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【比翼番外:以毒制全】煌双子SS

※本編『拾陸※※』時間軸、貴陽サイドになります。

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 監視のためだと分かっていても。宣誓呪詛式のおまけだと分かっていても。

 視力が回復して良かったと思えた理由が、ふたつある。

「お兄様」

 早朝を少し回ったくらいの時間帯が、煌家本宅は一番静かだ。元より現当主と当主補佐の双子があまり賑やかしいのを好まないから、この屋敷は先代の時代よりもかなり人の気配が薄くなった。

 その常の静寂の中にひそやかな声を聞き取った貴陽は、足を止めると声の方を振り返る。

 それからゆったりと、常と変わらない笑みを浮かべた。

「おはよう、貴姫」

 盛夏の頃を少し回った午前の日差しは、くっきりと濃い影を作り出している。

 その影の中、中庭の回廊の先に立つ双子の妹の姿に、貴陽はそっと目を細めた。

 ──貴姫、綺麗になったなぁ……

 煌家の血筋を示す紫の艶を帯びる黒髪は、左右の横髪を摘んで団子状に結った他はサラリと背中に流されている。常に底知れない優美な笑みが浮かべられている顔は、男女の違いはあれども貴陽に酷似していた。

 サラリと一級品の襦裙を着こなす様は、まさに非の打ち所のない『深窓の姫君』だ。今でも女装に身を包めば軽く後宮の妃嬪達を出し抜ける自信がある貴陽だが、さすがにこの双子の妹には敵わないだろうなとも思っている。

 ──視力を失っても、呪力の流れを読めば、日常生活に支障はなかったけども。

 でも、こうして成長した妹の姿を目に焼き付けることは、叶わなかった。

 ──昔は、入れ替わっても周囲に気付かれないくらい、そっくりだったのに。

 そのことに、ほんの少しだけほろ苦い笑みが口元に浮いた。だがそれをすぐに押し隠して、貴陽は貴姫に向き直る。

「……お出かけですか」

 声をかけてきたくせに、貴姫は己から距離を詰めようとはしてこない。その顔に常の笑みがないことにようやく気付いた貴陽は、さらに内心だけで苦笑を浮かべた。

 ──あーあー、もう。最後まで完璧に協力してみせてよね、貴姫。

「うん。そろそろ行かなきゃ」
「お兄様」

 明らかに何かを察している風情の貴姫を視界に入れるわけにはいかず、貴陽は会話を切り上げるように貴姫に背中を向けた。そんな貴陽の背中に、貴姫の硬い声が投げかけられる。

「慈雲兄様は、いついらっしゃいますか」

 その言葉に、貴陽は踏み出そうとしていた足を止めた。

 慈雲がこの屋敷を訪れる予定など、元からない。慈雲は貴陽が引きずってこないと、この屋敷に遊びに来てはくれないのだから。

 そんなこと、貴姫は百も承知している。貴姫とて『煌の双毒』の異名を貴陽とともに負う、立派な毒花だ。会いたくなれば、貴姫は貴陽に請わずとも、自力で屋敷を抜け出し、ひっそり一服盛って慈雲を屋敷まで強引に引きずってくることくらい、簡単にやってのけるだろう。

 だからこれは、盗み聞きをしている『誰かさん』を出し抜くための、二人だけの秘密の会話だ。

 ──嗚呼。

 こんな会話を、この間も、別の相手とした。

 泉仙省泉部の長官室で。見慣れない色に身を包んだ、己の唯一無二の相方と。

 ──あの色に身を包んだ君を目に焼き付けることができて、良かった。

 たとえ進む道の先が、破滅に繋がっていようとも。

 あの時交わした言葉を守れないかもしれないと、うっすら感じていても。

 それでもあの瞬間、思ってしまった。

『あの交渉が成立していて良かった』と。『この光景を目に焼き付けることができたから、もう何を犠牲にしてもいいのかもしれない』と。

「……しばらく、慈雲は忙しそうだからねぇ」

 その感傷をキュッと奥歯のひと噛みで飲み込んでから、貴陽は貴姫を振り返った。母の腹の中から共にあった妹には、それだけで全てが通じたのだろう。一度うつむいて表情を隠した貴姫は、ひと呼吸の間で常の優美な笑みを纏い直す。

「お兄様も、ですか」
「そうだねぇ」
「二人纏めて、一服盛ってやるべきかもしれませんわね」
「わ、やめてよね。慈雲に一服盛っていいのは僕だけなんだから」
「ふふっ、慈雲兄様に害を成すようなモノは盛りませんわ」
「分かってるけど、でもダメ」
「ズルいですわよ、お兄様。わたくしも慈雲兄様に構われたいです」
「いくら貴姫が相手でも、ダメなものはダメ」
「でしたら、なるべく早めに慈雲兄様を連れて帰ってきてくださいな」

 今度の貴姫は、表情を揺らさなかった。ただ、紫水晶の瞳の奥が笑っていない。

「お兄様がマゴマゴしているならば、慈雲兄様はわたくしがもらい受けますから」

 その表情を目の当たりにした瞬間、純粋な驚きで息が詰まった。

 だがその驚きが何に対する驚きなのかが瞬時に理解できなかったせいで、反論の言葉が浮かばない。

 ──いつからそんな目ができるようになったの、貴姫。

 いや、できることは知っていた。

 男女の双子は凶兆だと、生まれた瞬間から忌まれてきた。大人しく家に殉じて死んでいこうとしていた最中に慈雲に出会って、自分達は己の毒を以て自分達が『自分達』として生きていける場所を作り出すことにしようと考えを改めた。

