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[解説]『鐘を撞くのはデリンジャー』

 自分の中で「和風西部劇」もしくは「東部劇」と名付けているシリーズの二作目。シリーズといってもストーリーとしては繋がっておらず、
・現代日本だけど銃が事件の中心として出てくる
・決闘からスタートする
といったあたりが特徴。

 テーマは「結婚」。十万字くらいの中編に収めようとしながら書いた(なので基本の登場人物が犬上・六花・音無の三人だけ)。第6回『暮らしの小説大賞』に応募したものの、箸にも棒にも引っかからなかった作品——前もこんなこと書いてなかったっけ?

 中編以上の長さの場合は基本的にミステリーを書くことが多いのだが、改めて自分の書いてきたものを見返してみると密室トリックとかアリバイトリックとかそういうものが一切なくて、それどころか人が死ななかったりさえする。今回もいかにもトリックというものはなくて、ただ「何が起きたのか?」「そもそも何が謎なのか?」ということから探していくことになる——という中身だと思いたい。なんか最近自分の脳と認識が怪しくなってきたのだが、ちゃんとミステリーになっているのだろうか、コレ。謎が見えているのだろうか。

 3人の主要登場人物のうち、犬上大輔というキャラクターは前々から使っていた人物。メインキャラとしてはたぶん3回目の登場。単なる刑事役としてチョイ役でもよく出てくる。筋骨隆々高身長超肉体派の刑事で、化け物並に強靭ということで何しても死なないので非常に使いやすい(放置するとパワーだけでなんでも解決してしまうのが難だが)。
 これ以前の登場では、ある程度経験を積んだ中堅として。初登場時は『デリンジャー』の十数年後で、奥さんにそっくりな中学生の息子に欲情する変態という具合だったが、時系列的に初期の今回もあんまり人間性は変わっていないようで何より。
 身長が2m近くあり、対して六花が140cm台なので50cmくらい差があるのは完全にわたしの趣味です。

 主要人物じゃないけど、パティさんの「タイの男の半分はゲイ、もう半分はゲイになる」という発言はわたしの先輩であるタイ人留学生(女性)の言葉をそのまま使っています。ほかに「日本人の男性はゲイじゃなくてもオシャレをするから素晴らしい」などといった名言が。

 ちなみにキャッチコピーの『デリンジャーにも義理がある』はもともとのタイトルだったが、書き進めているうちに「このタイトル意味わからなくねぇ?」となったので現在のタイトルに。「義理がある」は『ハチェット無頼』の「無法者にも義理がある」が元ネタ。

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