日本古代の氏(うじ<うぢ)は、いわゆるクラン=ゲンス的な氏族制度とは異なると説明される。
氏は氏上《このかみ》を頂点とし、擬制的なものを含む血縁を結束の核としていた。大きい氏は小さい氏を配下に持ち、領地・領民を有する一種の生産共同体であった。……と考えると、ごく大まかに言えば武家時代の「家」(江戸時代の「藩」を含む)と性格は似ていたことになる。
氏はその血縁を証明する神話のようなものを持っていたとみられ、その神話を実修するための場が古墳であっただろう。とすると古墳の衰退期に入っていく6世紀末は、すでに氏の衰退期でもあった。