天場三山奇談

すずしろ智加

あけましておめでとうございます

 あけましておめでとうございます。新年ということで心機一転、ちょっとした日記をしたためる感覚で初投稿してみました。

 こういう投稿サイトに何か書くのは初めてなのでテスト投稿を何にしようか考えていたんですが、ちょうどお正月に聞いた話がちょっとモヤっとする話だったので、発散も兼ねて思い出しながら書いていこうと思います。念の為、自分たちの名前は、仮名ということでよろしくお願いします。

 今年、約十年ぶりくらいに正月休みに実家に帰りました。隣の県に住んでいるので別に帰れないことはないですし、実際になんでもない平日にぶらっと帰ったりは何度もしていたんですが、ちょうど元々の仕事がサービス業……惣菜店の店舗管理だったので特に土日祝は基本的に休めず、年末年始は特別給をもらって毎年必死に働いていました。営業職や接客業は別に苦にならなかったのですが店長という肩書は思ったより辛く、休みの日も容赦なくパートさんたちから諸々の連絡がくるのが結構いやで、それが毎年ちょっとずつ重なっていくうちにしんどさが身体に現れ始めて、あと一歩手前で心にガタが来る! と確信した時点で退職と、元々憧れていた事務職への転職を決意しました。たいした資格もなく、完全に未経験からのスタートで面接すら通してくれない企業は多かったですが、たまたま住んでいるマンションから数駅程度の距離で、資格の有無を問わない小さな会社の応募を見つけて、藁にもすがる思いで応募してみました。資格はないですが店舗の売上管理をしていたこともあってExcelはある程度触れること、趣味程度ではあるものの軽いイラストやレタッチができることをお話ししたところ、好意的に受け止めていただき、ほどなくして採用にありつけました。お給料は以前よりも下がりましたが年配の方が多い社内では逆にパソコン操作について尋ねられることも多く、業務もそれほど難しくないので精神的にとても楽になりました。サービス業から移ったことで平日休みの人の少ないレストランやショッピングモールからは無縁になりましたが、土日祝の固定休に加えささやかな夏期、冬期休暇もあり、大学を卒業して初めて、人と同じリズムでの休暇を味わえることになりました。だいぶ寄り道して書いてしまいましたが、そういうわけで転職してから初めての年末年始に、私は久しぶりに実家に帰ることにしたのです。

 クリスマスを終えた28日のお昼にバスに乗り、主要駅に到着して実家方面の私鉄に乗り換えることにしました。初めて体験する帰省ラッシュの人ごみは思ったよりも酷く、年末なんてお構いなしの外国人やのんびりとお土産屋さんの前で立ち止まる家族をかきわけながら何とか私鉄の改札をくぐり、ちょうど来た急行列車に飛び乗りました。始発駅からぎゅうぎゅう詰めだった車内は私の故郷に近付くにつれじわじわと乗客が減って、終点にたどり着いた頃には私と、数人のお年寄りだけが乗っている状態になっていました。

 私の故郷である椚(くぬぎ)原市は別に際立ってド田舎というわけではないのですが、周囲にある県が比較的主要都市なこともあって、私を含むこの辺の地方出身者は大概は高校卒業と共に隣の県の大学に入学し、そしてそのまま就職するので地元に戻ってくることは滅多にありません。人によっては一時間以上かけて地元から大学に通い続ける猛者もたまにいますが、それでも途中から心が折れるのかバイト代を貯めるなり親に頼るなりして隣県に移住します。少なくとも弟はそうでした。

 駅の改札を出たところで、迎えに来てくれていた父の車に乗って実家へ向かいます。私の実家はちょっと小高い山の麓近くにあって、駅の周辺はそこそこ賑わっているもののそちら側に行くと周囲は田園とぼこぼこした車道と建築途中の家の枠組みと、古いマンションくらいしか視界に入らなくなってきます。家の敷地内にある木にたくさんなっている柿を見て、あれ収穫しないの? と父に尋ねたところ、『俺もお母さんもそろそろ脚立登るのが怖い歳だからなあ』と返ってきました。運転席でハンドルを握る父親の姿が、なんだか急に細く見えた気がしました。

