AERAが「2022年8月8日号」で、また「社会的弱者」におもねってる。
曰わく「皇室の中も外も、女性はなんてつらいんだー。そう叫びたくなる夏。」
この国はすでに、女尊男卑の捻れに落ち込んでいると思う。
飲食店や映画館が「レディースday」を設けて「メンズday」を作らなくとも誰も非難の声を上げない。
もちろん男性を優遇している社会的側面がないとは言わない。
ただいわゆる管理職登用や、代議士の男女比率で言えば、それは責任を、時には危険を伴う状況でもあり、一方のいわゆる「フェミニスト」連は金銭的待遇のことばかりやり玉に挙げて、「確固たる責任を」よこせとは決して言わない。
この時点でフェミニズムではなく、ただの子供のわがままなのだが、本人は一行気づかず恥いることすら知らない。
世界のあの国は、女性の権利がああだ、世界のその国は、女性の取り組みがこうだ、と断章取義よろしく、都合のいいところだけ持ってくる。
国際的に見て本邦は、女性が特別優遇されている国であることは、スポーツの大会を見ればわかる。
そもそも、諸外国では女性がスポーツに勝ったとして、ベタ記事1コマがせいぜいという。
これに対して本邦では、国営放送が浮かれ立ち、嬉々としてトップニュースで扱い、数日後には特別番組まで組まれる。
そもそも、男子がまだ取ったことのないメダルを、「同じ」世界の舞台で女子が獲得した例に枚挙がない。
なぜだ?
日本人の遺伝子は、他国と比べて女子が堅牢な肉体を持つ性質があるのか?
いや、誰もそんなこと言わない。
ならばなぜ?
答えは簡単で、諸外国では女子供は家庭労働の重要な担い手として酷使されるからだ。
だから、「スポーツ」なんて遊びにかまけている時間なんて無いんだ。
設備の整った施設で、ふんだんな時間を使い、専任のトレーナーに導かれながら取り組めば、それはさぞかし競技者の底上げになろう。
チームプレイの競技など、「チームメイト」がそろわなければ実践に即した練習になんてなり得ない。
我が国ではことほどかように女性に「時間」が解放されている。
設備もコーチもあてがわれている。
今日の水くみにあえぐ異国の女性は、清らかな空気の体育館でのびのびと演技に打ち込む女性の姿など思いもよらないだろう。
それだけ優遇されている女子なのだから、全競技メダルに食い込んで何の不思議もない。
むしろメダルに食い込めないことを謝罪しなければならないとさえ言えるやも知れない。
その「日本人女子」が辛ければ日本を離れるが良い。
「日本人女子」には、諸外国はさぞかしつらかろう。
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