数字の多寡で優劣が決まるものとは違って、よっぽどのレベル差がない限り、文芸作品の優劣って明白な差などあり得ないと思っております。「いや、作品の間には明確な優劣の差がある」という方がいらっしゃれば「それってあなた個人の感想ですよね」と論破したくなります。
紫式部とアガサ・クリスティとさくらももこの作品を比較することの馬鹿馬鹿しさを考えてみればわかりませんか? 結局好みの問題でしょう? だから賞に選ばれたら好みが選者と合ってたのだろうなと思いますし、受賞作は傑作も、受賞かどうか実のところって運と相性だと思います。ちょっと宝くじっぽいです。
出版を前提とした編集部が選ぶコンテストだと各編集部が扱える範囲(ジャンル)で今ある需要に応える売れ筋のものをということになります。自分の好みと合おうが合うまいが、読者が読みたいであろうかつ売れるであろう内容や表現という縛りに自分の作品を合わせて行くのだからストイックな世界です。編集者も真面目に賞を狙う人たちの多くも、現在の「傾向と対策」に従うものを追求するのだから、似た作品があつまり、作品の間の差異も少なくなるでしょう。その先はやはり編集者の好みとなります。受賞した作品が、傑作だったから、といって受賞しなかった作品が傑作ではないと言うことにはなりません。
言いたいことは何かというと「受賞しなかったことを理由に自分の傑作の価値を疑うんじゃない!」ってことです。賞の数より傑作の方が数が多いんですから仕方がないのです。
さらに頑固にマイペースで今現在の流行りじゃないジャンルを流行りじゃない作風で自由に書いている皆さん。皆さんは逆風の中に立っているのと同じです。ハッキリ言って非常に評価されにくいです。でも、文芸の可能性と命脈は皆さんに委ねられているのです。皆さんはレアな遺伝情報を持っているのと同じです。
今の売れ筋は将来徐々にあるいは突然売れ筋ではなくなるでしょう。その売れ筋に最適化して、過剰適応してしまった方々はおそらく次の時代の売れ筋には対応できないのです。次の時代の文芸では、それ以外のジャンルと作風に強みを持つ皆さんの傑作が非常に価値を持つのです。
今、賞がもらえなくても、不人気なジャンルでも、自分の意思と主張を思い切って作品に込めましょう。どこかの誰かがあなたの傑作を必要としています。ひょっとしたら、今ではなく近い将来かもしれません。
賞なんてキッカケ。賞なんてお祭り。賞をもらえたらそいつはめでたい。おめでとう。賞をもらえなかったとしても、その評価はあくまでも今、現在という限定された時代の、しかもごく少数の評価に過ぎません。受賞できなくて「チカラ及ばず」のコメントをされた方がいらっしゃいますが、及ばなかったのは作品ではなく時代の方かもしれませんよ。だからもっと胸を張ってごーまんかまして好き勝手書いてください。多分、その方が少なくともワタクシには面白そうですので、ワタクシのわがまま。
かく言うワタクシは、自分が楽しめる自分が読みたい作品を書きたいので、あくまでも傲慢に好きなこと好きなように書かせていただいております。その上、偏屈なのでなるべく他の人とは違うことをやりたいなとは思っております。
飲み物に例えるならば、水やお茶やコーヒーやコーラやスムージーやジュースやビールやワインではなく、きっとタガメサワー。いつかタガメサワーの時代が来る! ことはなさそうだなあ。
『土岐の殿さまのやり直し-1.0(マイナスワン)』
「第3話 怒る市杵島姫(いちきしまひめ)」更新しました。シリアスな前回とは打って変わってポンコツなサラスバティが市杵島姫に泣きついております。
https://kakuyomu.jp/works/16818093076593231132/episodes/16818093078014963270本日のオマケ写真。コレなーんだ?
ではではまた。
Hasta la vista baby
<(_ _)>