いわゆる被爆者手帳は、被爆者の胎児まで、つまり被爆二世までに交付されるという。
恐怖を背景に、人々を支配することを恐怖イズムという意味で、テロリズムという。
その理屈でいうと、テレビほどのテロリズム機関はないとおもう。
雪雲が近づけば「明日、都心でも大量積雪の恐れ」といい、台風が近づけば「帰宅難民発生の恐れ」と散々あおる。
そういわれれば関東経済圏の人間は、何時頃に山場を迎えるのか、明日は何時もより早く出勤するのがいいのか、それとも今時なら在宅に切り替える選択肢もあるかと検討する。
そのためにテレビを見、そしてCMを見る。
そして翌日、雪はなく、あるいは大雨大風はなく、交通公共機関は何時も通り平常運行し終わる。
テレビを見る習慣のある人は、毎回、「明日はどうなる」と気をもむ。
テレビを見ない習慣の人は、「あおられた」と屈辱にもにた思いを抱く。
そしてテレビの大雪、大雨放送どころか、テレビの放送そのものから去っていく。
放射性物質と放射線についても、マスコミが一向口にしないことがある。
それは、西風の舞う北半球のこの国で、風上に位置する国土西部の広島と長崎に原爆が投下されたということは、放射性物質によって全国土が汚染されたということだ。
まるで、広島と長崎だけが放射性物質の汚染を受けたかのように「被爆一世」「被爆二世」どころか、四世、五世とマスコミの造語は止まるところを知らない。
確かに、両原爆は大気中で、地上五〇〇メートルほどの高度で起爆し、その火球は成層圏にまで達した。
そうであれば当然、偏西風に乗って日本全国が汚染されたと考えるのが自然で、広島、長崎の被爆者だけを特別視することにどれだけ科学的な意味があるのかは怪しいといえる。
原爆の被害の多くは、通常の爆弾でも起きる。
爆風による四肢の欠損や、火傷による皮膚や筋肉組織の破壊は、規模の大小こそ違えど通常の爆弾でも十分おこる。
唯一、放射線による遺伝子の火傷がやっかいではあるが、これも濃度の問題で、爆心地から遠ざかれば、事実上の影響は無視できる。
当然だ、世界史上類を見ない都市部への原爆投下を二度も味わいながら、戦後日本は世界の長寿国となった。
放射線を多量に受ける「被爆」に苦しむ人がいることは事実だが、「狭い日本」と揶揄されることもあるこの国に於いて、直接の原爆の爆破ですら、その程度の影響なのである。
放射線の影響は長時間曝されればそれだけダメージが蓄積されるため望ましいものではないが、自然界に放出された放射性物質など、その程度の毒性しかないのだ。
それを、なにかとんでもない猛毒のように報道する。
原子力を宗教上の禁忌の力に位置づけて、日本の核武装の議論の機会すら奪う。
そういう、恐怖に基づいた報道しかしない報道機関こそ、「テロリスト」と呼ばれるにふさわしいと思う。
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