僕のようなweb作家に限らず、多くの人々は正義について様々なイメージとそれに伴う信念を持っている。
しかしそれは往々にして、正義の味方がマントと共にひるがえして我々に訴えかけるものであって、
決して日常下で個々人が行っているものではない。
それ故に我々は悪役(ヒール)にも同様に惹かれる。
本作の主人公である、落ちぶれた弁護士「フランク・ギャルヴィン」もまた、信念をアルコール依存症によってどこかへと漂わせ、冴えない日々を送っている。
彼は師匠であり良き同業者である「ミッキー」により、簡単に解決できそうな事件を任されるが、そこで彼は少しずつ信念を再び抱き始める。
悲しいかな、「簡単な事件」であるのはあくまでも調停に持ち込んだ場合であって、裁判、すなわち正義の場へと持ち出した時、
弁護士としての力量がものを言う残酷な世界へと転じる。
そう、もはや正義は、優れた者と、スーパーヒーローの専売特許となっており、各人の心には正義への羨望しかないのである。
この裁判には正義を再び一部の権威から、自分たちの権利へと戻そうという一歩なのである。
医師も弁護士も、「任せておけ」と「ベストを尽くした」の二言で済ませてしまう種族なのか。
改めて陪審員と共に正義について考えさせられる。
裁判に列席する様々な立場のうち、どの人物に感情移入できるか、その点こそ、より本作を観るべき作品へと昇華させる。
