またもや読書会の本が退屈で、今度は文章そのものを読むことはできるものの、内容が何というか、自分がおじぎ草になって、おじぎして、萎れて、しなびて、枯れて、倒れてしまうような、ほぼ拷問に近いような退屈さなのであった。
思うにミステリとかSFの場合、何らかの事件なり異変なりアイディアなりが“必ず”含まれるという保証のようなものがあるのに、純文学だと平気でそれがないというのは大した差である。
人物は魅力がなく、状況はありきたりで、会話も文章も平板、それでも何かしら筋のようなものがあれば読めるのだが、食肉加工の工場で働くアフリカ系難民の女性が語学の学校に通っていて、友達の赤ちゃんが亡くなったという話がたらたら書いてあって、良さを探すのも難しい。
一つだけ褒めポイントを挙げると、途中で小説の文章ではなくて「手紙」あるいは「メール」そのものが挿入される。これは多少のメリハリを生んではいるが目新しい手法というほどではない。しかしメールのない時代にメールのやり取りを行っていた、というナンセンスな設定を考えれば、そのヴァリエーションをあれこれ考えることはできそうである。確か「世にも奇妙な物語」で「携帯忠臣蔵」という回があった。
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