 一年前にリフォームされた実家は、何度見ても以前の古びた雰囲気から一気に垢抜けた印象を受けます。木目風のドアを開けるとチリンチリンとウィンドベルの柔らかい音がして、暖房の熱気がむあっと無防備な顔にあたりました。区画整理が進んだこともあって実家周辺にも家やお店が建ち始め、それに伴って防犯を意識しはじめてリフォームに踏み切り、ついでならと室内のバリアフリー工事も行なったという経緯だそうですが、お金を使うことに消極的なうちの両親がそこまで思い切ったことに手をつけたのは、正直なところ来年に生まれてくる初孫の存在が大きいんだと思います。よく噂に聞く『いい人いないの?』『結婚しないの?』なんて一言も言ったことのない両親が弟夫婦からの知らせには大喜びし、出産準備のお金やら何やらいそいそ用意していることを知った時はびっくりしました。『まあ、そこそこに暮らしてくれればそれでいいよ』と言ってくれていた傍ら、やっぱり孫という存在に憧れていたのかな、と思って、なんだか申し訳なく思っています。

 リビングに入った時、大きなラグの中心に設置されたこたつでのんびりとケーキを食べている弟が目に入りました。お嫁さんと暮らしている隣県の家には今義父母が泊まりに来ていて、気を回して今年は一人で実家に帰ることにしたのだそうです。昔と変わらない様子の弟が、来年には父親になるのだと思うと不思議な気持ちになります。開け放されたキッチンでは母が夕食の準備をしており、私の帰宅に気付くと振り返って優しく笑ってくれました。キッチンのカウンターには、下拵えされた料理がずらっと並んでいて、歓迎されている雰囲気がつぶさに感じ取れました。私は十年以上、弟は三年ぶりの年末帰省です。子どもが二人とも揃って帰省する機会は久しぶりだったので、母もずいぶん張り切ったんだろうと思います。

 家族四人、久しぶりに全員で迎える年末年始でした。とはいえ特にやることもなく、母の手料理とみかんを食べながらだらだらと過ごし、学生の時ぶりに見た紅白歌合戦を横目に、こたつの四隅にそれぞれ座って年越しそばを食べました。歌合戦がトリに差し掛かったあたりで、父がふと蕎麦を啜る箸をとめて、弟に尋ねました。

「貴史、そういえば赤ちゃんの性別ってわかったのか」

「そうそう、もう五ヶ月よね? 忘れてたわ」

「ああ……。この前の検診では、女の子の可能性が高いって」

 私はその時テレビに映る歌手に気を取られていて、一瞬反応が遅れました。一秒くらい時が止まったような感覚があって、あれ? と変な違和感に周囲を見回しました。つんと張り詰めたような空気が掠めて、そしてすぐに元に戻りました。父は蕎麦を啜るのを再開し、母は柔らかい笑みをたたえて丼の中に浮かんでいるおあげを箸で二つに割きました。

「そっか。お祝いも、考えなきゃねえ」

 明らかに子供の誕生を祝う空気ではない何かの間があったのに、弟も両親も平然と蕎麦を口に運んでいました。間も無く歌合戦が終わって番組が切り替わり、することもなくなった私と弟は二階の各々の部屋に引っ込み、寝る準備をはじめました。学生時代からそのままになっている机と整えられたベッドのある自室に入り、持ってきたパジャマを取り出そうとボストンバッグのジッパーを開いて、着替えを緩衝材代わりにして持参した果実酒のことを思い出しました。思えば成人してからあまり両親とお酒を飲む機会もなかったので、年が明けてから寝る前に転職の話を肴に酌み交わそうと思っていたんです。

 果実酒の小瓶を片手に部屋を出て、薄暗く冷えた階段をゆっくり降りました。一階にはまだ明かりがついていて、両親はまだ起きているようでした。寝酒でもどうですか、と声をかけるつもりでしたが、階段を下まで降りたところで、両親の話し込む声が聞こえてきました。穏やかな会話とはかけ離れた怒気すら感じる張り詰めた声で、二人はこたつに入ったまま低い声で話し合っていました。

