短歌で、俳句で、ことばの新しい顔に出会う。
3,205 作品
予想をはるかに上回る数の応募があって、生みだされたばかりの言葉の熱量に圧倒されながらたのしく読み終えました。おもしろい作品や気になる作品がとても多くて、とくに大賞と佳作の選定は悩みましたし、「最終候補作品」はもちろんですがそのほかにも記憶に残る短歌や連作がいくつもありました。
ひりひりと乾いた時代と生活、そこでひとりひとりが声を発している力づよさを全体に感じました。たとえば植物や動物が詠まれていても、それが2023年の日本の空気感とどこかでつながっている。あるいはその一方で、個人の気持ちを飛ばす先として宇宙や架空の世界がイメージされた作品も多かった印象です。
とくに二十首連作部門では異世界が舞台のものなどストーリーや設定がはっきりした作品が多く、カクヨムという場ならではの磁場を感じておもしろかったです。そうした連作の場合、どうしても一首一首が「あらすじ」の説明に奉仕してしまいがちなのですが、佳作「エルダー」は一首ずつを取り出して読んでも魅力がつたわり、読者の想像力を刺激する「余白」が残されている、そこがよかったです。佳作「カーテンの隙間」は一首一首の切り取りが鮮やかで、現代の日常を生きるみじめさや情けなさがアイロニカルに作品化されているところに惹かれました。
個人的な語りでありながらも、生きていることの不思議さやかなしさ、その根源のところにどこかで触れているような短歌が、最終的にはつよく心に訴えてきました。
記念すべき1回目のカクヨム短歌・俳句コンテストに参加してくださったみなさん、ありがとうございました。
俳句経験者と未経験者(普段は小説等の投稿サイトに親しんでいる)とがこれほど混在して応募してくれたコンテストは異例ではないでしょうか。膨大な応募数(ありがとう!)を一人で選考するのは、大鍋の闇汁(冬の季語)を一人で平らげるような面白さがありました。技術の高い句と同時に、カクヨムのコンテストで無ければ見ることの出来ない作品(異世界、転生もの等)も楽しませていただきました。
一句部門はまず約八十句に絞り、最終候補作品としては二十句近くを選びましたが、受賞は大変狭き門だったと思います。候補にぎりぎり入らなかった作品としては〈スーパーの焼き芋を食い尽くしたい〉〈金魚鉢びょーんと映る猫の顔〉〈天に還る満月 黄金にとけ〉〈向日葵も逃げ出しそうな真夏日だ〉等も味わい深かったです。
二十句連作部門は約六十作に印を付け、最終候補としては六作を選びました。印象としては、連作の方は経験者が有利だったかもしれません。並べ方、見せ方等を学べば、より魅力的になりそうな惜しい作品が幾つもあります。
佳作の「黙は眼に」は季語を巧く使い詩的な世界がよく出ていました。五月雨、夏の山、あぢさゐ、青鷺等の句にも惹かれました。幾つか安易な句も見られたのが惜しく、二十句での安定感が次に繋がると思います、魅力的な作家。
佳作の「でたらめな虹」は二重丸の付く句の多さ、季語の使い方の新しさが魅力。後半にも秀句があと幾つか欲しかったのが惜しいところでした。次作も注目したい作家。
詳しく紹介出来ないのが残念ですが、「キャリーケース」「横顔」「しやがまねば」「アスパラガス」「けんけん」「ばつたりと」も最終候補作品でした。心を句に入れつつ自句を冷静に見る、この矛盾した俳句の面白さをより突き詰めることで、より良い連作が出来るはずです。
最後に一言、こんなに応募が来ると思いませんでした。本当に倒れるかと思いました(嬉しかったです)。次があるなら選者を倒すつもりでまたどんどん送って下さい。
短歌の部
二十首連作部門
