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本編、第7話 読了後閲覧推奨 SS

『はあ?』

 電話の向こうの兄は、そう、思いっきり自分に呆れた声を出した。

『伊吹を押し倒してなし崩ししようとしたら、逆に伊吹に思ってもみないことを言われて、すごすごと引き下がった?』

 お前どんだけヘタレだよ、と兄はため息混じりだった。

『お前が伊吹一筋なのは知ってたけど、だからってヘタレが過ぎるぞ』
「だって……千秋」

 刹那は、窓の向こうの空に向けていた視線を、ソファーにうつした。そこには、手錠を掛けられた伊吹が、タオルケットに包まれてスヤスヤと眠っていた。薬は使ったが、でもそれを差し引いても伊吹は夜勤のバイト明けだったという。睡眠薬が仕込まれた食事の後すぐに眠ってしまった。深い呼吸を繰り返している。なかなか起きそうにない。

「なんか、雰囲気が壊されて」
『そんなもん、勢いでどうにかしろ』
「無理だった……」

 刹那は、兄の恋愛遍歴はよく知らない。流石に、刹那と同じく未経験というわけではないだろうから、色々と経験値があるのも察していた。だから、兄なら雰囲気に呑まれず、伊吹と出来たかもしれない。兄がヘテロでよかった、女しか勃たない性癖でよかった、と心から思う。でも。

「体、すごい痩せてて。軽くて」

 兄は、刹那のスマホの向こうで黙り込んだ。

「無茶させられないなって思ったら、これ以上は、無理だった」

 身体中をさすって触った時、肉というよりは骨ばかりだった。食べられていなかったんだな、とすぐに分かった。

 涙目で、刹那の触れる手を嫌がっていた。伊吹は抵抗はできなかった。手錠のせいもあったが、それだけ、昔と比べて、伊吹は体力が落ちていたから。

『今、伊吹は?』

 兄の、静かな声が聞こえる。
 
「寝てる。薬は一応使ったけど、でも昨夜寝てないらしくて。ぐっすり寝てる」
『起こすなよ。好きなだけ寝かしとけ』
「うん」

 刹那は、頷いた。

『俺も仕事終わり次第そっち向かうけど、伊吹を逃すなよ』
「分かってる」
『なんか伊吹につけてるか?』
「手錠は付けてる」
『靴も隠しとけよ』

 兄の言いつけに、刹那はうん、と頷いた。

 電話の向こうで物音が聞こえる。兄の秘書が、兄のことを呼ぶ声が聞こえた。

「もう行くのか?」
『……そうだな。もう時間だ』

 兄は、秘書に何かを言ってから、また刹那に話しかけた。

『ようやくだ。ようやくなんだから、気を抜くなよ、刹那』
「うん」
『伊吹は、俺たちのものだから。分かってるな、刹那』

 兄と刹那は5歳差だ。
 それだけ歳の差が開いていると、幼い頃でも兄と何かを共有した事が今まで無かった。性格も生活リズムも、趣味も何もかも違ったから、伊吹が来てくれるまで、刹那は、兄の事をよく知らなかった。

 でも、伊吹がいてくれたから。
 兄とも、刹那は、兄弟となれたのだ。

「分かってる。伊吹を独り占めはしない」

 千秋、と刹那は兄の名前を呼ぶ。

「千秋が来るまで、伊吹の事はちゃんと見ておくから。安心して」
『……ふん。生意気になりやがって』

 そう言いつつも、千秋は安心した様な息を漏らした。

『俺の親友を頼んだよ、刹那』
「うん。分かった、千秋」

 そして、電話が切れる。
 何も聞こえなくなったスマホをズボンのポケットに入れ、刹那は伊吹の眠るソファーまで歩み寄る。

 伊吹の足のあたり、空いたソファーのスペースに腰を下ろして、刹那は伊吹に、そっとその手を伸ばした。

 冷えた体温。記憶の中よりも小さくなった顔。
 伊吹の頬に、手を添わす。

「伊吹。俺達、もう伊吹を1人にしないから」

 だから、ずっと側にいて。

 刹那は、眠る伊吹の頬に、唇を落としたのだった。

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