「やっぱり、念の為やった方がいいと思うわ」

「必要ないだろう。ここに住んでいるわけじゃないし、実際莉子は問題なかったじゃないか」

「万が一のことがあったら……! それに、気楽に泊まりに来て欲しいからってリフォームしたんでしょ……⁉︎」

 母の焦っている声を久しぶりに聞いたような気がします。その話題の芯には、なんとなく心当たりがありました。私がこの家に住んでいた頃、母はお正月の朝に機嫌を悪くすることがありました。片手に持っていた酒瓶を握り直し、足音を殺して階段を登り、自室に戻って眠りました。両親の話し合う声で、『そう言えばそんなことがあったな』程度に覚えている正月のしきたりのことを思い出しました。

 翌朝お雑煮のいい匂いで起きて階段を降りると、こたつの上には懐かしい漆のお重がきちんと用意されていました。続いて弟も起きてきて、四人全員が特に示し合わせることもなく仏間へ向かいます。

 つい先日帰省するまで忘れていたんですが、うちのお正月ってちょっと変なんです。例を挙げますね。うちの地方のお雑煮は味噌仕立てなんですが、しょっぱいお雑煮にお餅を入れて、それをそのまま食べると思いきやお餅だけを一旦外に出して、そこにあんこをかけて食べるんです。変ですよね。じゃあ最初からお雑煮に入れずにそのままあんこをかけたらいいじゃんって思うんですが、とにかくうちのお雑煮の隣には子供の頃からずっと小皿に入ったつぶあんがありました。昔は特に何とも思っていなかったんですが、大人になって他県の人と話をしていると、大なり小なり引かれます。

 あともう一つ。お正月の朝、ご先祖さまの神棚にみんなで手を合わせたあと、ちょっとした儀式のようなものをします。これもちょっと変です。順を追って説明したいと思います。


一、朝みんなが揃ったら、朝食前にご先祖さまの神棚に手を合わせます。

 神棚にしてはちょっと大きい、仏壇と同じくらいの神棚です。おじいちゃんやおばあちゃんの遺影が上の方に飾ってあって、そこにお菓子とかお酒をお供えして、二礼二拍手して一礼します。祀ってある神様の数だけ繰り返します。うちは三回です。


二、父があらかじめ家の各所に設置しておいたロウソクに火をつけに行きます。

 全ての場所に火をつけ終わるまで、他の家族はそのまま待ちます。


三、火をつけ終わったら、全員で玄関に向かい、横並びに座って土間に向かって四拍手して一礼します。

 ロウソクの火はそのままにしておきます。


四、キッチンに移動し、ロウソクに向かって四拍手一礼します。

 お雑煮を細かく切ったものが供えられています。次の場所に移動するときに、ロウソクの火を父が消します。


五、浴室に向かい、四拍手一礼してから、前日の夜にそのままにしておいた風呂の水になにかしらの人形を投げ入れます。

 投げ入れる人形は特に問わないようです。私の小さい頃は確かメルちゃん人形だったりバービーだったりしました。高校の最後の年はデッサン人形を投げました。人形だったらなんでもいいんじゃないかと思います。

 人形は夜お風呂に入る時に回収します。次の場所に移動する時に父がロウソクの火を消します。


六、もう一度玄関に戻り、横一列に並んで、深々と礼をします。

 ここが問題で、普通の礼ではありません。土下座よりも深い何か。まさに平伏のような感じで、額どころか顔全体がべったりと床につくくらいの礼をします。大体三十秒はじっとしています。小さい頃にみんなより先に顔を上げようとしたら、鬼のような形相をした母に後頭部を掴まれて顔を床に押し付けられたことがありました。それ以来この瞬間だけは苦手でした。毎年儀式をしている間は常に母が不機嫌なので、早く終わって欲しいといつも願っていました。

 礼が終わると、緊張の糸が解けたように両親がほっとした顔をして、父がロウソクの火を消します。その後やっと、おせちとお雑煮を食べることができます。小皿につぶあんがよそってあること以外は、特に変わりないお正月メニューだと思います。


