『刺激に満ちた世界は創りもの』にお越し下さった皆様、丁寧にコメントくださった皆様、冷めた目で通過していった皆様、遠くから観測していた皆様、皆みんな、お付き合いくださいましてありがとうございます!
https://kakuyomu.jp/my/works/16817330648434236283カクヨムコンも読者選考期間が終わり、本作を読んでいただける波も一段落した頃かなと思いまして、『あとがき』のようなものを書いておこうと思います。
ちなみにあとがき→本文の流れでも何ら問題ないと私自身は思っています。
でも、非常に長いですから、お時間ある方、さらに興味もある方だけ、先に進んでいただければ何よりです。
ほんとに長いですからね。
(でも、ノート分けるより一気に終わらせた方がいいかなと)
▽▽▽
本作で見せたかったのは『我々が視ているもの、感じていること、その世界について』でした。『私が』じゃなくて、『我々が』です。ここポイント。
で、警鐘を鳴らす存在として、人間嫌いの精霊小人ノームを主人公に起用。
一応、私の仕事が『創る』系統のもの、それには緻密な分析(対象と世の中の両方を)が必要であること、ものすごーく広い目で見ると『土』に関連することもあると考えることもできる、ということも重ねておきました。
ちなみに自分の持ち味は大いに活用して仕事しています。何より目敏いことが武器になる分野ですし。(だっからこの仕事やってんだよぅ)
色んなとこで仕事をしてみるのも色んな角度で物事を眺めたいからで、働き方改革とかナントカ言い出す随分前から、その時々の興味と状況に合った生き方をしています。
だって世の中が変わるのなんて遅すぎて待ってられないですもん。
だから……心配には及びませんよ?
◉『井の中の蛙』感からの脱却
作中で色んな職場・分野を提示したのは、まさにこのため。
ここでも、こっちでも、やっぱこの世界はこういう側面あるよな〜と繰り返し事例を見てきた上での見解であることの象徴とするために、あくまで物語の背景として埋め込んだつもりです。
でも、多くの方は『生きづらい……』という系統の話題に結びつけて眺めたんじゃないでしょうか。ああ、コイツは度々居づらくなって仕事を転々としてるんだな、とか。
*感覚が鋭敏 → 生きづらい
*仕事の変遷がある → 問題児
と直結すると、なんで? ってなるんですね。
逆はあるでしょう。
・生きづらい原因はなんだろう。ああ、そうか。人一倍、繊細すぎるんだ。
・何かとぶつかるし、仕事もできないし。アイツはクビだ!
この*と・の違いにはキッカリ線を引いて欲しい!!
と願って止まない。
もちろん後者は、誰かの救済に繋げることができるでしょう。
でも全体像じゃない。
世の中で話題になる、本が出版される、そういった事を通して『イメージが固定される』という厄介な現象だと考えます。
まあ、ある意味で、本作のテーマである『感覚の違い』が浮き彫りになったとも言えそうです。
***
◉鋭敏な感覚、深感覚
最大のテーマ『感覚』の話は、短編のボリュームに色んな切り口の話を詰め込みすぎたのが、わかりにくくなった一番の原因かなあと思っております。
(そのフィードバックも今後に活かせれば!)
でも、やっぱりうまく見つけてくださる方も居て嬉しかったです。
ちなみに嗅覚・聴覚が敏感なのは事実です。
◉嗅覚に関して
鋭く感じるものは具体的にタバコ、香水、化粧品、芳香剤、お香……などなど。
ああ、あの人、10分以内くらいにこの辺り通ったなあというくらいはわかります。それくらい誰でも分かるんじゃ?とも思います。
広い空間なら避ければ良いけれど、バスとか少なくとも1m以内に芳香元が存在する状態だと呼吸が苦しくなるか酷い頭痛、加えて酔います。
これは純粋に身体が反応している場合と、理屈で嫌ってる場合が混在している、というのが自己分析結果。純粋なる苦痛なのか、盲目的に自ら苦痛を生み出しているのか、まあどっちもあるだろうねえと思っています。
その混在していることを作中では『悩み』のように表現しました。
そんな自分を救済するのは所詮人には無理なことで、未来像を思えば客観的に判断してくれるものが台頭するだろう、そうなりゃごちゃごちゃ考えずにすむぜ(頭の中が静かになる)という予想図も提示しました。
このキャラクター性については、それこそ第一回カクヨムコンテストSF部門大賞受賞作の『横浜駅SF』、それの全国版・熊本編で『島原ミイカ』(非常に鼻が利く新入社員・技術部門化学班に配属)が登場した時、「あれ? これって俺のこと?」ってちょっとだけ思いました。
で、作中では『鼻が利く』に、感覚神経の鋭敏さと、僅かな兆候から見抜く感性という慣用句の両方を匂わせている。そして、その感覚と感性の両方が物語を動かしています。ほんとお見事。
私の作でもこの点は同じようなことを意図したつもりです。
……見事じゃなかった。
◉嗅覚に関する実体験エピソード
作中にで取り上げた話も実体験に基づくものですが、もう一つわかりやすく面白い話があります。
学生のころ、実験室に入ってきた別の研究室の先生(うちの先生と仲良しで時々遊びに来ちゃう:二人共ハイパーおじいちゃんズ)が、瞬時に険しい顔になってカッと目を見開いたんですよ。マジで( ゚д゚ )クワッ!!
「おい! ◯◯化合物の臭いや!」
一同、ざわざわ。
通常身体によろしくないものは強制排気可能な空間で作業しますから、何事!?って話です。でもその場にずっと居た誰もが気づいていない。もちろん私も。というか、誰かそんな実験してる?
