そう、言い切って見せたのは夏彦翁だったか。
そう、理解は能力ではなくて願望が「理解」させるのである。
そうであればこそ、宗教の溝は埋まらない。
一人の人に、二つの宗教は棲まわない。
そんなことはない、私はクリスマスを祝いお盆にはお墓参りで仏様を拝みに行く、という向きがあるは、個人の勝手な定義で、復活祭も放置したまま桜を肴にいい気分になって、妻帯した坊主の読経に喜捨する時点で、耶蘇教からも仏教からも「異端」のそしりを免れない。
そして子供には「ちゃんと頂きますを言いなさい」としつける。
何のことはない神道の仔として、ィエホシュァもシッダルダも八百万の神々に加えたにすぎない。
所詮はポーズとしての耶蘇教、仏教で、頂きますを言わずに食事を取ることの居心地の悪さから逃れられずにいる。
その感覚を捨てられない限り、あなたは神道の仔なんだよ、と説いても無駄。
神道の良識にのっとって「私は無神教」と言いはる。
言い張りきって安堵する。
そして頂きますを言う。
その一言にとらわれていることが神道の仔としての釈迦の掌で遊弋しているに限らないとも知らずに。
京の舞妓は未成年の風俗業と知れ渡った。
この、現代社会が健全足らんとするならば未成年の風俗業はやめさせなければならない。
「置屋のお母さんには『どうせ辞めても股開いて生きていくしかないやろ』」と罵られたという。
語るに落ちるとはまさにこのこと、「辞めなくても股を開いて生きていく」のだ、未成年であるにも関わらず。
告発者さんは、廃業した翌年課税されて初めて自分が納税者だった事実に行き当たったという。
「Xさんに確認したが、舞妓になる際、労働契約は交わしていなかったという」
ここに、ものすごい闇が潜んでいる。
納税の義務はきわめて重く、徴税の執行には裁判所の令状すらいらない。
ここに国が切り込まないなら、すべての消費税はもう、嘘だよ。
国よ、芸能人の高額納税を見せしめのようにあかす前に、未成年にして高額納税を、果たしたる、天晴れな舞妓の名を称えたまえかし。
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