「人は何のために生きるか?」
結論から言いますと「そんな答えなんてお前なんかに出せるわけがない。出たとしても自分自身にしか通じないものだ」としか言えません。
何故なら「人は何のために生きるか?」という問いに「中には歴史にその名を刻むほどの高名な哲学者もいる」が
「その哲学者たちが何千人何万人」と集まり「何百年何千年と考えに考え続け」ても「一向に答えらしきものは出ない」からです。
実際、本物の哲学者でさえ自殺しようとする若者を止めるためには「君が死んだら私が悲しいから死んではいけない」としか言えなかったそうです。
なので「人類の歴史の中では取るに足らないお前ごときがいくら考えても無駄だ。答えなんて出るわけがない」とだけは言っておきます。
とはいえそれだけで終わってもアレなのに個人的に、あくまで個人的な人生の答え「のようなもの」を載せておきます。
人生とはすなわち「納得する答えを探す旅」なのではと思う。
仮に神ともいえる全知全能の存在がいたとして、そいつに「今世も来世もそのまた来世も、奴隷として他者に死ぬまで搾取される。それがお前の運命であり宿命だ」とか
「お前はただこの世に存在するだけで他者に不幸をまき散らす存在自体が害悪な存在だ。
今すぐ死んだほうが世のため人のため地球のため宇宙のためになる。お前なんてこの世に産まれなければよかったんだ」等と言われても納得できるでしょうか?
おそらくは出来ないでしょう。
なのでもし「生きる意味」をムリヤリ定義づけるとしたら「納得するために生きる」というのが現時点で「最も納得のいく答え」と個人的には言えるものです。
人生の早い段階で納得できる答えを探せた幸運な人もいるでしょうし、一生かかっても納得のいく答えを探せずに死んでしまう人もいるでしょうが。