大日本帝国憲法をチラ見すると、当時の天皇の権能の無力さに嗤う

 大日本帝国憲法と、日本国憲法において、天皇の権能に、大差ないよ。

 そもそも、議会の制定したことを承認しかできないし。



 ということは理屈では聞いていた。

 今回、ふらふらとネットを検索して実物を見て嗤った。



 そもそも、「第一章 天皇」とあって、第一条から、第十六条まで、天皇のことばかり書いてあって、「どんだけ天皇、好きゃねん」って思う。

 その一事をもって、大日本帝国憲法制定時に天皇がどれだけ愛されていたかがわかる。

 けど、その愛は偽りの愛。

 一方的に「こうあれかし」と願う恋。



第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス

とあり、男系の男子に正統な皇統が宿ることが良くわかる。

 昭和天皇は「大帝」の称号にふさわしい方だったと思う。

 二度の聖断が、大帝を大帝たらしむ。

 (ご存じ無い方に申し上ぐるば、一度目は2・26事件で行政府内閣が支配される中、青年将校を反乱軍と断じ「朕自ら近衛師団を率いて鎮圧するも辞さず」と即断されたことであり、もう一つは大東亜戦争の終結をお決めになったことである)

 しかし、血筋を残すことにおいて、正皇后のみを妻とし、複数の妻を持たなかったことは「日本的家庭の父親像」としては清廉潔癖に映るかも知れないが、国家の父としては頼りない。

 その行く末が皇統をになう皇家である秋篠宮家の体たらくだと思う。



 そもそも現代社会においてなお、皇室には名字というものが無く、皇室には人権というものが認められていない。

 他の家柄と自分の家柄を区別する呼び名さえ必要ないほどの古代より、連綿と男系で紡いできた軌跡の皇家。

 家名のない王家など、他国にもない人類史の奇跡。

 であればこそ、皇位は皇男子孫に受け継がれることが決まっているのだから、第二、第三皇后を抱えるべきだし、皇后に「陛下」の尊称は似つかわしくない。

 皇后は殿下であり、陛下はこの世にただ御一人のみでよい。



 奴隷のいた古代中東において、とあるブランドショップに客として入ったら、
・仕立ての良いスーツを着てネクタイもぴしっと閉めた店長と
・その店長の指示を仰ぐばかりの少しくたびれた店員がいて、
採寸は店長さんの方が信頼できるなー、と順番を待っていると、店の奥から
・くたびれた寝間着を着たまま、本の読み方がわからないと出てきた小太りのおじさん
がいて、「下働きの人かな。
 そんな人にまで店長さんは丁寧に接しているんだから、さぞかし人格者なんだな」と思ったりする。

 ところが、

 その店の主人はその小太りのおじさんで、その店の従業員はくたびれた店員で、店長は奴隷の身分だったりする。

 今のコンピューターが、私達の漢字かな交じりの文章作成を支援してくれ、大量の計算を一瞬でこなしてくれるために、私達がコンピューターを大事に扱うように、読み書き計算といった高級な能力を持った奴隷は高く扱われるし、大事に扱われる。