 その過程で近しい血族とも毒を以て殺し合った。その最中、自分の瞳が感情をなくしていたように、貴姫だって同じ瞳をさらしていたことくらい……今と同じ瞳を幼くして垣間見せていたことくらい、常に隣にあった貴陽が誰よりも知っていたはずだ。

 だが、それでも。

 その冷たさを自分に向けられたことは、ついぞなかった。己の相方を話題に挙げて、この瞳を向けられたことは、なかった。

 ずっと昔にこうなっていても、おかしくなかったはずなのに。

 それなのに、そうならなかったのは……

「ダメ」

 理由に思い至った、その瞬間。

 考えるよりも早く、低く凍てついた声が喉から滑り落ちていた。自分の瞳から全ての感情が抜け落ちて、相対する瞳とまったく同じモノが貴姫に据えられたのが分かる。

「貴姫でも、ダメ」

 貴姫が自分に向けた以上の『毒』を、貴陽は貴姫に向け返す。その視線に一瞬、貴姫の肩がビクリと震えたのが分かった。

「慈雲は、僕のだよ」

 同時に、思う。

 ──貴姫も、僕の、唯一無二の片翼なんだよね。

 生まれ落ちた瞬間から共にあり、同じ世界で、同じ毒にさらされて生きてきた。同じ毒を振るい、同じ存在に焦がれてきた。

 泉仙省泉部の退魔師が『命を預け合って飛ぶ無二の対』を『比翼』と呼ぶならば、貴陽には二種類の『比翼』があった。

 全てをなげうってでも追いかけて手に入れた無二の相方と。

 全てが筒抜けだったからこそ、我が儘を通してしまった無二の分身が。

 ──ごめんね、貴姫。でも……

「分かっているのであれば、よろしいのです」

 口にする言葉も、目にする表情も、全て『向こう』に抜けてしまう。

 だからこそ飲み込むしかない言葉がまるで念話を通して聞こえたかのように、貴姫は貴陽の胸の内を掬い上げた。

「お兄様。わたくし、わたくし達兄妹を掬い上げてくださった慈雲兄様が、大好きです」
「うん」
「でも、お兄様の『大好き』には負けるので、お兄様に譲って差し上げました」
「うん」
「というよりも、お兄様が慈雲兄様を捕獲して、『二人の妹』の立場に収まるのがわたくしの理想の形でしたので。だからこそ、お兄様の奮闘を、わたくし、心の底から応援しております」
「知ってるよ」

 慈雲に聞かれたら『当人をほっぽってお前らは何を勝手に決めてるんだ!?』と絶叫されそうだな、なんて考えが過ぎった瞬間、口元がほんのわずかにほころんだような気がした。

 それはきっと、貴姫も同じだったのだろう。まったく同じ瞬間に、貴姫の唇もふわりと柔らかな笑みを浮かべる。

「ですから、諦めて勝手に散ることなど、許しません」

 そこまで言い切ってから、貴姫はコツリと足を踏み出した。コツリ、コツリと一歩ずつ、二人の間にある距離が詰まっていく。

「慈雲兄様がお好きなお酒と、わたくし達が好きなお酒、しこたま用意しておきますから」

 次に足音が止まった時。

 貴姫の頭が、目の前にあった。そっと瞼を閉じて額を預ける貴姫と同じように額を預ければ、コツリと互いの額が触れ合って、互いに支え合う位置で頭が止まる。

「お兄様達の『お仕事』が終わった暁には、夜が明けるまで三人で呑んだくれましょうね」

 慈雲の体温は、いつも自分よりも高くて。負傷して運び込まれてくる退魔師達の体温は、いつも自分よりも低い。

 己の分身である貴姫だけが。いつだって、どんな時だって、触れれば同じ体温を持っている。

「……うん、約束」

 物心ついた時から変わらない『指切り』の仕草に、泣き笑いのような笑みを浮かべながら、貴陽はそっと囁いた。互いに目を閉じていたって、互いに視界が効かないのをいいことに、同じ顔で笑っているのが分かる。

 世界の誰に伝わらなくても。

 自分達だけには、痛いほどに伝わり合っている。

「……行ってくるね、貴姫」
「はい。行ってらっしゃいませ。今日も我々の座は、わたくしが完璧に守りきってみせます」
「油断しないようにね」
「お兄様こそ」

 そっと囁やき合って、額を離す。額を預け合っていた間に絡んでいた指は、同時にスルリと解けて離れた。

「毒の頂点に立ちたる者」
「毒を以て、全てを制すべし」

 いつの間にか合言葉となっていた言葉は、比翼を誓う言葉と同じくらい、スルリと己の舌に馴染む。

 互いに背を向けるのは、計ったように同じだった。互いの道を歩き始めれば、もう振り返ることはない。『己の分身ならば、これくらいのことは余裕でこなせて当然』という自負に似た確信が、そこにはあるから。

 ──だからもう、感傷なんて、いらない。

 もうひとつの宣誓に背中を押されるように、貴陽はまぶしい光の中へ踏み出した。

「やだなぁ、もう。この時間からこんなにあっついなんて」

 こんな中で地盤の解析なんて。ぶっ倒れたら慈雲に介抱してもーらお。

 盗み聞きをしている『誰かさん』に、あえてそんな惚気を聞かせながら。

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