何と、私の作った回文を「教育関係のサイトに掲載させて」というお願いのメールが来た。
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大変厚かましいお願いとなり本当に申し訳ございませんが、
「回文の作り方」のみならず、管理人様がご創造なされた作品の数々も
掲載させて頂ければ幸いです。
小中高問わず、国語の授業の中で、子ども達の興味を惹く
魅力的な教材となると確信しておりますし、
その他の場面でも、学校の先生方が子ども達とコミュニケーションを
図るうえで有効な「話題」として非常に価値が高いと感じました。
不躾なお願いばかりで本当に申し訳ございませんが、
ご検討いただけますと幸いです。
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しかし先日もちょっと私がご創造してしまった回文(および回文日記や回文俳句)を読み返してみたのだが、あれは「強引な解説」が一種のボケになっていて、正統な俳句や正統な解説のパロディみたいな面白さが「主」になっている。
作品そのものはどちらかというと「従」なんですよね。
でも回文がないと成立しないし、どんなもんでしょうかね。セットで面白いと言われればもちろん嬉しいですけど、その辺のニュアンスが理解されているのかどうか、ちょっと不明です。
とりあえず返事を書いたので様子を見てみましょうね。