司馬遼太郎先生の「果心の幻術」は、とても魅力的な、いえ、魔力を秘めた短編小説です。
怪しげな術を用いて人を誑かす果心居士は、もうそれだけで物書きを惹き付けて止みません。断片的に古文書に表れる、その果心居士を、感情のない、あるいは感情を見せずに人の命を奪う、冷酷な幻術遣いとして司馬遼太郎先生はイメージされたようですが、もしそうだとしたら、どうしてそんな人間になったのか、どこでどう幻術を会得したのか、なにより、どうして「果心」と名付けられたのか、その謎に迫ってみたい、という思いから、本作に取り組みました。
第1回は、果心の根源、源流に思いを馳せた序文です。冒頭から主人公が紹介されて騒動が巻き起こる現代小説からすると、まったく時代錯誤も甚だしい書き出しですが、小説の雰囲気を少しでも味わってもらえたら幸甚に思います。
ちなみに、聖武天皇は、奈良の大仏様を造立された方でございます。果心が生きた時代の帝ではありませんが、果心とは多少の関わりがあって、後日、その御陵との因縁も作中にてご紹介できるかと思います。