第1話 非魔術師と対魔術捜査官
夕暮れの駅前は、いつものように賑わっていた。
学校帰りの学生たち、買い物袋を抱えた主婦、スーツ姿のサラリーマン。魔法が日常となったこの世界でも、人々の営みは変わらない。
明里誘凪は、人混みの中を歩きながら自分の左腕を見つめた。そこには何もない。魔力を持つ者が装着を義務付けられている腕輪――『
魔力を持つ者と持たざる者。その比率は、およそ六対四。
世界人口の約六割が魔力を持ち、残りの四割が持たない。誘凪は、その四割に属していた。
魔力を持つ者は、腕輪によって常に魔力を監視される。それは、魔力の暴走を防ぐためだ。過剰に魔力が溢れ出すと、人は理性を失い、魔物へと変貌してしまう。『異界融合』がもたらした力は、同時に危険でもあった。
だから、魔力を持つ誰もが腕輪を着けている。
誘凪は、その腕輪すら必要ない程度の存在だった。
平均身長よりやや高い背丈。ほどよく鍛えられた身体。一見すれば、魔力を持っていてもおかしくないように見える。だが、彼の内には何もない。魔力という力が、まったく宿っていない。
それでも、諦めたわけではなかった。
魔力がないなら、身体を鍛える。知恵を使う。何もできないわけじゃない――そう自分に言い聞かせてきた。
――ふと、視線の先に違和感を覚えた。
駅前の広場で、一人の男が立ち尽くしていた。痩せぎすで、目の焦点が合っていない。両手をだらりと垂らし、ただ虚空を見つめている。
その左腕に巻かれた腕輪が、淡く光っていた。
嫌な予感がした。
次の瞬間――腕輪が、警戒を示す真っ赤に染まった。
「――ッ!」
警報音が鳴り響く。周囲の人々が一斉に振り返った。
男の身体が震え、口から白い息が漏れる。背中から何かが突き出た。黒く、不気味な羽根。ぎらぎらと光る瞳。そして、口から――炎が溢れ出した。
「魔物化だ!」
「逃げろ!」
人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。半分魔物と化した男は、咆哮を上げながら炎を吐き出した。地面が焼け焦げ、煙が立ち上る。
誘凪の身体が、走り出していた。
逃げるためではない。立ち向かうためだ。
頭では分かっている。魔力を持たない自分に、魔物化した相手と戦える力はない。だが――それでも。
誰かが傷つくのを、ただ見ているわけにはいかなかった。
男によって折られた道路標識を拾い上げ、男に向かって振りかぶる。鍛えた腕に力を込める。金属の棒が風を切る。全力で叩きつけた――が、男の腕に弾かれた。
「ぐっ――!」
衝撃が腕に走る。次の瞬間、誘凪の身体は宙を舞い、地面に叩きつけられた。肺から空気が抜ける。痛みが全身を駆け巡った。
ダメだ。力が、足りない。
無力だ。また、無力なままだ。
それでも――諦めるわけにはいかない。
そのとき、小さな泣き声が聞こえた。
顔を上げると、広場の片隅で小さな女の子が座り込んでいた。恐怖で動けないのだ。そして、魔物化した男が、その方向へ歩き出した。
誘凪の身体が、再び動いた。
痛む身体を引きずり、女の子の前に立ちはだかる。両腕を広げ、必死に睨みつける。
魔力はない。力もない。だけど――この子を守ることはできる。
「来るんじゃねえ――!!」
魔物化した男が口を開く。炎が渦巻く。
――終わった、と思った瞬間。
風が吹いた。
いや、それは風ではなかった。
金色の髪が、誘凪の視界を横切った。
長身の女性が、誘凪と女の子の前に立っていた。黒いスーツに身を包み、右手には何かが輝いている。
すらりとした体躯。金色の髪が夕日に照らされて輝いている。整った顔立ちは、一瞬見惚れてしまうほど美しかった。
その胸元に輝く紋章――銀色の翼と聖杖が組み合わさった徽章が、彼女の身分を物語っている。
対魔術捜査官『アーケイン』。
魔術犯罪を取り締まる、国家直属の組織だ。
捜査官は、右手を掲げた。
「【
その凛とした声とともに、光が弾けた。魔法陣が空中に浮かび上がり、その中から白い影が飛び出す。
一角を持つ聖獣、白銀のユニコーン。
伝説の生物が、駅前の広場に降り立った。その角からは冷気が立ち上り、周囲の空気が凍てつく。
魔物化した男が炎を吐き出した。赤い炎が捜査官とユニコーンに向かって襲いかかる。
だが、ユニコーンは一角を振るった。
冷気が爆発的に広がり、炎を飲み込んだ。赤と白がぶつかり合い、蒸気が立ち上る。勢いが相殺され、炎は霧散した。
捜査官とユニコーンは、まるで一心同体のように動いた。
ユニコーンが男の注意を引き、左右に駆ける。男が炎を吐く。ユニコーンは軽やかに跳躍し、冷気で応戦する。
その隙に、捜査官が男の背後に回り込んだ。
右手に構えられた銃口が、男に向けられる。
「J・スパイダー起動――《捕縛》」
引き金が引かれた。
銃口から、光の魔方陣が展開される。その中心から、無数の白い糸が放たれた。糸は生きているかのようにうねり、男の身体に絡みつく。
蜘蛛の糸が、男を包み込んでいく。
「ガァァァ――ッ!」
男が暴れるが、糸はさらに増えていく。やがて、全身を拘束され、男は地面に倒れ込んだ。炎が消え、羽根が縮んでいく。
魔物化が、沈静化していく。
誘凪は、その光景をただ見ているしかなかった。
圧倒的だった。魔力を持つ者の、戦いの力。
そのとき――男が最後の抵抗として、周囲に炎を撒き散らした。
誘凪の方向にも、炎の玉が飛んできた。
「――ッ!」
避けられない。咄嗟に女の子を抱きしめ、背中を向ける。
だが、熱さは来なかった。
淡い光が、二人を包んでいた。薄い膜のような、小さな魔法の結界。
振り返ると、小さな女の子が両手を前に突き出していた。小さな手のひらから、魔力の光が溢れている。
「……っ」
女の子は、泣きながら結界を張っていた。
炎が結界に触れて、消えていく。
やがて、全てが静まった。
女の子は、小さな声で言った。
「お兄ちゃん、たすけてくれて、ありがとう……」
そして、不思議そうに首を傾げる。
「でも、どうして、魔法を使わないの……?」
誘凪の胸に、何かが突き刺さった。
こんな小さな子どもですら、魔力を持っている。
この小さな女の子が、自分を守った。
力なき自分を。
誘凪は、何も答えられなかった。
「君達、怪我はありませんか」
先程激戦を終えたばかりの捜査官が誘凪と女の子に声をかける。
彼女の使い魔であるユニコーンはその役目を終えて、小さな光となって消えていった。
「俺は大丈夫です」
「わたしも、だいじょうぶ……」
誘凪と女の子が答える。
「それはよかった。だけど君、非魔術師よね。どうしてすぐに逃げなかったの」
金髪の捜査官の鋭い視線が誘凪を貫く。
「それは……」
「今回はたまたま助かったけど、下手をしたら死んでいたかもしれないのよ!?」
捜査官は本気で一般市民である誘凪を心配していた。
「すみません……」
誘凪はそう言って、拳を握ることしかできなかった。
夕暮れの駅前に、サイレンの音が響いていた。
異界融合/不死身の白狐 夜明快祁 @shibasenri
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