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不在の神

ありとあらゆる神の中でもっとも強力なものは不在の神である。

そもそも、複数の神の偏在を肯定するその時点で、その世界観とは神道的なものであり、セム型一神教(いわゆるアブラハムの宗教という奴で、一般にユダヤ教・イスラム教・キリスト教を指す)の世界観とはズレが生じる。イエスとブッダが同居しているマンションの世界観は神道的なものである。多神教的と言うのが正しい気がする。一神教に対するアンチテーゼとしての無神論がある場合、汎神論とは一神教に対する最大の侮蔑であると定義することが可能である。

しかし、神は不在である。
不在という神がそこに居座っている。

おかしい。千年王国は未だに訪れていない。アドルフ・ヒトラー? あれは僭称者である。勝利したところで神の名を語りはしなかっただろう。彼は歪曲的にそれを摂取したとはいえニヒリストである――つまり、神は死んだ!

果たして本当にそうなのだろうか?

いくらニーチェが神は死んだと叫び、マルクスが唯物主義から弁証法をもって新しい世界観を構築しようとしても、民衆の間に根差す神なる存在を消却するのは難しい。仮にイエス・キリストやヤハウェといった神を消却したとしても、別の何かが神の座に代入されるのみである。神という地位・座位は消失せず、そこにはウラジーミル・レーニンや毛沢東がドスンと座ってしまうのだ。
そう考えた時に、神は不在であるという思考方法は非常に便利なものであるということがわかる。
何故祈りを捧げるのか?――神は何処かに居るからである。
ならば何故祈りに応えられないのか?――神は『今』不在だからである。
不在の神とは神なのか?――それは、『不在という名の神』なのである。

故に、私の世界感の最上位に位置するのは不在の神である。


というわけで、先月は金がなく何の行動も取れなかったが、今月はおいおい物事動かしていこうと思うわけであります。
結局短編小説一本書き上げちゃいましたが、ああいう、出すべき場所のないものを書いてしまうと始末に困る。生まれた時から死ぬことを約束されている、つまり我々のようなものである。

ソルジャーズ・レビューを書きたいです。
他にも書きたいもの、沢山あります。
書かせてくれ。

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