フルングニルなどは『トールとフルングニルの決闘』から取っていたりもするが、やはりこの話で主軸となっているのは『スキールニルの旅』である。

*『スキールニルの旅』
 この章のメインになっている話。あらすじを説明すると、オーディンのあらゆる場所を見通せる玉座フリズスキャルヴに座って世界を眺めていたフレイが、巨人族の娘ゲルドを見つけて求婚するという話。求婚は彼の信頼できる従者であるスキールニルを通して行われる。

 第2章の元ネタになっているので、ほぼそのままの話で、つまりこの話の中でフレイは己の剣を失う。
 作中ではフレイの剣は《妖剣ユングヴィ》ということになっているが、実はユングヴィというのはフレイの別名で、剣そのものに名前はない。ただ〈勝利の剣〉だとか呼ばれることがあるらしい。作中で描かれているとおり、これは持ち手を守るために自由に空を飛んで戦う魔法の剣である。
 この結果として、フレイは敗北する。

 フレイの敗北はもっと先の事態である。〈|力の滅亡《ラグナレク》〉のそのとき、フレイの手には〈勝利の剣〉はない。攻め込んできた神々の大地最大の脅威、火の国の魔人スルトの燃え盛る魔剣を前に、フレイはただ鹿の角で対抗せざるを得なくなる。
 そんな状況でも、実はフレイは強い。『アベンジャーズ』で最近は有名なトール(ソー)が九世界最強の男であり、惑わしの魔法でしてやられることはしばしばあるものの、力対力の勝負ではそうそう負けるものではない。だが彼は〈力の滅亡〉のそのとき、大地を巡る大蛇ヨルムンガンドと戦っている。だから〈火の国の魔人〉と戦うのはフレイなのだ。
〈勝利の剣〉がない状態で、しかしフレイはスルトに一歩も引くこともなく戦い、最後は乱戦となり、ギリギリのところで敗北する——そして世界はスルトの炎によって浄化される。

 北欧神話というのは破壊と再生の物語である。
〈力の滅亡〉では縛めを破った魔狼フェンリルが主神オーディンを喰らい、オーディンの息子のヴィーダルに踏み潰される。邪神ロキと白きヘイムダルは互いの剣先を腹に突き刺されて相打ちになり、雷神トールは世界蛇ヨルムンガンドの討伐に成功するも、その直後に毒によって死亡する。
 神々も、化け物も、等しく死んでいく。それが〈力の滅亡〉だ。
 だがその多くは相討ちで、相討ちということはそれ以上被害が拡大しないということである。
 が、豊穣神フレイと火の国の魔人スルトの戦いは違う。美しいゲルドを娶るがために〈勝利の剣〉を手放したフレイは、必死で喰らいつくも〈火の国の魔人〉の前に敗北を喫してしまうのだ。

 もし彼が負けていなければ、九世界は焼き尽くされていなかった。フレイこそが、〈勝利の剣〉を正しく扱えるフレイこそが、唯一〈火の国の魔人〉に対抗しうる存在だったのだ。

 北欧神話で最も親しまれる神は、トールである。彼は雷神であるが、豊穣神でもあり、よく笑い、すぐに怒るが怒りは長続きせず、親しみがあり、大酒飲みの神だ。
 独眼のオーディンは主神ではあるが、死を司る神であり、傲慢で、人間生活に一方的に肩入れし、あまり好まれる神ではない。美神フレイヤなどもそうで、美しく世界を照らす一方で、いかにも女性らしさを前面に出した高飛車で欲深い神だ。

 そんな中で、フレイは豊穣神であるが、妹のフレイヤにその役割を譲ることが多い。出番はさほど多くはなく、メインの話もこの『スキールニルの旅』くらいなもの。影が薄いというほどではないまでも、日本ではそう名前が通っているというわけではない、美形で、迂闊で、ただひとりの異種族の女性に一目惚れし、偉大な宝を手放してでも求婚した、ちんこがでかい、人間臭い神が多い北欧神話の神々の中でも、もっとも人間のような馬鹿な男である。北欧神話で、わたしはこの男がもっとも好きだ。

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