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水星の魔女12話を受けて~表層と深層~

 『機動戦士ガンダム 水星の魔女』という作品は


 表層に見えている事柄と

 深層で起きている事実が


 時に真逆なほどに違っているのでは? その多重構造に製作者の語りたいことが込められているのでは? 僕は以前からそう感じていて、12話でその思いをさらに強くしました。


(表)スレッタの精神は異常
(深)単に素直なだけで正常

(表)プロスペラは怪しい技術で娘を洗脳している
(深)どこにでもいる毒親として支配しているだけ

(表)シャディクは超悪い奴
(深)印象ほどの悪ではない


 以上が、僕が12話を見て『印象操作された表層の事柄』と『その深層に隠された事実』ではないかと勘ぐったものの一覧です。これから、なぜそう思うのか解説していきます。


【スレッタの精神は本当に異常か?】


 12話の最後でスレッタがミオリネに銃を向けたテロリストを殺害し、その血で汚れた手をミオリネに差しだし笑顔で「助けに来たよ」と言う衝撃的なシーン。

 あれを見ればスレッタは生来のサイコパスだ、母プロスペラから受けた洗脳のため倫理観が壊れたのだ、GUNDフォーマットを使う度に水面下で精神が汚染されていたのだ……などと考えるのが自然でしょう。

 僕も、その可能性は高いと思っています。

 しかし一方で、どこも異常ではないという可能性もあるように感じました。本作の表層的な部分がミスリードではと疑って見ると、スレッタが正常でも同じ行動を取ることはありえると思ったのです。


【プロスペラは娘を洗脳しているのか?】


 にもかかってくるのですが……僕は概ね『していない』と思っています。それは洗脳の類を全くしていないというわけではなく、してはいるけど、それは過去のガンダム作品で敵組織がしていたような薬物や催眠を使った本格的なものではなく、現実社会の一般家庭にも高確率で存在している『普通の毒親』の子への接しかたの範疇ではないかと思うのです。


 逃げたら1つ、進めば2つ。


 プロスペラがスレッタに幼少期から言い聞かせてきた格言を再び持ちだしてエアリアルに乗って戦うよう促した結果、スレッタがそのとおりに戦ったことから、いかにもプロスペラが呪文を唱えて魔法をかけたようにも見えますが、その時のスレッタは戦うと決意するまでに逡巡しています。

 それは、結果的に母の誘導どおりの選択をしたとしても、紛れもなくスレッタ自身が考えて決断したことを示しているのではないでしょうか。そうだと仮定し、ラストの『人を殺しても笑っているスレッタ』の心境を推理してみます。

 そのせいでミオリネに恐れられ「人殺し」と言われてしまうスレッタですが、彼女も少し前に母が娘である自分を守るためとはいえ人を殺して平然としていることに愕然とし、否定的な態度を見せていました。

 ただ、母がそうしなければ自分は死んでいた。

 これまでの平和な学園生活の感覚からは受け入れがたいものの、戦場での判断としては母が正しいと、頭では初めから分かっていたのではないでしょうか。

 だから改めて母の口からそう説明された時、すんなり受けいれられた。そして持ち前の素直さから「敵の死など気にしない」という、母と同じく戦場に順応した戦士のそれへと、価値観を迅速にアップデートした。

 そのため人を殺して血で汚れても頓着せず、ミオリネを助けられたことを喜んで笑っていられたし、少し前の自分と同じように怯えるミオリネに対して母が自分にそうしたように、人を殺した手を差しだしてしまった。自分が母を受けいれたように、ミオリネも自分を受けいれてくれると信じて疑わず。

 が、その期待にミオリネは応えられなかった。

 ──というすれ違いが、あのシーンの真相では。

 とはいえミオリネがついていけないのも無理ないほど、スレッタの割りきりはあまりに早すぎ、それこそが彼女の異常性を表しているとは考えられます。

 ただ……

 これくらいの『異常』は、僕たちの日常にありふれているとも思うのです。大部分はどこも変じゃない常識人で、でも実は少しだけ変なところがあって、なにかの機会にそれが表出すると凄い異常者に見えてしまう……そういうことってありませんか?