 しかし、

 店の従業員には首のリスクもあるが、自分の意志で「この店を辞めて、あの店に奉公します」という職業選択の自由があっても、

 奴隷の店長には首のリスクはないが、自分の意志で店を変えることはできない。

 どんなに店の扱うデザインが自分好みじゃなくても、精一杯その良さを客に勧めて売り上げを上げる努力をするしかない。

 現代において私達がどんなにコンピューターを大事にしても、コンピューターが自らの意志で利用者たる持ち主を選べないように、奴隷に職業選択の自由なんてない。

 大昔の求人広告雑誌が唄った「職業選択の自由、あははん。
 じーゆーう!
 じーゆーう!」
そう、職業選択の自由こそ、奴隷制度と平民制度の違いだ。



第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス



 皇男子孫には、自分の立場を選ぶ自由なんてない。

 順番が来たら皇統を継ぐより他に生きる道はない。

 基本的人権が認められない一点に於いては、奴隷と同じ扱いだ。

 「皇室に税金を使うなどもったいない」と進歩的で文化的な人が言う。

 しかし、皇室の維持に使われている税金が、あなたの負担している税金の割合のいかほどかをご存じかと問いたい。

 そして海外から「エンペラー」と称される皇室外交がいかほどの国益をこの国にもたらすか、その経済価値を計算してご覧じろと問いたい。

 王統を失った国家が、再びそれを求めようとして叶わない現状をつぶさに見よといいたい。

 進歩的で文化的と自称する輩が、

 阪神淡路大震災では自衛隊の派遣を遅らせ、六千余人もの人命を炎の中に焼き殺し、

 赤松口蹄疫では日本の酪農を後一歩で壊滅の所まで追い込み、

 外国人献金の追求や如何にというところまで追い込まれた菅直人は周章狼狽のすえ原発の炉心溶融を招いた。

 進歩的で文化的な人がいかな女性皇家や女性天皇から、女系天皇の道筋を呼び込もうとしても無駄だ。

 仮に、物事が百回さいころを振って百回二の目が出るような不運に襲われ、女系の人物が皇位に祭り上げられても、男系の男子孫の血筋が残る以上、中世の南北朝よろしく別の皇統がたち、やがて其の男系皇統に現在の皇室に連なる女系の人物が嫁ぐことで、再びもって男系継承に戻るだけだ。

 その隙間で女性が践祚しようものなら、夫を取ることを「世間の目」から許されず、一人、寂しく次の男系継承までの間をつないで生涯を終えることになる。

 それが哀れなら、そもそも女性を皇位に就けようとはしないことだ。

 この国の一人ひとりが持つ伝統は、進歩的で文化的な人々の小細工など嵐となって吹き飛ばす。



第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

 これも酷い話しだ。

 天皇は憲法の範囲内で統治権を総覧するのみ、ということだ。

 知事が、大臣が「あなたの名前の元にこのように統治しています」というのを眺めるのみだというのだ。

 これが一体、何の権能なんだ?

 ディレクターですらない、プロデューサーですらない、国政における観客でしかない。

 しかも、その成立の経緯まで知悉し、その条文の狙うところまで網羅した上で裁可しかできないなんて、人としての意志を無視するのも甚だしい行為だと思うが、蒙昧の人は誰もそうとは捉えない。



第5条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ

 これは帝国議会の協賛なくして立法権は無い、と書いてある。

 つまり立法権の実体は帝国議会にあり、天皇個人には認められていない。

 一般国民でさえ投票権という形でささやかにだが立法権に寄与するのに、天皇はただただ、見て、流すことしか許されていない。



第6条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス

 そしてとどめを刺すように次の条項でこう定めてある。

 これは、天皇の大権を示すようにみえて、立法府の奴隷でしかないことを固く取り決めている。

 立法府の奏上してきた法律案を裁可しない道は無いし、その公布と執行を命じずに拒否する道は無い。

 何の個人的意志も認めていない、ロボット同然の扱いだし、一方的な「かくあれかし」という形の愛情の最大限を振り切っていて、「そなたは如何にありたしや 我と我が耳に聞かせたもう」という相互的な愛情を一切認めていない。

 現代の法律の公布における様式はご存じだろうか。

 「原則として、「○○法をここに公布する。」との公布文、御名御璽、年月日、内閣総理大臣の副署が記された公布書に続き、法律番号、法律の本文、そして最後に、主任の国務大臣の署名と内閣総理大臣の連署を付すという形式で行われます。(参議院法制局の若手・中堅職員の有志が編集・執筆したものです)」

 現代においても形式としての御名御璽は欠かせない。

 そう、議会が奏上してきた法案を裁可するしかない一点において、大日本帝国憲法と、日本国憲法下の天皇のあり方は変わらないのだ。



 勉強不足の人は、戦前の天皇を独裁者かなにかのように考え、「大東亜戦争敗戦の責任を天皇に執らせないのは不十分だ」という向きがあるけれども、こんな「大日本帝国憲法」に縛られた天皇に対して、一体何に基づいて、何の責任を問うの?
 と尋ねたい。



第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

 となまじ定めてあるから、陸軍海軍は内閣の干渉に対して「天皇の統帥権を侵すのか」と反発した。

 軍隊とは巨大な官僚機構で、南方フィリピンのジャングルの中でも、一部隊の命令執行にすら書類による事務手続きを要した。

 書類上全ては、「天皇の御名の元に」である。

 その建前を持って戦前の天皇に戦争責任を問うものがいるとしたら、その者は社会を知らない、としかいいようがない。

 現代社会の企業においても、契約締結行為は全て代表印によるものと定めている会社があるが、だからといって、契約の不履行の隅々まで代表に責任を取らせたりしない。

 いや、責任を取る時の文書には、結局代表印を用いることがあっても、実務は法務や総務、経理や情報システム部など下位組織が責任を持った対応をして収める。

 戦前のマスコミがたきつけるアメリカとの開戦ムードを何とかして回避するためには、開戦を冷ややかに否定する海軍と違い、いきり立たんとする陸軍を収めざるを得ず、そのためには陸軍官僚として優秀だった東條英機その人を陸軍大臣兼務の総理大臣として組閣するしかなかった。

