あたしゃ生まれてからこの方、一本指がかけておりますが何か?

twitterに上げた文章をひとまとめにしました。



長くなります。

よかったら、最後まで読んでやってください。

ざっくり、こんな意見を目にしました。

「障害を個性とか言うな。シンプルに社会の荷物」

俗に、一寸の虫にも五分の魂、といいます。この発言者にも僅かながら一理有るとしましょう。

さてここからは例え話です。観念の上での話を理解できない人には向いていません。

ある時から宇宙人が地球に移民してきました。宇宙人は全員4本の腕を持っていました。

実際、作業をさせると作業効率は常人の倍に比肩しました。

人柄が明るく、地元の風土に馴染もうとする宇宙人たちは、地球人達に好意を持って受け入れられました。

ある時、宇宙人たちは言いました「地球の皆さんは腕が2本しかなくて不便でしょう」と。

地球人は驚きました。「いえ、私たちは2本の腕で満足してますよ」

宇宙人が言いました「いえ、あなたたちが不憫でならない」

地球人は怒りました「冗談じゃない。

我々は立派な大人として社会に貢献している」

地球人は口を滑らせました「腕が1本キリしかないなら哀れみも受けよう、しかし五体満足に揃っている私に哀れみなど不要だ」

宇宙人は心の底から悲哀の表情で答えました「1本も2本も変わりません、ちゃんと4本無いのですから」

地球人は突然、目の前の宇宙人に得たいの知れないものを感じました。

理解や納得などではなく、感覚が全く通じない相手が目の前にいる不安に耐えられなくなりその場を離れました。

やがて宇宙人達は宇宙人だけの都市を造り、地球人の倍の早さで進歩して行き、その有り余る余剰のエネルギーを持って2本腕の地球人に施しを与えるようになりました、とさ。



五体満足でないならお荷物、という感じ方はいささか創造力の無いように感じられます。

僕は、いわゆる障害者を哀れむ心が大っ嫌いです。24時間そんな宴を開くこと自体が大っ嫌いです。

子供を二人もうけて知りました。

人はその時その時でできる限りが変わるんです。

その限りを超えて力を出せと言っても無理なんです。

それが能力というものです。

でも、与えられたカードで戦うしかないんです。人生は競争の側面を持っていますから。

身体的な欠損はそのハンディキャップを視覚的に表し、世間の優しさに恵まれることもたまにはあります。



精神的な疾患を持つ人は、特に境界例とされる人達の生涯は不当な哀れみの連続です。

きちんと話せるんです、話せば伝わるんです。でも一度「目」をつけられたら終わりです。もっと要領よく話せと言われ、要点だけを話すと「主語がない」と言われます。

大体こういう時は目的語が欠けてます。

僕は「主語がない」という指摘を受ける度に心のなかで笑います。文法のブの字も知らないのですから。

障害は個性です。それを否定したいなら4本の腕を揃えてからにしてください。

世の中が4本腕の世界なら五体満足ではなく七体満足なのですから。

その人が社会の荷物かどうかは、環境と能力、そして立ち回りの上手さで決まります。

僕は6本指で生まれました。

でも、5本指の今を嘆いていません。

これだけ社会が豊かになった今、障害なんてその程度の個性でしょ。

ご異見があればせめて指の数だけでも生まれたときの僕に並んでからにしてください。

2件のコメント

  • 指が6本ある人の話は聞いたことがあります、意外とあるようですね。
    海外のどこか忘れましたが、生まれやすい血筋が存在しているようです。

    私は性別不合(旧称 性同一性障碍)で、鬱で、生活保護なので叩かれる要素が多いです(>_<)
  • いま、「性同一性障害」とはいわないのですが……。もしそれが「市民権を得たことで障害とは見なさなくなった」のだとしたら、「(市民の)理解が得られない時代の方が、(表現の上で)正しく理解されていた」と言うことになりそうで、皮肉です。

    僕も、もう幾つか「叩かれる要素」を隠していますので、小ずるく世間の隙間を縫って生きています。
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