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「最愛の子ども」を読了

自分が書いている「創作論のメモ」の第一回目で触れている「最愛の子ども」ですが、これってインタビューがちょっと興味深かったというだけで、実際にこの小説自体は読んでいなかったんですよね。

そういう風に軽く始めて良かったなと今でも思います。おそらく当時も意図的に軽めに書いたのだと思います。

で、最近やっと読んでみたら非常に面白かったです。

松浦理英子は通受けする作家ですが、本作はあまり小説とか純文学を読みなれていない人でもスラスラ読めるような、ごくシンプルな文章と筋立てで、ハイライトの場面だけを取り上げると少女マンガ的とすら言えるような物語になっています。

ただ、一筋縄ではいかない面があって、語り手が「わたしたち」なんですよね。誰か特定の人物から見た事実、とか、神の視点から作者が書いてますよ、というのではなくて、3人の主要な人物の周辺にいる、同じクラスの女子高校生の何人かが「わたしたち」である、という設定です。

しかしその割には、かなり自由自在に「誰かの視点から見た出来事」が書かれるので、通常の三人称の小説とあまり変らないような感触があるので、普通に読もうと思えば読めます。

しかしこの「わたしたち」が堂々と「捏造」し、推測しつつ思い描く、といった立場からあれこれの場面に言及するので、これはもう神の視点で語る「作者」とほぼ同じじゃないかとか、「わたしたち」の中には「読者」も入っている、入り込めるのではないかとか、結局あらゆる創作はそういう風に、誰かの妄想や捏造や空想の産物なんだし、つまり、そういう恣意性に自覚的であるという、自意識の高い小説なんだなとか、チラチラと頭に浮かぶんですね。

そういう部分が楽しめる人にも、そうでない人にも楽しめる小説で、たとえば主要な三人の人物というのが、同じクラスの女の子三人ですけど、それぞれ「王様」「女王」「息子」とされている擬似的な家族なんですね。その三角関係のバランスが整っていたり崩れたりするというのが本筋です。

この三人の配役を誰にするべきか、というのも考えるとかなり楽しいので、特に空穂の役は与田祐希か、あるいは川栄李奈、そして日夏の役は橋本奈々未か、松井珠理奈か、などと考えてみると芝居のWキャストみたいで面白いですね。真汐の役がどうしてもイメージできないんですけど。

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