子供の話ではなく小説の話である。
誰に頼まれたわけでもないのに、とりつかれたみたいに書いてきた〈神慈悲〉(レビュワー様にいただきました。こんなふうに縮められるんだ(笑))ももう三作目…って、三作目が入力できるようになったから二作目全公開したんですけど(三作目は近いうちに)。
私本来めちゃくちゃ遅筆で、何か月とか何年も書かないことザラなんですけど。書いてない間は読んでるか落書き(絵)してたりするだけなので。
しかし本当にどうしようもない話だと自分でも思う(笑)。
今考えたら、一作目で、やっちゃいけないこと全部やってる!
書き出しをセリフで始めてるし(しかもカトリックのミサ奉献文なんてワケのわからんもんで…)、
伏線を一作中で回収してないし、
全員日本人とは縁もゆかりもないキャラだし(まあ異世界ファンタジーなら「全員日本人じゃない」んですけど…)
BLなんだかそうでないのかよくわからんし(持っていきたい希望はあるのに結界でも張ってあるのか?)、
一章中でも視点をコロコロ変えてるし!(一番やっちゃいけないとされる)
登場人物はわかってる前提で暗号みたいな会話するし!(注釈入れるべき??)
…だってこういうふうに書きたかったんだもんというか書けなかったんだもんというしかありません。
時々暗号みたいな会話するのはですね…ほかの小説を読んでいてもあるんですが、そのときはわからなくても何かのときに(それこそ探偵が事件とは全く関係のないことをしているときに事件解決のヒントをみつけるみたいに)「あー、あのときあの話で言ってたのはこれかチクショー!」ってわかることがあるので、そうなったらいいなあと思っているのもあります。
あとは「○○系の話を読む人なら、多分これくらいまでは知識があるはず」みたいな前提で書かれた話が好きだから、というのもあるかもしれません(だからって自分でやるなよともいう)。
もちろん「この話何言ってるのか全然ワカンネ」って読むのをやめる可能性が高いことも承知しています。でもまあそこはそれ、「話が地味で小難しい」のは昔からなので…。
多分ですね…半年くらいたって冷静になったら「なんでこんな話書いたんだろう…」と思うと思うんですよ。黒歴史的な。
それでもこういう「お話」が自分の中にできてしまった以上は、外に出さないといけない。でないとずっと成仏できない(仏教徒)。
これまで書いてきたものはみんなそうです。他の人が読んで面白いかどうかはさておき。
想定読者は「未来のある時点で、自分もしくは自分に似た感性の人が読んだときに、少なくとも日本語の文章として理解できるか? 狙った効果は出せているか?」くらいなものなので。
実際、中だるみしてるとことか読むと、「日本語としてはおかしくない(と思う)んだけど、なんでこの章必要なの?」とか、「(自分の書いた話だから)わかっちゃいるけど、フラットだよなあ、もうちょっとどうにかなんないの。手直ししてこれかよ」とかいろいろ思うところはあります。あります…が、どうにかするアイデアも筆力も(現在のところ)、ない。おまけに、代わりに書いて(産んで)くれる人がいるわけでも、ない。
それでも、ラストシーンまでイメージできてしまったからには、書くしかない。
産むにあたって、立ち合い出産とか、応援してくれる人がいる場合がありますよね。
公開「後」ならば、♥がついたり、コメントをもらえたりすることは、ある。でも、「前」なので、ひとりで産むしかない。
おそらく、どの書き手にとっても一番つらいときなのではないかと。こんなもの書いても面白いと思ってもらえるかどうかわからない、そもそも読んでもらえるかさえ…←ループ。
それでも書きたいから書くんだよ、の今回の心の支えになったのはこれです。
Va où tu peux,meurs où tu dois.――行けるところまで行き、死ぬべきところで死ね。
…行けるところまで、っていうのはわかるんですけど、この話の「死ぬべきところ」ってどこなんだろう…??