第2話:エリートの塔と常識の解体

 都心のど真ん中にそびえ立つ、全面強化ガラス張りの超高層ビル。

 それが世界最強ギルド『銀翼』の本部、通称「シルバータワー」だ。

 廃棄区画の泥を拭う暇もなく、俺はシエルの高級魔導車に押し込まれ、この場違いな聖域へと連れてこられた。


「ちょっと、シエル! 説明してちょうだい。その浮浪者みたいな男は何なの?」


 豪華なエントランスを抜けるなり、金髪の女性魔導師が駆け寄ってきた。

 彼女もまた、メディアでよく見るAランク冒険者の一人だ。

 俺のボロボロの作業着と、使い古した軍手を見て、彼女は露骨に鼻を摘まむ。

 シエルは意に介さず、俺の腕を掴んだまま胸を張った。


「失礼ね。彼は私たちの命の恩人であり、今日からこのギルドの特別顧問になる人よ」


「は……? 特別顧問!? 冗談はやめて。ここは世界中のエリートが集まる場所なの。学歴も魔力計測スコアもないような人間が入れる場所じゃないわ」


「スコアなんて、あてにならないことを証明してくれたのが彼よ。いいから、開発局へ行くわ。あそこなら、彼の価値がすぐに分かる」


 シエルは反論を許さない勢いで、俺を地下の開発エリアへと引きずり込んでいく。

 エレベーターを降りると、そこは廃棄区画とは真逆の世界だった。


 最新の魔導演算装置が唸りを上げ、白衣を着た技術者たちが忙しなく動き回っている。

 壁一面には、高名な魔導工学の公式が並び、最先端の魔導武装が試験台に乗せられていた。


「所長! 例の『アイギス・シールド』の調整、まだ終わらないの?」


 シエルの呼びかけに、奥の実験室から眼鏡をかけた神経質そうな男が顔を出した。

 開発局長のヴィンセント。魔導工学の博士号を持つ、このギルドの頭脳だ。


「無茶を言わないでください、シエル様。あの盾に使用されている『魔竜の角』の加工が難航しているんです。分子結合が強固すぎて、現在の魔導レーザーでは切削面が歪んでしまう。あと一週間はかかります」


「それなら、ここに名案があるわ。カイ、やってみて」


 シエルが俺をヴィンセントの前に突き出した。

 ヴィンセントは俺を一瞥し、不快そうに眉を寄せた。


「……何ですか、そのゴミ拾いのような男は。シエル様、ここは遊び場ではありません。部外者を立ち入らせないでいただきたい」


「ゴミ拾いじゃないわ。彼は『黒金の魔竜』の角を、コンと叩いただけで完璧に切り分けたのよ」


「……は?」


 ヴィンセントが呆れたように笑う。

 無理もない。専門家であればあるほど、そんな話は荒唐無稽なデタラメに聞こえるはずだ。


 俺はため息をつき、作業台の上にある未完成のシールドに歩み寄った。

 そこには、俺が先ほど廃棄区画で切り出したはずの角の破片が、無惨にも焼け焦げた状態で置かれている。


「……ひどいもんだな。こんな雑な熱処理をしたら、素材の霊的伝導率がガタ落ちだぞ」


 俺の言葉に、周囲の技術者たちが一斉にこちらを睨みつけた。

 ヴィンセントの顔が怒りで赤くなる。


「貴様、今なんと言った!? これは最高出力の熱処理炉で計算されたプロセスだぞ。素人が口を出すな!」


「計算が間違ってるんだよ。この素材は『熱』で切るもんじゃない。特定の周波数で振動を与えて、共有結合の電子を励起れいきさせるのが正解だ。お前らが使ってる魔導レーザーは、出力こそ高いが、波長がバラバラで素材と干渉を起こしてる」