七、お年玉を探します。

 一通り食事をしておなかいっぱいになったら、みんなで外に出てお年玉を探します。ちなみに、お金のお年玉は食事中に両親から渡してもらっています。お金じゃないんです。どう言ったらいいか分からないんですが、昔からあれを探す時は父に『そろそろお年玉を探しに行こう』と言われていたので、こちらでも便宜上お年玉ということにしておきます。

 庭のどこに落ちているかは毎回ランダムですが、分かりやすいので大抵は目敏い弟が先に見つけます。赤ちゃんの握りこぶしくらいの、とても綺麗な淡い緑色の石です。見つけたら触らずに母を呼ぶように言われているので間近で見たことはあまりないのですが、研磨されていないごつごつした見た目の石で、仄かに日光を通し、雲母? と言うのか、金箔を散りばめたようなキラキラした部分がところどころにありました。きっと磨けば宝石のようになる石なんだと思います。

 見つけると母を呼びに行き、母が厚手のハンカチでその石を包んで拾い上げ、どこかへ持っていきます。母が持っていくまでの間しかお目にかかれないので、私にとっては苦手な儀式の後のご褒美のような感覚でいました。大人になってからもよく天然石や宝石のアクセサリーを買いがちなのは、思えばその影響があるのかもしれませんね。サンタさんを信じていたように、どこかにいるご先祖さまが毎年くれるんだと小学生までは信じていましたが、小五のクリスマスの時に、目敏く疑り深い性分の弟がこっそり夜中まで起きて二階の窓から庭を見張り、両親が車からプレゼントを運び出している所を目撃して私に知らせてきた時に全てを察してしまいました。サンタさんといい節分の鬼といい、子供の頃に漠然と信じていた「そういう生き物」の正体は、大抵は親が正体なのだと知りました。結局『サンタさん』は中学生になってすぐに居なくなりましたが、『お年玉』は儀式の一環だからなのか、私が大学に進学して家を出る前年まで続きました。


 この七段階が、うちの実家の変わった行事です。読んでくださってありがとうございます。

 さて、それを踏まえて先日の話に戻ります。実は、今年のお正月は儀式をしなかったんです。仏間の神棚に向かって二礼二拍手一礼をして、何事も無かったかのようにリビングに戻っていく両親と弟を見て、なんだか肩透かしを食らった気分になりました。お餅を焼きにキッチンに向かった母を除いた三人でお重の中身を取り分けながら何気なく儀式の話を訊いてみると、今まで知らなかったことが分かりました。

 私が大学進学を機に実家を離れてからは、儀式は一度もしていないそうなんです。数年後に弟も大学に進学して、長い通学時間に耐えかねて家を出るまでの間、お正月はただ朝に神棚に向かって拝むだけだったんだそうです。勿論理由も尋ねたんですが、『毎年お年玉を投げ入れてくれていた自治体の方が亡くなったから』なんだそうです。てっきり親が仕込んでいたとばかり思っていた『お年玉』の石は、この辺の自治会長さんが担っていたという新事実が分かったんですね。十数年来の突然のネタばらしにびっくりしていると、焼けてぷっくり膨らんだお餅を大皿に盛って運んできた母が合流しました。話題に上がっていた儀式の話を振ると、母は少し居心地の悪そうな顔をしました。子供の頃、一番気になっていたことも尋ねました。あの時の石は、どこにしまってあるのか? って。

 母はお餅をそれぞれのお雑煮のお椀に投入しながら、あれは来年も使うために自治会の集まりがある時に回収されるのよ、と無表情で言いました。それで全てが腑に落ちましたが、儀式の時と同じような表情をしている母を見て、これ以上この話をするのはやめることにしました。母は別の地域からここに嫁いできた人なので、そういう地域行事的なものに抵抗があったのかもしれません。おせちとお酒をいただきながら、差し障りのない今の仕事の話や、弟の結婚後の話をして、和やかにお正月を過ごしました。母がポストに入った年賀状を取りにいくのを見ながら久しぶりの変な食べ方のお雑煮を試してみましたが、やっぱりお雑煮に入れずにあんこをかけたいな、と思ってしまいました。

