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イタリアものの執筆の難しさ

近況ノートに目を通していただいてありがとうございますm(__)m

今、3話目を半分くらい書いたところで、現実逃避で近況ノートを書いているのですが……

大筋とすでにほとんどできているシーンを埋めてストーリーとしてまとめてゆくところで苦戦をしていたりします。

それと、イタリア関係、というか、西洋史系の物事を記述しようとするときに、おそらく他の作家さんにはない問題がひとつあって、それで時間を地味に奪われていることを昨夜、自覚しました。

執筆中、多くの場合、イタリア語で考えていることが多いということなんです。

私は日本人で母国語は当然日本語なんですが、イタリア留学と在住時に脳の中にイタリア語領域ができました。

(後は、過去生由来の言語スキルというのが存在しているのではないかと思います。どんなに耳にしても、習おうとしても、身につかない言語ー韓国語、中国語、トルコ語、ドイツ語ーがある一方で、比較的、スムーズに入ってくる言語があるのは、その関係ではないかと疑っています)

現在は日本在住なので、普段、多くの場合は日本語で思考し、語るのですが
白人系の顔を見たり、アルファベットを見たり、周りでイタリア語を話すのが聞こえたり、西洋の何かを認知した瞬間に、言語領域がイタリア語に切り替わっているのです。

おそらく、多くの人は言葉を発する時、

日本語→イタリア語

という状態ではないかと思うのですが、私は日本語を翻訳する部分がなく、ダイレクトにイタリア語を話す状態なのです。
(その代わり、英語の部分はすべてイタリア語に置き換わっているので、英語を話しているつもりで、最初の数語を英語で話した後に、英語のつもりでイタリア語で話しているイタい日本人になっている)

なんせ、イタリア語で寝言を話すこともよくあるのです。

私の本業は、スピリチュアル業界でトレーナーとか、ヒプノセラピストと呼ばれるものなのですが、「器用貧乏」と自称しており、さまざま中途半端なスキルを持っていますが
イタリア語に関しては通訳・翻訳者(日本で教えているスピリチュアルのメソッドをイタリア語でも教えているレベル)であったりします。
通訳・翻訳の仕事をするのが嫌いなので、ほとんどやらないので、宝の持ち腐れです。

もちろん、小説を書いているときは日本語で書いているはずなのですが、すでに出来上がっているシーン(脳内の動画的なもの)を眺めながら、もしくは、会話をしている場面を聞き取りながら、それを言語化するというのに近い作業をしているのです。
なので、意識の中では、中世イタリアの風景が展開しているために、イタリア語脳が優勢になっている状況です。
ある種の単語や表現がどうしてもイタリア語で出てきてしまい、日本語でなんと言うのか、良い言い方がないか、該当する日本語を探してネットでウロウロすることもしばしば。

日本語にどうやっても訳せない、イタリア人ならではの感情表現もあるし、イタリア固有の物事を日本語でわかりやすく説明するのは頭を使うだろうし

資料などはほぼほぼイタリア語からダイレクトに拾っているので、イタリア語で最初に覚えたものはイタリア語で出てきてしまうというところ。
なので、それを日本語の文章で表現するのに、すでに日本語に翻訳された、日本人に認知された専門用語に変換しなくてはいけないという、面倒な作業が時々出てくるわけです……。

日本語を話すために必要な語彙数は
10,000語で
イタリア語は
3,000語
らしいので、日本語化するときに多くの言葉の候補の中から選ばなくてはいけないという難しさがあるのかも。

日本語の表現が多彩で奥深いからこそ、難しくなるというのはあるのでしょう。

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