 それに、自分では正しいと信じ、周りも同意見だと思って行動した結果、全く賛同を得られず「やらかした」と気づくこと、僕にも覚えがあります……

 人間って意外と初めから『正常』には行動できなくて、やってみて周囲の人々から『異常』との判定を受けないと、そうとは気づけないものなのではないでしょうか。

 あの時のスレッタもそうだったのだと、僕には思えるのです。


【シャディクは悪い奴?】


 そしてシャディクはスレッタとは違う意味で、視聴者からのイメージを悪いほうへと誘導されているキャラクターに見えます。

 彼がなにをしたというのか?

 ヴィムの企てたデリング暗殺計画に協力し、アーシアンのテロリスト『フォルドの夜明け』に実行を依頼、その計画を途中で歪め、発案者のヴィムもろともデリングを消すよう仕向けた──です。

 その結果、ヴィムは自らMSを駆ってテロリストのMSに逆襲するも戦闘に敗れて死亡。しかも敵機に乗っていたのはテロリスト自身ではなく、彼らに囚われていたところ隙を見てMSを奪い脱出したグエル──ヴィムの家出中の息子だった、という最悪の事態が起きました。

 さらにスレッタは正当防衛から戦いに身を投じ、人を殺めてしまったため、直前まで良好な関係を築いてきたミオリネとのあいだに亀裂が生じるという、スレッタとミオリネ双方にとって非常につらい展開にもなりました。

 これらは間違いなくシャディクのせいです。

 ただ、そこで起こった悲劇の分だけシャディクの人格を邪悪だと考えるのは筋が通らないと思います。彼は別にグエルに親殺しをさせる気もなければ、スレッタとミオリネの仲を裂こうと意図したわけでもないのですから。


 ただ、あの戦場をセッティングしただけ。


 そこに居合わせたグエル・スレッタ・ミオリネの身にそれぞれ起こったことはシャディクの悪意によるものではなく、誰が起こしたかに関係なく戦場ならどこでも起こりうることだと思います。


「いや、そもそも暗殺がダメだろ」


 それもそうなのですが、そのことでシャディクを責める気にはなれません。ベネリットグループ各社の大人たちはそれくらい汚い手は平気で使って権力闘争しており、シャディクだけが特に汚いとは言えませんので……

 そう、シャディクはまだ学生ながら大人たちと同じフィールドで戦っています。彼に限らずアスティカシア学園の生徒たちの多くは将来そこに加わる定めなのでしょうが、シャディクは養子という立場ゆえ、それが他より早まったに過ぎません。

 そこはもう戦国時代のようなものだと思います。

 そんな「やらねばやられる」環境なら、生き残るため、願う未来を勝ち取るため戦う権利は誰にでもあるはずです。あるいは戦わない選択肢もあったかも知れませんが、戦うことを選んだ彼を僕は全否定する気にはなれません。

 それは過去のガンダムシリーズの主人公たちも同じだからです。

 彼らの戦う理由は様々ですが、中には敵が襲ってくるから仕方なくという受動的な姿勢に留まらず、自らの願いのために能動的に戦いを仕掛けているケースも少なくありません。

 その戦いは(多少の例外はあるものの)充分な正当性があるように描かれてきましたが、その決断のために犠牲になったり不幸にされたりした人がいるのも事実です。シャディクの戦いもそれと同じで、ただ負の側面が視聴者に強調される角度で見せられているだけのように思えるのです。

 プロスペラについても、彼女が娘にしていることが過去作で敵陣営が行っていた分かりやすく非人道的な洗脳ではなく、むしろ主人公サイドで行われていてあまり糾弾されてこなかった、まだ子供の主人公に身近な大人が戦いを強いる図式そのままなのだとしたら。

 シャディクも

 プロスペラも

 行いは過去作では看過されてきたことと変わらいものの、本作ではそれらについて問題提起するため、あえて悪役らしく描かれていることになります。だとしたら2人は後半戦の第2クールで、最終的にどうなるのでしょうか。

 否定されるべき悪として討たれるのか。

 そこまでの悪ではないと許されるのか。

 それによって本作に対する評価は大きく分かれると思います。


 ……まぁ、そんなことより僕はプロスペラのこともシャディクのことも好きなので死なずに幸せになってもらいたいんですけどね! もちろんスレッタ、ミオリネ、グエルくんら他のメインキャラたちにも! 4号くんも隠れてないで()出ておいで!!

 だがペイル社CEOの4人、オメーらはダメだ。

 直火で炙られ焼きとうもろこしになってしまえ。

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