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割れたガラスと青い空、首折れカラス

 コップを割ってしまった。
割れたコップは不思議なほどきれいな音を立てました。
ガラスが割れた時――ああ、本当にガラスが割れたんだなと確信できるような音が鳴って、そこまで自身がガラス製であるということを貫徹する必要はどこにもないのではないかと疑問を覚えないでもなかった。
……ああ、コップくん。
1290円の、Amazonで買った、きれいなコップくん。
割れた時のその音は「カシァン」と言ったもので、あまりにきれいな音を立てるので私は驚いてしまいました。
破片が椅子の周りに飛び散り掃除が必要になり、帰ってくればあのコップがないことに心を痛める……次は、ステンレスにします。

 私にとってはこのように、自分の部屋が一つの小宇宙として構成されていて、出来ることなら部屋にある調度品は全て自分が何か考えて選び取ったものにしたいと考えるぐらいには自分の部屋に思い入れがある。
本やゲームで溢れているこの部屋にはブラウン管テレビが三台あり、物を積み重ねて置くものだから外からの光は差し込まず、PC前にある窓のみが唯一、外からさす自然光を取り込んでいる。普段の生活の中で、この窓からさす光の色から日毎の天気を推し量るのが私の日課……曇りの日には灰色の光が、晴天の日には青い光が、雨の日には光そのものがささず、雪の日には真っ白な光が目につく。
一番うんざりするのは、光を遮るもの一つない晴天の日で、今週は初めからずっとそのような天気になっており、全国的にも暑い日が続いた。今も窓の外を見れば青い空があり、雲ひとつないその天下において私のような日陰者は溶けて消える他ないのではないかと思えてくる。
しかし以前繰り返し書いたように、人間は一日一回陽の光を浴びないと体内時計が一時間ずつ狂っていくもので、実際に生活が本当に一時間ずつズレていくのが感覚で理解できるのが恐ろしい。定説を肉体が証明していく状況に自分自身の肉体の人間性を垣間見、これもまた気分が悪いことだった。
部屋に籠もっていると人は徐々に壊れていく。本を読むために家に居るのに本すら読めなくなるので、多少無理にでも外に出た方がいい。

 外に出る時には専ら図書館へ行く。
図書館と書くだけで予測候補に図書館カードの数列が出てくるように設定したのは私だが、これをほぼ毎日入力しているので図書館とその数列の区別がつかない有様になる。
図書館に通っていれば物事色々起こるもので、何となく顔がわかる司書も現れ始め、道すがらに写真を撮りInstagramにアップロードしていると、まるで自分が若い歳のうちにあると錯覚してしまう……いい加減、二十代も終わりに近付いているというのに。
私が大久保に長年在住しているということは内輪には常識で、私と付き合いがある人であれば知っていることも多いと思うのだが、大久保には最近カラスがやたらと多い。
Yahooでニュースにもなっていたので驚いてしまった(大久保がニュースになる時は大抵悪い情報が流れてくるものである)のだが、今回も例にもれず、最近は脂っこいものを大久保で出すことが多いのでそれを目当てにカラスが集うというものであった。
その内容の是非はともかく、確かに最近大久保ではカラスが多い。
カラス同士で相争うことも度々で、ここ最近の雲ひとつない青空にもカラスの黒い影と、その甲高い鳴き声が聞こえることがある。
カラスの内輪にも争いがあるようで、ちょうど大久保通りのガストがある辺り(上には教会があり、そこの信者もよく利用する)に首折れカラスが居る。
カラスの首が右にへし折れており、このカラスは飛ぶことができなくて、地上をぴょんぴょんぴょんとステップして歩く。
大久保にはカラスが多いのかもしれないが、カラスの王国ではないのである。


カクヨム側に短編を出そうと思っていたのですが、今年は河出の文藝賞に短編項目があるので、そちらに送ろうと考えています。
また、11月の文フリに向けた企画も動かしている途上にありますので、どうか、生暖かい目と支援によってささえていただければ幸い。

(ところで、近況ノートにいいね! がつけられるようになったそうです)
(私は他人の近況ノートが読みたいので、書いている人は軽率につけていくのが宜しいかと存じます)

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