「ああー! なるほど!」
話はすぐに解決しました。
「すみません。今タマネギのエキス取ってて。それ由来ですね」
何をするかにもよりますが、その時はごく微量しか含まれていない成分を抽出しようとしていて、奥の方でしこたま刻んでたみたいで。
おいおい、なんの研究だよって? ま、色々です。
「なんやー! タマネギかいな〜」
「いや〜、紛らわしくって、すみません」
一同、大笑い。
(こっちを小説にすれば良かったか?)
って、ことがありましたね。ちなみにタマネギの絞りカスはハンバーグにでもしたんだったかな。
何もタマネギだから甘く見ていたわけではなく、ずっとその空間にいるからみんな臭いに慣れちゃってるんですよ。でも、不意にドアを開けて入ってきた先生はぐわっと感じちゃったはずです。
それと同じようなシーンが『刺激に満ちた世界は創りもの』にも登場したかと。
いや、あるあるなんですって。
なにせ別の研究室の先生だから、まさか不意にタマネギなんぞ刻んでるなんて思いも寄らない。
『ここに〈あるはずのない〉臭い』を察知して違和感を得た先生が、急ぎ皆に知らせて、原因確認(場合によっては避難)→安堵という、至極真っ当なプロセスを経ただけです。
ちなみに、タマネギのエキスが毒とかでもないし、性質が近しい物質は臭いも似てるし、という背景。
◉自分の常識、社会の不合理
私はこれが当たり前だと思っているんだけど、社会に出ると意外とそうでもないことがチラホラと。進言すると神経質だと思われたり。ルールは守ってる、センサー反応してないし、うーん……という風に面倒がられることも。
えええ? 原因確認→安堵の流れは!?
そうして察知した違和感は行き場を失って、地縛霊になるかもしれません。
で、そこからの『みんな色んな臭いを日常的に嗅ぎすぎて、鼻がバカになってんじゃねえの?』という発想でした。
幽霊を怖がりながら、誰も信じてないのと同じかよ!(同じか?)
◉『刺激に満ちた世界』って
で、それこそが今、世の中に充満している『刺激に満ちた世界』であって、洗い流せばアンタラもそれが『創りもの』だったことに気づくんじゃ……なんてこともなく。
理想は現実社会において夢物語として扱われるものに成り果てた。
ルールやセンサーはあくまで基準だし、犠牲が出るまでは改定されないし、慣れからの怠慢が蔓延ってるし。そういう人ほど、普段はその環境に晒されないところに居るし。
こりゃあ、自分の身を守るためには、と考え、センシティブにならざるを得ないことも無くはない。だって、自分が犠牲者になってからじゃ遅くないです?
事前に察知してんのにさ。
な〜んて、文句いったところで。
だから私がどんな行動を取ることにしているかも作中で描きました。
気づいたことは進言する。その上で、さっさと避難する。それだけです。
◉サバンナのキリン、兎の足踏み
私が作中で取り上げた感覚って、特別に開花したものでも何でもなく、むしろ原始的なものだと思っています。
例えば、サバンナでキリンが逃げたら、それを見た他の動物も続いて逃げます。
(マヂかよ! 肉食系が迫ってるの!?)
(とにかく逃げろっ。しらんけど)
数分後……
(な〜んや! こっちの樹の葉っぱ食いたかっただけか〜い)
(のわりには全力疾走やったような……)
状況に応じて、真っ先に危機察知できる動物種は違ってくるかもしれません。
でも、動物たちはそうやって上手く成り立ってる。人間はやらないけど。
兎も警戒すべき音(足音とか)を察知したらあの逞しい後ろ足で地面をダンっと踏み鳴らします。仲間にお知らせするため。で、長い耳の角度をアンテナみたいに器用に変えて音を収集し、またダンっ! で、いよいよこれはと判断したら一目散に駆け出します。
その性質は野兎だけでなく、ペット用に改良された温厚な兎にも残っています。
作中の話も、そういう危機察知能力ですよね、って拾って下さった方がいたのは、救いでした。異能とかそんなんじゃないから。むしろ多くの個体が『失った』『手放した』『退化した』かもしれない部分じゃないかなと思うわけです。
それもこれも『刺激が強すぎる世界』に浸っているから。
何かと便利になったからだけでなく。
それは有耶無耶になった『創りもの』に視えますが、皆さん本当にそこに居続けたいんでしょうか。何枚かその皮を剥いで、深いところに押し込められちゃった部分をもう視ずに行きますか。
別に変わらない組織や世の中に文句はありません。
だってそれは難しいことだから。
かっと言って、変化を待つこともしないでしょう。
◉最後に
少なくとも私自身は『目敏い』『鼻が利く』『地獄耳』という特性が、諸刃の剣でありながらも自分の武器(アビリティ)だと思って食いつないでいます。だから、できれば『分解能ヤバい』とか『高感度』とか『ハイレゾ』とか言って欲しい。
弱い印象を想起する言葉で表現すると、無意識に『弱い印象に固定』されてゆきます。それこそがレッテルで、なんなら『生きづらさ』の本質になりかねない。
実際には『強そう』な印象になるよう自他ともに表現する方が、その人に力を与えることが多いと思います。
たとえそれが強がりだとしても、認めてあげる方がいい。それも自他ともに。
そして勿論、『気にするな』『強くあれ』と押し付けるなど言語道断だと、あらためてここに明言しておきます。
ああ、そろそろ黙ります。