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「機械生命体たちの輪舞曲」について

 レビューは感想を書く場所ではないし、新編がまだ完結していないので、旧版の「機械知性体たちの輪舞曲」について書く。

 最初に懸念が一つ。
 カクヨム運営からも警告がなされたばかりでもあり、実際の作者ではない人物がSS倉庫から拾ってきて、改作の上、投稿した、と言う可能性は少なからずある。
 未だに信じられないという気持ち、信じたいという気持ちが錯綜する中で、疑問点もかなりある。
 何故、十年近い沈黙を守っていたのか。
 本当の作者はあの作品で終わりにしたかったのでは、とも思う。
 ある時代、ある年齢だけがもつ感受性というものは確かにあって、「輪舞曲」がその頂点だったと言っても信じてしまえる出来なのだ。だから、優れた作品を知らしめたいがために、あるいは著名な看板を掲げて自己顕示欲を満たしたいが故に、偽者が投稿した可能性は捨てきれない。

 それは新編が最後の一行を投稿するまでにはわかることだろう。悲しいことだけれど、同じ作者であっても、改稿ですっかり衰えをあらわにしてしまうことはよくある。
 願わくば改悪とならぬよう祈るばかりだ。


で、旧版――というのはまだ時期尚早――について。


 この物語は朝倉の物語である。少なくとも私にとっては。
 優れた物語は、登場人物すべてに何らかの目的が、背景が、理由が確固として存在し、物語が進んで行くにつれ、登場人物たちは変化、成長、あるいは退化していく。

たとえ、登場人物が事実上不死の、感情を持たない機械生命体であったとしても。

そうなのだ。「ただの人間」ではない、それ以上でも以下でもある存在の遍歴(と悲劇)の物語である。
導入部は古典的とも言えるSF調がつづき、もどかしい長門有希の成長が始まる。長門視点なのだけれど、その先にはいつも朝倉がいて、彼女自身の秘密も明らかになっていき、長門自身もそれに影響を受けていく。
ネタバレは書かないけれど、この無機質な文体と当初は無機質な登場人物が著名な絵本を基調とした輪舞をはじめ、しだいに読者もその円の中に巻き込まれていく。物語のある場面で不覚にも私は泣いた。


そして、読了後、自分も書き始めることにしたのである。

これを本当の作者様が読むとは思えないけれど、感謝の言葉を捧げたい。
人生を豊かにする「書く」という行為に目覚めさせてくたれことに。


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