でいだら山

二ノ前はじめ@ninomaehajime

でいだら山


 遠方にそびえる岩山は、奇妙な形をしていた。

 

 独立峰で、左右に突き出た山頂が岩のかいなを思わせた。危うい均衡きんこうを保ちながら、重みに膝を屈している様子は、まるで天を背負う巨人だった。

 国造りをしたという巨人がその身を岩とし、今も大空を支えているのだと言い伝えられている。信仰の対象で、その山が崩れることがあれば天が落ちてくる。

 

 語り継がれる神話から、でいだら山と呼ばれて村民の畏怖いふと信仰を集めていた。

 

 馬鹿馬鹿しい。確かにあの岩山は奇景きけいと言えた。山の峰をえぐられ、両端が突出している。長い歳月を経て、雨風に削られたのだろうか。山頂で傾きかけた巨岩も頭部に見えなくはない。

 

 何にせよ、自然の産物だろう。自分たちの生活には関係ない。岩山を背景に、娘は枝にった林檎の実に手を伸ばす。まだよくれていないのか、枝葉をすり抜ける日差しで淡い山吹やまぶき色に輝いて見えた。指先が触れる。林檎がれた、と思った瞬間、細長い縄が枝をつたって下りてきて、目が合った。

 驚いて木の葉を散らしながら落下する。したたかに腰を打ち、痛みに涙がにじむ。樹上を仰ぐと、薄い鱗に斑紋はんもんが絡まったアオダイショウが黄土おうど色の瞳でこちらを見下ろした。

 一緒に落ちてきた林檎が、かたわらに転がった。



 

 家に帰ると、母が床にせっていた。病にかかり、ずっと寝たきりだった。娘は山野を駆けずり回り、必死に生活を支えた。村から離れたあばら家で、頼れる親戚もいない。収穫した林檎を持ち帰ると、母親は弱々しく微笑んだ。


「いつも苦労をかけちまって、ごめんねえ」

 

 母はそう言って謝った。娘に世話を任せているのが心苦しいのだろう。彼女を不安にさせないために、家の中では明るく振る舞った。布団から半身を起こして林檎を口にする母親を見守る。一時いっときでも早く、体が良くなってくれることを願った。

 

 生活に追われる中で、奇妙な噂が届いた。井戸水を汲んでいると、村の女性から教えてもらった。旅人が立ち寄り、こう警告したという。

 曰く、一里いちりにも渡る大長物おおながものを引きずった奇妙な男がこちらの方角に向かっている。にわかには信じがたい話だ。村人も一笑にしたという。ただ、娘は胸騒ぎを覚えた。

 

 月をまたいで、予感は的中した。最初に泡を食って村中に触れ回ったのは、畑仕事をしていた村人だという。最初は大蛇だと思ったそうだ。大地を削りながら、この村へと迫ってきている。その狼狽ろうばいぶりに、懐疑かいぎ的だった人々は指差された方向へと集まった。

 騒ぎを聞きつけた娘も集団に加わった。村境むらざかいから現われた人影をの当たりにして、一同は言葉をなくした。

 

 痩せ細った男だった。白々しらじらとした蓬髪ほうはつで、半ば破れた襤褸ぼろころもを引きずっている。土色に染まった爪が目立つ裸足で、緩慢に歩いてくる。肩が剥き出しになった右腕が後ろに引かれていた。

 

 その異様な風体ふうていとがめる声もなく、人垣が割れる。彼が片手で引きずっている無骨な形をしたを目で辿たどり、さらに驚愕した。この地のはるか向こうまで続く、幅広はばひろの長物だった。重みで刃先が埋まり、到底とうてい人が動かせる代物ではない。謎の人物は歩みを進めて、蛇の模様に似通った刃紋に娘を含めた村人たちの顔が映った。

 

 白い蓬髪の男は意に介した様子もなく、途方もない長物を引きずって村の中へと入っていく。明らかに尋常ではない。どう追い返したらいいかわからず、村人たちは遠巻きにしていた。放心していた娘が、やがて我に返る。

 

 あの男が向かった先には、自分たちの家がある。

 

 寝たきりになったままの母の姿が脳裏に浮かんだ。草鞋わらじを鳴らして、遠ざかる男の後ろを追った。村の大人たちが止める声にも耳を貸さず、長大な刀身を娘の姿が駆け抜けていく。

 骨が浮かんだ背中へと追いすがる。遠くに母が居る家が見えていた。襤褸をまとった男の前に回りこみ、両手を広げた。


「あの家には、おっかあがいるんだ」

 

 決死の思いで叫んだ。緩慢に歩みを進めていた痩身そうしんの男が立ち止まる。息を切らした娘を見下ろす。にわかに風が吹き、白い蓬髪がなびいた。

 

 異人だろうか。覗いた瞳は薄茶色をしており、存外に澄んだ目の中に娘を映し出す。しわがれた唇は何かを告げることもなく、わずかに足の向きを変えた。たったそれだけの動きで、巨大な刃が土を抉り取る。地響きにも似ていた。

 

 娘の脇をすり抜け、また歩き出す。彼女は振り返った。痩せた男が歩む先は、母が寝ている家からはれていた。林檎の木がある裏庭を通り過ぎる形で、刀身が足元を鈍く揺らす。何もわからずにいる母親を守るために、家の中で変事が過ぎ去ることを願った。

 

 日を跨いで夜明けを迎えた。地鳴りが止み、娘は恐る恐る外へ出た。依然いぜんとして林檎の木の傍らに刃は残っており、ただ静止している。あの両腕を広げた岩山の向こうから朝日が覗いた。

 不意に刀身が地面の下から浮かび上がる。大量の土煙を巻き上げる刃は、幅だけで娘の背丈を遥かに超えていた。やがて果てしない大空へと突き立てられた鋼は陽光を遮り、陰が被さった少女は呆然と仰いだ。

 

 ああ、天が落ちる。

 

 遥か彼方の切っ先が振り下ろされる。突風が押し寄せてきて、娘は顔を庇った。裏庭に生えた木の枝葉が揺さぶられて、みのっていた林檎が一斉に落ちる。両腕の隙間から、その光景を垣間かいま見た。

 

 でいだら山の頂上に刀身が振り下ろされ、真っ二つに切り裂いた。その衝撃が大地を震わせる。信じがたいことに、岩山の裂け目から大量の血飛沫ちしぶきが噴き出した。尻餅をつきながら、娘は呆気あっけに取られていた。

 

 頭部に見えていた巨岩から、大きな双眸そうぼうが覗いた。痛みにうめくでもなく、おそらくはふもとにいるであろうあの男を穏やかな眼差しで見下ろす。裂かれた顔面が、再びまぶたを閉じた。

 

 でいだら山と呼ばれた岩山は崩落し、砕けた岩々が跡に残った。そのたもとで、あの白い蓬髪の男が長物の柄を前に膝を折り、力尽きていたという。


 その死に顔は安らかだったそうだ。

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