棲処
青蛸
一〇二号室
「事故物件……ですか?」
不動産の職員は、一瞬だけ困ったような表情を浮かべた。
「はい。事故物件に住みたいんです」
職員は「少々お待ちください」とだけ言って、棚から資料を探し始めた。
「ええと……心理的瑕疵のある物件で、間違いないでしょうか」
「はい」
「……こちらになります」
職員は間取り図を広げる。
古いが、条件は悪くない。
「で、何があったんですか」
僕は単刀直入に聞いた。
「はい……以前の入居者の方が、室内で自殺されています」
「具体的には?」
「申し訳ありません。自殺、ということになっている、としか……規則でして」
職員はそこで言葉を切った。
「ここでお願いします」
僕はそう告げた。
実際に見てみるとアパートは思っていたより古びていた。
大家さんは六十代くらいのおばあちゃんだった。
「ここが一〇二号室です」
大家さんは鍵を開け、先に部屋に入った。
ギギギッとドアが軋む音がする。
「なーんにもありませんよ」
そう言って、室内を一通り見せる。
「間取りはこの通り。六畳一間で、風呂とトイレは別、あとベランダないけど服は風呂で乾燥できるから」
「築年数は経ってるけど、余程強い地震が来ない限り大丈夫だよ。」
窓の前で大家さんは一度立ち止まった。
「ああ、そうそうこの窓……」
「建付けが悪くてねぇ、開かないの、換気はあそこの換気扇でしてね」
大家さんは玄関のすぐ上の換気扇を指す。
僕は待ちきれず聞いてみることにした。
「ここ、事故物件ですけど、一体何があったんです?」
「昨年の七月だったかな、前の方が、玄関で首を吊ってしまってねぇ。理由は知らないよ。……残念だよ、えらいべっぴんさんやったのに。」
そう言うと、何事もなかったように玄関に向かう。
「マスターキーは持っとるから鍵失くしたら向かいの家に来てね、じゃあね」
「ありがとうございます。長く住むには、いい部屋ですよ」
僕は大家さんに微笑んで見送った。
その日は夜遅かったので、隣人挨拶は次の日にすることにした。
照明は古いもので、少し暖かみを帯びる光だった。
「案外悪くないな」そう思いながら、カップ麺を啜ろうとした時だった。
ギー、ギー
そんな音が玄関からした。
何かを引きずるような音。
そして、何かをはめる音。
ガタガタ、ガタガタッ
しばらく音が鳴り続き、「ああ、これがラップ音か、」と妙に納得した。
事故物件には珍しくないだろう。
僕は特に怖がることなく就寝した。
翌日、十時頃になって、とりあえず隣人の人に挨拶をすることにした。
三十代くらいのおじさんだった。
「あ、どうも、隣に引っ越してきた神田です。」
「あぁ、木村さんの部屋か、どうも村上です。」
「え、ご存知なんですか?」
村上さんは短い髭を撫でながら頷いた。
「あれが起こったあと、すぐ引っ越そうと思ったけど、婆さんに止められてな。家賃少なくてもいいからって、」
「でも、首吊りらしいじゃないですか。不気味じゃないんですか?」
そう言うと村上さんは顔をしかめた。
「え?木村さんは確か、一酸化炭素中毒の自殺だったはずだよ?」
棲処 青蛸 @aotako
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