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映画「ジョーカー」を観ての個人的回想

非常にダークでありつつ、どのアメコミよりも身近で、いわゆる「闇落ち」はそこかしこで起こりかねないのだなと痛感する。

それというのも僕自身、今でこそ意識高い系もびっくりなほどに自己肯定に満ちている風にツイート等しており、それはもう、虎へと変化しそうなまでの自尊心だ。

でもそれはアカウント名が「Ayanami」からカクヨムでの執筆を開始した「綾波宗水」へと変化する以前、すなわち数年前までは絶望に浸っていた。

気力だけでは決して行動できなかったので、表情フィードバック仮説を信じて、誰も居ない場所でひたすら作り笑いで、脳を「快」であると誤魔化そうとしていた。

僕のストレス発散法に、寺社仏閣へ訪れるというのがあるが、文字通りそれは神頼みに他ならない。
日記をつけている事に加え、大抵、病んだ時に寺社仏閣へ行く際は、おみくじも持って帰る。

そうすると、過去にさかのぼるほどに、日記におみくじが貼られているのだ。
もはや、ひたすらに自己啓発書を買い込むダメリーマンさながらで、結局、今となって思えば、精神安定効果しかなかった気もしなくはない。何とも都合のいい信徒である。

ある時は、とある神社の光景が美しすぎて、ここで毎日、時間のある時に読書などをするか、もしくは穢される前にここで神隠しにでもあってほしいと願った。

いささかスピリチュアルな事を言うならば、その寺社仏閣との周波数が重なった的な感じだろうか。
だからこそ未だに僕は、『ヨスガノソラ』聖地・樺埼八幡宮へ巡礼できていないのもある。きっと、もう、思い残すことがなくなってしまうから。

さて、ジョーカーに少し戻ると、冴えないオジサンである主人公「アーサー・フレック」が僕における「Ayanami」時代であり、
ジョーカーとなった世界線が、今の僕である「綾波宗水」に思えてならない。

彼はコメディアンとして「喜劇」を追求することで自我を確立させたように、
僕も「小説」を執筆することで新たな自我を創作した。

これは冒頭でも述べたように、善悪は紙一重の差であり、僕もシリアルキラーになっていたかもしれないのだ。

サイコパスとシリアルキラーは違う。
ガイナックス初代社長にしておたく評論家である岡田斗司夫先生の言葉を引用させていただくと、

『サイコパスというのは、脳の機能障害であって、その症状としては「社会性の欠如」というのがあるわけですよ。

ただし「人間嫌い」なわけではないんです。
だから、「人間は嫌いだから、皆殺してやれ!」というわけではなくて、極端に自分勝手であったり、または目的のために手段を選ばない人なわけですね。

(中略)

医者とか経営者になったとしても、ためらいがないとか、悩みや後悔があんまりないんですね。なので「非人間的だ」と言われるんです。

だから、サイコパスの能力、もしくは偏りを、社会のために使えば「役に立つんだけど、そこそこ気持ち悪い人」になる。
「あの人すごいんだけど、友達としてはどうかね?」と言われるようになるし。
反対に、反社会のために使っちゃえば、それはもう、犯罪者になっちゃうわけですね。』

僕も「質問箱」で、これまで約760件ほど回答してきたが、ややもすれば合理的判断性はある種のサイコパスさも感じかねない。

だからこそ、目的手段への直結回路としてシリアルキラーともなりかねないのであり、そういった意味では、人は誰しもがジョーカー足り得るのである。
そしてこの世にヒーローはいない。
まさに、独身と独身貴族が表裏一体であるのと同じこと。そしていずれも孤独であることに違いはない。違いはただ、当人の在り方だけ。

あーっひゃっひゃっひゃっひゃwwww

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