最近はようやく暖かくなってきて、いろいろとやる気が出て来るシーズン……と思ったらダメだ、目と鼻水がムズムズして何もやる気が起きねえ! この調子でいけばきっと夏は暑さで何のやる気も出ないことでしょう。つまり、大切なのはやる気を出すことではなく、やる気がないときでも手を動かせるようにすることです。ではどうすれば、やる気がなくても手を動かせるのか?……それがわかったら苦労はしませんね……。そんなわけでやる気が出なくてもテンションが上がらなくても面白く読める新作小説をご案内。少なくとも私は面白く読めた。今日はそれでいいじゃないですか……。

ピックアップ

微妙なスキルと絶望的な環境ですが楽しくやっています。

  • ★★★ Excellent!!!

やたらとテンションの高い女神によって強制的に異世界に転生させられた神崎司。なぜか面白半分で作ったダーツで転生先を決めさせられ、見事残念賞を当てた司は異世界でも最難関ダンジョンの最深部へ送られる……唯一無二のユニークジョブ・焼きマンドラゴラ屋として……。

パーティーからの追放ものが流行っている昨今だが、本作はいきなり最難関ダンジョンからスタートというナチュラルボーン追放もの。そしてこの焼きマンドラゴラ屋というジョブには実はとんでもない秘密が隠されていた!……みたいなことは別にない。基本はマンドラゴラを自在に出せるようになり、一応チョロっと火も出せるようになったり(焼かなきゃいけないからね!)もするがそれだけである。しかもマンドラゴラも別に美味しくない……せめて調味料ぐらい出せるようにしてほしい……。

そんな絶望的な状況からスタートしている司だが出会いにだけは恵まれていた。なぜかダンジョンに迷い込んでしまったワケありの勇者の子孫に、いかにもダンジョンのボスっぽい雰囲気を出す謎の少女。この一癖も二癖もある面々とともに異世界を放浪するファンタジー風コメディ。どんな絶望的な状況でも軽口を叩いて乗り切っていくたくましさが楽しい作品だ。


(新作紹介 カクヨム金のたまご/文=柿崎 憲)

全ての格闘家が地上最強を目指すわけではない

  • ★★★ Excellent!!!

格闘家といえばとりあえず地上最強を目指す、あるいはとにかく強い奴と戦いたくてしかたがない……そんな荒々しい人物を想像してしまうが、本作の主人公である久雅堂は別にそういう人物ではない。無駄に体格だけは良い冴えないオタクである。そんなオタクがたまたま格闘家になってしまうのが本作品。

「なる」のではなく「なってしまう」というのが大きな特徴である。安かったからという理由で買ったプロテインをきっかけになんとなく筋トレを始め、その流れで昔少しだけやってた柔道を再開し、そのとき気にかけてくれた先生から古流柔術の免許皆伝をとりあえずもらって……といった具合にたまたまの思い付きで行動し、そのままぼんやりと生きた結果、本人も気づかぬうちに格闘家になってしまう……この流れが凄くリアルなのである。

世の中、大志を持って行動できる人などほんの一握りで、人生の色んな物が些細なきっかけや偶然の出会いなんかで決まったりするものだ。そういう意味ではリアルなんだけど、それでも普通は格闘家にはならない。この過程がリアルなのにありえない結果に辿り着くミスマッチが非常に面白いのだ。

こんな地に足のつかない男が主人公だから血沸き肉躍る熱き格闘ロマンみたいなものは当然描かれない。代わりに妙に世知辛い格闘技道場の内情や、職場や道場内の人間関係に悩む姿が描かれるあまりに異色な格闘技小説。全体的に淡々としているのだけど、それでもこの男の流れ着く先が気になってしまう不思議な魅力を持った作品だ。


(新作紹介 カクヨム金のたまご/文=柿崎 憲)

いっぱい愛情を注いで悪役令嬢の運命を変えろ!

  • ★★★ Excellent!!!

異世界に転生したものの前世の記憶が曖昧なまま生きてきたセレーネ。しかし侯爵との再婚と同時に彼女はある重大な事実に気付く。この世界は乙女ゲーの世界で目の前にいる義理の娘はそのゲームに登場する悪役令嬢だと! 将来的には悪役令嬢になるアティだが、この時点ではまだいたいけな少女。そこでセレーネは彼女が悪役令嬢ではなく立派な美少女になるように、いっぱい愛して育てようと決意するのだ!

人気ジャンルである悪役令嬢ものは様々なバリエーションがあるが、継母視点から話が進むというのはなかなか珍しい。令嬢であるアティの周りは口数少なく冷たい父親の公爵に、やたらアティに偏執的な愛情を見せる子守にいちいち嫌味な家庭教師など、将来的にアティを悪役令嬢に仕立てあげるだけあって、なかなか問題のありそうな人物ばかり。そんな環境でもひるむことなく、時には対話、時には恫喝、時には男装して大立ち回り。あの手この手でアティを守りながら、いっぱい愛情を注ぐセレーネの姿が頼もしくも微笑ましい。

しかし、アティの周りには何かときな臭い陰謀が付いて回り、さらには乙女ゲーの攻略対象たちまで関わってくる。こんなハードモードの中、果たしてセレーネはアティを立派に育て上げ、幸せを掴みとることができるのか!?


(新作紹介 カクヨム金のたまご/文=柿崎 憲)

技巧が光る秀逸なホラー短編

  • ★★★ Excellent!!!

本作はアイデア自体はシンプルなのですが、その見せ方と構成がとても上手い作品です。

「最初は、蛸だった。」という引きの強い書き出しに始まり、そこから日常の延長上にありそうな出来事が記されていきます。こうして身の回りで些細な変化が起こっていくのだけど、あまりに些細なために周囲の理解をなかなか得られず、じわじわ追い詰められていく。そんな中で思わぬところから救いの声がかかるのですが……。

作品の冒頭に、ある猟奇事件の配信記事が紹介されていたり、アイデアがシンプルだったりするだけに物語のオチ自体はある程度予想がつき、これがミステリーだったら減点対象になるのかもしれませんが、本作はホラーなのでこの予想がつくというのが逆に怖さを増す効果を生んでいるのです。

小さな違和感から日常が崩れていく感覚や、人間関係を通じて描く物語の緩急のつけ方、ラストに向けての恐怖を盛り上げる起承転結のつけ方など、ホラー短編に必要な技巧が十二分に詰め込まれた内容で、アイデアがシンプルなだけに作者の上手さが光る逸品。ただ普通に読むだけでも充分面白い作品ですが、ホラー作品を書く人にはきっといろいろ参考になるでしょう!


(新作紹介 カクヨム金のたまご/文=柿崎 憲)