「親ガチャ」という言葉がある、あってしまっている。
確かに「親ガチャ」はある、間違いなくあると言っていい。断言しよう、親ガチャは「ある」と言って構わない。
例えば東京大学や京都大学に入れる奴は頭どころか顔も良いし、実家も屋久杉並みに太いし、凡人が思う欲しいものはみんな持っているし、
そもそもの話彼ら彼女らは遺伝子的に優れていて始まりの時点で既に凡人とは違っている。それは事実だ。
個人的には「親ガチャは確実にある」としてもそれに全責任を押し付けて自分は被害者ぶるのはどうしても許せない。
「親ガチャのせいにせずに少しは自分の人生がいい方向になるように、自力で努力する気はあるのか!? 誰かが尻を拭いてくれるのをじっと待ち続けるのかお前は!」ぐらいは言わせてほしい。
「親ガチャしくじったから、どうせ何しても上手く行くわけがない」っていう諦めこそが「親ガチャ」の最も悪い部分だと思う。
「上手く行かないのは他人のせい、上手く行ったら自分のおかげ」こんな事言う奴は時代や場所を問わずに嫌われるのに決まってるじゃないか。
「俺はお前らハズレ親のせいで酷い人生を歩むようになってしまった。責任取れ」って親に向かって背筋を伸ばして、親の目をはっきりと見て、腹の底からそのセリフが言えるのか? 少しは考えてほしい。
具体的にどういう親が当たり親の基準なのかは分からん、というかそんなの知りたくも無いので詳しくはないが日本の著名人に限定して言えば「長嶋茂雄の息子」は間違いなく当たりだろう。
だが周りの大人たちは自分の事を名前ではなく「あの『長嶋茂雄』の息子」としか見ておらず、プレゼントをくれるがそれは全て「父親を喜ばせるため」だけだ。
という恐怖に耐えられるだろうか? 果たして「幼い頃から自分の欲望を満たすためだけに子供を利用する汚い大人」を間近で見続けて正気を保てるだろうか?
他にも「美空ひばりの息子」は間違いなく親ガチャ大当たりだろうが、その息子本人は親が生きている間は親のスネをかじり続けて、
親が死んだ後も死体のスネをかじり続けて、死ぬまで自立することなく親に依存して暮らすつもりらしいが、それが本当に正解なのか? 素晴らしいワンダフルな人生なのか?
というのを1回は真剣に考えてみてくれ。
真剣に考えに考えぬいた末に
「やっぱり長嶋茂雄や美空ひばりの子供に産まれたかった! いや世界に目を向けてビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズやイーロン・マスクの子供に産まれて、親ガチャSSRになりたかった!」
って真顔で言っても今の俺は怒らないから。
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