この界隈にいると、自信が持てなくて落ち込んだり卑屈になってしまったりという話を定期的に見かけます。
私自身も大いに他人事ではないのですが(苦笑)
「この人は俺には書けないものをこんなにも書いている。
だが俺は誰にでも書けるようなことしか書けない。
俺はこの人と比べて何もかもが劣っている。死にたい」
人様の作品を読ませていただいて、こう思うことが最近よくありました。
この強烈な敗北感をそのままその作者様に伝えても負担をかけてしまうでしょう。なので相手に自信を持ってもらうため、喜んでもらうための褒め言葉として「貴方の作品に打ちのめされている」くらいにオブラートに包んで伝えています。
ただ、それでも内面のやっかみが漏れだしてご不快にさせてしまっていたかも知れません。申し訳ありませんでした。
今では「自分が全面的に劣っている」という考えは間違いだったとはっきりわかります。
私にそう気づかせてくれたのは他でもない、私に致命的な敗北を味わわせ絶望のドン底に叩き落してくれた魔王様でした。
拙作『機巧操兵アーカディアン』に近い舞台設定で、
私には書けない重厚なドラマを展開する傑作、
『PEAXION-ピージオン-』の作者、東雲メメ先生。
JDこと村雲唯円先生が主催されたオフ会に参加した日、初めて現実でお会いした東雲メメ先生は、打ちのめされているという私の言葉にごく自然に
「こっちもですからね⁉」
と返してくださいました。
その一言で救われました。
その一言で気づきました。
「俺の書いてるものは
『誰にでも書けるもの』じゃない。
『俺にしか書けないもの』だったんだ」と。
この場を借りてお礼を申し上げます。
東雲先生、ありがとうございました。
これまた僕には書けないものをごっそりお持ちの、
『竟憶のリトロス』の作者・鉄機装撃郎先生も
アーカディアンへの感想で「自分に書けないもの」と仰って下さったことも、そのことに気づかされるきっかけでした。
鉄機先生、ありがとうございました!
気づいてみれば当たり前のことでした。
自分が人様の作品を見て「自分には書けない」と思うように、
人様も自分の作品を見て「自分には書けない」と思うことは。
何故それがわからなかったか。
考えて、理由がわかりました。
自分にできることというのは「当たり前」になってしまって、それを凄いことだとは思わなくなってしまう、私がそういうタイプの人間だったからです。
自分にできることはあまり意識せず自信に繋がらず、自分にできないことばかり意識して、それができる人に劣等感を抱いてしまう。
それに、自分の作品は自分の面白いと信じるものを詰め込んで作ってはいますが、何分自分の知識で書かれたものなので新鮮味はないんですよね。
「なんだこれ! 知らない! 書けない!」
そういう感動は人様の作品でなければ。自分の作品からは決して得られない。
そのせいで自分の作品があまり面白くないように『錯覚』してしまう。
作者こそが自分の作品を不当に過小評価してしまう。
同じ状態に陥っている人は、どうも大勢おられるようです。
ですので口幅ったくて恐縮ですが、
同類からの忠言をお許しください。
自分の作品に自信が持てない方。
自分の作品が褒められても、自分で自作を面白いと思っていないためにその言葉を信じられない方。
どうか、あなたに向けられた称賛を素直に受け取ってください。
その言葉はお世辞ではありません。本当に面白いと思っています。
あなたの作品は本当に面白いのに、あなたが作者であるが故にそれが見えなくなっているだけなんです。
最後に。私たち物書き同士はこうして「自分にないものをあなたは持っている」と言い合って、互いを尊敬する関係を築けたら素敵だなぁと思います。