・ほかに散歩へ連れて行ける者がいなかったので、しかたなく、駄犬を外に出そうとしたところ、威嚇とともに食いついてきやがった。結果、流血騒ぎである。狂犬病の注射はしているが、不安になる。
やられたらやり返す。等価交換だ!
と、ダスキンのモップで殴ってやろうかと思ったが、相手は犬畜生であり、叩かれても反省などはしないだろう。詮ないことである。
飼育放棄の家で、保健所行きになるところを拾って来てやったのに、その恩を感じずにご主人様に噛みつこうとは、いったい、どういう料簡なのだろうか。しかし、まあ、躾ができていないのは、その犬のせいではないので、あまり責めないでおこう。
家族に隠れて、こそこそとおやつをあげていたのになあ。なぜ、噛みつく。そんなのに散歩が嫌なのだろうか。まあ、気持ちはわからぬではない。
さて、ここまでだらだらとよしなし事を書いてきたが、結局、何が言いたいのかというと、やっぱり、猫が好き、ということだ。猫はよい。猫が飼いたい。長生きする丈夫なサバトラが。
我ながら、おどろくべきスピードで傷は癒えた。まだまだ、体は若いようだ。問題は脳みそである。
・高野文子さんを読み返そうと思ったのだが、電子書籍は『棒が一本』くらいしかない。『るきさん』が読みたかったのに。まあ、「棒が一本」も名作だからよいが。
・勝田文さんを読み直している。カツタアヤではなく、カツタブンとのこと。
・教養がないという悪口があるが、どうも、この教養という言葉がなにを指しているのかいまいちよくわからなくなるときがある。教養がないよりも、「たしなみが足りない」のほうがピンと来るかもしれない。「人としてのつつしみがない」はどうだろうか。
・会話文の最後に読点をつけたり(「。」)、文の冒頭の字下げを行わないと、警察が来るようだが、谷崎潤一郎のなまえを出せば収まるものなのかしらん。「猫と庄造と二人のをんな」をとてもおもしろく読んでいるのだが(最初に猫を置くタイトルが秀逸)、見づらくてしかたがない。
・アマゾンで本のサンプルを読み漁っている。サンプルを読み終えるとほかのお薦め作品が出てくるので、それを読む。読み終えたら新しいお薦めに手を出すの繰り返し。続きが気になるものは欲しいものリストへ入れている。
サンプルなのに読みごたえがあった作品を2つ紹介。
〇[新訳]ローマ帝国衰亡史(中倉玄喜編訳/PHP文庫)
一文だけ引用させてもらうと、『世の中に乱あれば、法は死文と化す』とある。もっともな話である。「ゴミの分別のルールが守られていないくらい、大した問題ではない」と放置しておくと、とんでもないことになる可能性がある。
〇象の旅(ジョゼ・サラマーゴ/書肆侃侃房)
会話文(「」)がなく、地の文だけで物語が進んでいくが、訳者である木下眞穂さんの努力もあり、読みにくくはない。ふつうに読める。
おじさん、おばさんに深いため息をつかせる、以下のような文章もある。興味を持った人はぜひ、ご一読を。
『過去とは、石ころだらけの広大な空間であり、自動車が高速道を走るがごとくすいすいと渡れたらと願う者は多いが、実のところは、下に何が隠れているのか確かめつつ、一個ずつ石を持ち上げて辛抱強く渡るしかない』
・読んだマンガ
「谷崎マンガ 変態アンソロジー」(中央公論新社)
谷崎潤一郎の作品を、十名ほどのクリエイターが短編マンガにした作品集。近藤聡乃さんと高野文子さん目当てで読んだ。読後、「台所太平記」の原作が読みたくなった。
近藤聡乃さんが、山口晃さんとの対談で、『コラボレーションというのは相手との意思疎通があってこそだとおもうのです』と言っている。
マンガの映像化の時にも言えることだと思うのだけれど、近藤さんは自身がアニメーション作家だから、変なことに巻き込まれることはないか。『A子さんの恋人』が映像化されないかな。