🌿 第2章 春の精霊ハルルとの出会い

聖域の空気は、夜のはずなのに

どこか春の気配を含んでいた。

淡い光が草の上に降り積もり、

少女──ブルーベルの足元を

そっと照らしている。


彼女は胸の奥に残る痛みを

抱えたまま、泉のほとりに

立ち尽くしていた。

水面は静かで、星の光を

映しながら、まるで彼女の心を

覗き込むように揺れている。


そのときだった。


泉の向こう側で、草がふわりと

揺れた。

風は吹いていない。

それでも、誰かがそっと触れた

ように、柔らかく、優しく

揺れたのだ。


ブルーベルが顔を上げると、

そこにひとりの少年が立っていた。


少年は、春の色をまとっていた。

髪は若葉のように淡く、

瞳は春の空を思わせる薄い青。

その姿はどこか透けていて、

人の子とは思えない儚さを

帯びていた。


「泣いていたの」


泉越しに届いた声は、

風のように軽く、

けれど確かにブルーベルの

胸に触れた。


ブルーベルは答えられなかった。

言葉より先に、胸が震えて

しまったからだ。


少年は責めることも、

急かすこともせず、

ただ静かに微笑んだ。


「ここは、傷ついた心が

来る場所です。

あなたが来たのも、

きっと理由があるのでしょう」


その言葉は泉の水面に落ち、

波紋のようにブルーベルの

心へ広がっていった。


しばらくして、

ブルーベルはようやく声を

絞り出した。


「……あなたは、誰なの……?」


少年は少し首を傾げ、

春の陽だまりのような

笑みを浮かべた。


「私は、春を司る精霊──

ハルル といいます。

森や季節が、あなたをここへ

導いたのでしょう」


ハルル。

その名は、春風が頬を撫でる

ような、やさしい響きを

持っていた。


ブルーベルがその名を胸の奥で

反芻した瞬間、

泉の水面がふわりと光を放った。

まるで森そのものが、

その出会いを祝福している

かのように。


ハルルは少女に歩み寄り、

泉のほとりにそっと膝をついた。


「あなたの名前を、聞いても

いいですか」


ブルーベルは胸の奥で何かが

ほどけるのを感じた。

長いあいだ誰にも呼ばれなかった、

自分の名前。

それを、この森の精霊が求めている。


少女は、ゆっくりと唇を開いた。


「……ブルーベル」


その名を口にした瞬間、

泉の光がさらに強く揺れた。

森の奥で、木々がざわりと

息をつく。


ハルルは静かに頷いた。


「ブルーベル。

あなたが来てくれて、

森は喜んでいます」


ブルーベルはその言葉を

胸の奥でそっと抱きしめた。

理由はわからない。

けれど、初めて自分の名が

“居場所”に触れたような

気がした。


そのとき──

森の奥で、季節の気配が

わずかに揺らいだ。


春のはずなのに、

ほんの一瞬だけ、冷たい風が

混じったのだ。


ハルルはその変化に気づき、

ほんの少しだけ表情を曇らせた。


「……季節が、少し乱れています」


ブルーベルは不安を覚えたが、

ハルルはすぐに微笑みを

取り戻した。


「大丈夫。

あなたが来てくれたのなら、

きっと道は開けます」


その言葉は、

ブルーベルの胸に静かに

灯りをともした。


こうして──

ブルーベルとハルルの物語は、

春の光の中でゆっくりと

動き始めました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

次の更新予定

2026年1月19日 10:00
2026年1月20日 10:00
2026年1月21日 10:00

白きブルーベルと四季の精霊の童話  ―静かに心を癒す大人童話― tougen_87 @tougen_hana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