 それだけの努力をしても、東條英機閣下の奔走を持ってしても滅びの道しるべたるアメリカとの開戦を避けえなかった。

 開戦に当たって東條閣下は自室にて、宮城に向かって座し号泣したという。

 陛下の戦争回避のご意志に添えず、開戦と相成った事態を悔やんで泣いたという。

 そして戦後と呼ばれる昭和二十一年四月二十九日、つまり天皇誕生日に起訴された極東軍事裁判と呼ばれる論争戦において、急遽日本を悪逆の国に貶めんがために立法された「平和に対する罪」に問われた閣下は、人倫においてまっこと不可思議な War trial に於いて、屈することなく日本の理を説き、判事陣における唯一の国際法の理解者パール判事においては「日本無罪論」を書かせしめ、そして時の皇太子殿下の誕生日に絞首刑を受けた。



 少しばかり、陸軍刑法を紐解いてみよう。

  第三章 辱職ノ罪

第四十條 司令官其ノ盡スヘキ所ヲ盡サスシテ敵ニ降リ又ハ要塞ヲ敵ニ委シタルトキハ死刑ニ處ス

(司令官そのつくすべき所をつくさずして、敵にくだり、または要塞を敵にまかしたるときは死刑に処す)

 軍隊たるもの、その刑に処される時は死刑を持ってすることがはなはだ多いが、敵に降った司令官は、日本国の陸軍刑法に照らしても死刑なのである。



 極東軍事裁判は、折角すでにあるものを使わず、わざわざ立法に於いて無効とされる事後立法によって「平和に対する罪」を開戦時の首脳陣に問い、そして裁いた。

 しかし、それこそそもそも無効なのだ。

 そしてもし有効な法で裁かれるとしたら、敗戦時の首脳陣に対して陸軍刑法を適用するなどすることとなり、やはり結果は死刑なのだ。

 それでも、法律上天皇には行政責任はなく、従って戦争責任なんてあるはずがないんだ。



 物わかりのいい風を執る人がいう。

 敗戦時に、昭和天皇は退位して、現上皇陛下に道をお譲りすべきだった、と。

 はて、それはいかなる法に基づいてのことかと。

 平時に行われた上皇陛下の退位一つをとっても、平成二十九年法律第六十三号「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が必用だったわけで、米ソ英仏による日本本土の四分割占領もまじめに検討された敗戦時にそんな器用な事できない。

 そして、天皇には立法権が無い。

 敗戦の将は死を持って国家にその責務を果たすのが義務である。

 とすれば、国家をしらす者として、敗戦後を生き延びた昭和大帝の心中如何に惨めだったことか。



 天皇の戦争責任を問う者は、大系としての法律を知らない。

 そして生き延びる忝なさを理解出来ない。

 大日本帝国憲法下においても、日本国憲法下においても、天皇とその皇男子孫に、自らの生き方を左右する自由なんて無いよ。

 それを、自らの発案で実現に持ち込んだ事実一つとっても、上皇陛下が如何に自由奔放極まりなく、そして責任感の強かった方かということがみえてくるというものであると、私は思う。

 そして、そこまでが昭和大帝の手のひらの上であることに驚きを覚える。



 だが、如何な大帝といえど人の子、無謬にはあらざる。

昭和二十二年法律第三号 皇室典範

第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

 皇室の妻帯を皇后のみとし、側室を置かなかったのは昭和天皇の代からであり、本の数代を経ずしてほころびが顕在化してしまっている。

 次々代の天皇には意識を改めて貰わねばならぬし、現在皇室に止まる内親王殿下におかれては、旧宮家など男系に皇室の血を抱く男子と婚姻し、男系の血筋を継承したことを持って、新宮家を起こしていただく必用がある。

 こうして初めて、皇男子孫と同じ責任と権利を、皇女子孫にも担って貰うことができる。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する