不安や傷を底に沈めて、ややくぐもったところで意識の冴えが輝く一連。関係がさほどうまくいっていない二人が海辺を訪れ帰ってくるまでが、逃げ場のない無力感と孤独感、それでも生きていかねばという乾いた意志とともに描かれています。「靴底」や「歩く」ことが重要なモチーフで、特に後半で一歩一歩ゆっくりと「僕」の実存の輪郭を確かめていく丁寧さに惹かれます。4首目〈あの明日が〉、8首目〈少しでも〉、14首目〈黄昏の〉などはやるせなさや孤独の表現として新しいものがあり、7首目〈あんまりな〉や20首目〈咲いて落ち〉には生活に対する作者独自のアプローチや思想が出ています。心臓に素手でさわってしまったような読み心地をかけがえのないものと思いました。
一首部門
関西弁の語りでこの世の異様さを突きつける悪夢のような一首。灯に照らされた「しらす」の無数の目の円形が、夜になってもなぜか閉じない「昼顔」のイメージへ。「ん」の躍動感や「ひ」の息を呑む感じなど音も印象的です。
一首部門
シュールな一首ですが、東京であれこれと忙しく生きる妹が実家の兄または姉の目には「七人」に増えたかのように映っているのでしょう。そんな妹の帰省を「減りながら」とした表現がすごい。「餃子の日」への妙に生活感の強い着地も面白いです。
俳句の部
一句部門
中国の故事に、龍は春分の頃登り、秋分時には淵に潜むと記載があり、俳句の世界では「龍天に登る」を春、「龍淵に潜む」を秋の季語と定めている。雨や雲を司る龍であるから、農との関係も見逃せない。いよいよ春が深まる春分の頃、龍が天へ登って行く様を想像すると、春空を深め、広げて行く様で実に痛快なことだ。自由で強力な龍であるが、現代社会では堯舜の世は見る影もなく、天へ向かって人工物が散乱している。凄まじい速度で電線を掻い潜りつつ天へ昇る龍の姿は、まさに令和の龍の姿。見えないものはよく見えるように描いた方が良い。幻をよく凝視出来ている現代的かつ幻想的な作品。
二十句連作部門
連作部門は、一句の出来だけではなく、句の配置、ストーリー性等を含めての評価となる。そのためには自己主張と同時に冷静な目と心が必要となる。その点を考慮した結果、魅力のある候補作は幾つもあったが、大賞はすんなりと選ぶことが出来た。海辺の街の旅を描いた連作では、楽しさと同時に旅先ならではの孤独が巧みに表現されている。〈魚島や宿のテレビを揺すりたる〉の一句目は特に中七下五の具体性により句に実が備わっている。触れない季語に説得力をもたらす句としては〈花束に底なかりけり鳥の恋〉も印象的。旅は楽しいだけでなく孤独でもある、その心情を表す句としては〈寄居虫の最後に弱き脚出づる〉〈また別の家族が水着干しに来る〉等も効果的。旅先での主人公の心の移り変りが読者を連作として楽しませてくれる。心と描写、俳句における二つの大事な表現力が備わっている魅力的な作品である。
一句部門
秋を司る女神の竜田姫。筑波山の紅葉していく様を「深々と火照る」と表現したところが新鮮かつ大胆。奈良の平城京の西にある竜田山を神格化した竜田姫が筑波の地まで美しくしてくれていると考えると、大変めでたく愉快な句。
一句部門
圧倒的なインパクトを放つ句。墓に眠る人物を永遠に許すことが出来なく、なめくじに生まれ変わろうともまだ呪い続ける執念が凄まじい。なめくじであるから、ぬらりぬらりと時間をかけて書くのだろう。ジ、ゴ、ク、イ、キ、地獄行き。
※掲載の並びは作品のコンテストへの応募順となっております
選評
出産を終えた友人から報告をもらった瞬間、記憶にある「臨月のあなた」がすっと遠ざかる感じがしたのでしょう。と同時に、もうこの世に存在しない「臨月のあなた」が自分の記憶には確かに残り、これからも「遠い惑星」のように回りつづける。「惑星」はふくらんだお腹の球体のイメージ。できごとを詠む角度が新鮮で、まだ自分の目で産後の母子を見ていないがゆえの現実感の薄さや「あなた」への愛着の深さが一首にやわらかく結晶化されています。