 ご馳走をだらだらと食べながらテレビを見る幸せを三日間満喫し、五日の仕事始めに向けて一月三日の夜に実家を出ました。弟は四日に帰るのだそうで、身支度をしている間もずっとリビングのこたつで寝転がっていました。駅まで父に送ってもらい、お土産に持たせてもらったお菓子の袋を抱えつつガラガラの電車に乗りこみました。動き出した電車の外は昔と変わらず薄暗く、実家近くの山が黒々とした影になって遠ざかっていくのを眺めていて、ふとスマホの着信に気が付きました。ロックを解除してメッセージを確認すると、さっきコタツで寝転がっていた弟からでした。

『言うタイミングがなくて黙ってたんだけど』

 『なんのこと?』と返信すると、すぐに既読がつきました。多分続きを打ち込んでいる途中なんでしょう。寝転がりながら打ち込んでいるからなのか、続きが送られてきたのは電車が駅を四つほど通り過ぎた後でした。

 何度も話に出しますが、弟はとても疑り深い性格をしています。姉より先にサンタクロースの正体を看破したり、鬼のお面を被って玄関から入ってきた父を指さして笑ったり。そんな弟なので、実は私が家を出る三年前の正月、あるものの正体を見破るべく、かつてのクリスマスの時と同じように密かに行動したのだそうです。


 『お年玉』を庭に投げ入れているのは誰なのか、ということです。


 弟はその年の元旦、日の出の時間に起きて外に出て庭をぐるっと一周し、その時点で庭に『お年玉』がないことをあらかじめ確認してから自室に戻りました。そのまま全員が起きてくる時間まで窓から庭を見張り、何食わぬ顔で階下に降りて家族全員で儀式を終え、食事をしている間も頻繁にトイレに行くふりをして窓から外を見ていました。

 その間、家の前を通る人間は誰一人としていなかったのだそうです。ほどなくしてお年玉探しが始まり、弟は真っ先に飛び出して庭を確認しました。玄関に向かう石畳の上に、それは丁寧に置いてあったんだそうです。

『そんなはずないと思って次の年も同じ方法で見張ってみたんだけど、親父が言う自治会長なんて一度も訪ねてこなかった。でも儀式が終わって朝飯食ってから庭に出たら、目立つ場所に普通に置いてあるんだよ。怖くね?』

 メッセージを読んでいるうちに五駅目を通過し、みぞれのような雨が降り始めました。外は徐々に人家の明かりが増え、じわじわと都会に向かっているのが感じ取れます。インターネットブラウザを開いて、『椚原市 儀式』で試しに検索してみました。欲しい情報はなにもヒットせず、範囲を狭めて実家の住所付近のワードも入れてみたり、『風呂 人形』と打ち込んでみたり、色々試してみましたが目ぼしいものがヒットすることはなく、約一時間後、隣県の主要駅で電車を降りました。実家周辺とうってかわって賑やかな人混みとどこからともなく聞こえてくるお正月らしいBGMを聴きながら、なんとなく薄ら寒い気持ちで帰路につきました。

 きっと両親は何か知っているんでしょうが、訊く気にはなりませんでした。少なくとも母は嫌がっている様子でしたし、弟の話を信じるなら、父も嘘をついているのでしょう。

 じゃあ、誰が庭に石を投げ込んでいたんでしょうか。なぜお風呂に人形を投げ込むんでしょうか。私たち四人は、玄関の土間の、何に向かってあんなに必死に平伏していたんでしょうか。

 なぜ、正月にわざわざやらなきゃいけなかったんでしょうか。

 来年、弟がお嫁さんと赤ちゃんを連れて実家を訪ねて来たとして、その時はあの儀式が再開するのでしょうか。そもそも、なんの儀式だったんでしょうか。


 新年そうそうに変な話を投稿してしまい、読んでしまった方には申し訳ない気持ちですが、書いたらなんだかスッキリした気がします。決していわくがある土地ではないはずなんです。程よく田舎で、意外に観光地もそこそこありますし、賑やかな隣県に比べたら観光には少し物足りないかもしれないですが、リフレッシュしたい人にはおすすめの場所です。

 心当たりがあれば、ぜひお越しください。

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