柳田国男さんの名著です。
どんな怪談本よりもぶっちぎりで怖いなと認識している本でもあります。
この本の中で語られる怪談は、発端も不明なら、結論も切ってそこらに投げました的な無造作な性質が強くて、それがマジ恐い。
本当の怪談には始まりも終わりも無いのですよね。
最近たまたま聞いていたyoutubu の怪談番組の中で、「遠野物語」の“現代語訳”を買いました。これ、イイっすよ~♪なる言葉を耳にしました。
ん?あれって、そんな難しかったか?
何の苦労も感じずホイホイ読んで、怖えぇなぁ~とか、恐怖を楽しんでいた記憶しかない。
その時出先だったので、ネット検索して原文を見つけました。
ああ、文語調だからか。
現代語訳ではなくて、口語体へ変換した訳か。
まあ、普段本を読み慣れていない人には難易度高いだろうなぁ。
まあ、すぐに言えばまどろっこしいわな。
でも私、原文の方が好きです。
何もかもが不便で、いちいち四苦八苦しているような頃の話。
電車で何時間も掛けて現地に行って、地面に含まれている僅かな水分を頼りにうらうらと立ち昇る陽炎の間をとぼとぼと歩いて行く作者の背中が想像に浮かびます。
時折吹き付けてくる、ぼってりと不快な生暖かい風の中には粉末と化しているとしても、馬糞も込みである…、と。
想像してみると、そんなん絶っ対ぇ経験したく無ぇ!!ような…。う~ん…。
ま、思うよね。
でもさ、柳田国男さんは無我夢中でそこに赴いたようなので、些末な事は気にならんかったろうよ。
そうして、彼は何日も何年もそれに情熱を傾ける。(た。なのかしら?)
そうこうして何年も立った後に、彼とは絶対に対面する機会が無いはずの私が彼の本を見つけて夢中になっちゃったりする。
人生って、不思議よね。
ところで、こんな駄法螺をアップしようとしているという事は、ひねもす堂が滞っているのよね。
カッコ良いことを書いてみたいとか、誰かに感心されたいとか、雑念が入っていると言う事かな?雑念が入って道に迷うとこのような事になる。
これって、分かりやすくお話しすると、産地偽装と同じ事なのよ。
新鮮産地直送の絶対条件は、「素(す)」だから。
どんなにダサくって、カッコ悪くてみじめでも、腹の底から湧いてくる気持ちはガチの「本気」だから、勇気を持ってそれを出したら誰もが反応するよ。これは本当。
夏負けついでにアテられとるのか、私?
たまに気分転換にラジオ体操を挟みつつ、氷水をあおりつつ。
う~む…。
冷静になってカッコ悪くも見っとも無い本道に帰らなければ。