「何をデタラメを……! そんな理論、どの教科書にも載っていない!」


 載っているはずがない。

 これは俺が前世の地球で、極低温物理学と材料工学を組み合わせて編み出した、この世界には存在しない理論なのだから。

 俺は腰のベルトから、いつもの安物ナイフを取り出した。

 ヴィンセントたちが鼻で笑うのが分かった。

 そんなおもちゃで、最高硬度の魔導合金をどうにかできると思っているのか、という侮蔑の視線だ。


 俺は無視して、アイギス・シールドの接合部に指を置いた。

 魔力視を起動する。

 シールドの内部、金属結晶の格子欠陥がはっきりと浮かび上がる。

 この設計者は、防御力を高めるために「硬さ」ばかりを追求している。

 だが、真の防御とは「衝撃をいなす構造」にある。


「おい、そこを少しどけ。その出力を調整する」


 俺はヴィンセントを突き退け、コンソールの魔力制御パラメータを書き換え始めた。

 前世のプログラミング言語に近い感覚で、この世界の魔導数式を再構築していく。

 冗長な変数を削り、無駄なループ処理を破棄する。

 俺の指がキーを叩くたび、ディスプレイ上の魔力波形が、美しい正弦波へと収束していった。


「な、何をしている!? 勝手に数式をいじるな! システムが暴走するぞ!」


「落ち着けよ。暴走してたのは、お前の頭の方だ」


 書き換えを完了し、俺は実行キーを押した。

 直後、試験台のシールドが、淡い青白い光を放ち始めた。

 今までどんなにエネルギーを流しても、重苦しい唸り声を上げるだけだった装備が、まるで見違えるように静かになった。


「……そんな。魔力の流動抵抗が……ゼロに近い? ありえない、熱力学の第二法則に反している!」


 ヴィンセントが目を見開き、コンソールの数値に食い入る。

 俺は構わずに、ナイフの柄でシールドの縁を軽く叩いた。

 

 カン、という軽い音。

 その瞬間、アイギス・シールドの表面に、幾何学的な紋様が浮き出た。

 それは魔竜の角が持つ本来の特性を百パーセント引き出した、究極の「位相空間装甲」だった。

 

「……これで完成だ。試しに、誰か魔法を撃ってみろ」


 沈黙が流れる。

 誰もが、目の前で起きた光景が信じられず、動くことができない。

 痺れを切らしたシエルが、自身の右手に強烈な炎を纏わせた。


「いいわ、私が試してあげる。……『プロミネンス・バースト』!」


 至近距離から放たれた、Aランク級の攻撃魔法。

 まともに食らえばビルごと吹き飛ぶような熱量が、シールドを直撃する。


 だが、轟音も爆発も起きなかった。

 炎はシールドに触れた瞬間、まるで水滴が油の上を滑るように霧散し、そのまま背後の空気へと吸収されていったのだ。


「……これだけの魔法を、完全に無効化したというの?」


 シエルが驚愕に目を見開く。

 シールドの表面には、傷一つ付いていなかった。

 どころか、攻撃を受けた直後の方が、魔力の輝きが増している。


「衝撃のエネルギーを、そのままシールドのチャージに変換するように回路を組み直した。これで、攻撃を受ければ受けるほど防御力が増す仕様だ。解体屋の知恵にしちゃ、悪くないだろ?」


 俺はヴィンセントの方を向いた。

 彼は膝をつき、ディスプレイに表示された「再構築された数式」を凝視しながら、ぶつぶつと何かを呟いている。

 

「……天才だ。いや、これは魔法という概念そのものの再定義だ。我々が何十年もかけて築き上げてきた工学が、ゴミのようだ……」


 周囲の技術者たちも、言葉を失って立ち尽くしている。

 先ほどまでの蔑みの視線は、どこにもなかった。

 そこにあるのは、圧倒的な「格の違い」を見せつけられた者たちの、恐怖にも似た畏怖だった。


「これで分かったでしょ、ヴィンセント。彼をゴミ溜めに置いておくなんて、人類にとっての損失よ」


 シエルが誇らしげに胸を張る。お前が自慢してどうするんだ。

 彼女は俺の肩を強く叩き、周囲に宣言した。


「今日から、カイがこの開発局の、そして『銀翼』の特別技術顧問よ! 文句がある人は、今のシールド以上のものを作ってから言いなさい!」


 こうして、俺の肩書きは「底辺の解体屋」から「世界最強の技術顧問」へと、わずか一時間で跳ね上がった。

 だが、平穏な生活が遠のいていく感覚に、俺はただただ頭が痛くなるばかりだった。

 

 俺が求めているのは、静かな解体作業と、美味しい食事だけなのだが。

 目の前で、シエルが「次は私の杖を改造して!」とはしゃいでいる。

 どうやら、このわがままな天才お嬢様から逃れるのは、魔竜の角を解体するよりも難しそうだった。


(完)


――

カクヨムコンテスト短編に挑戦しております。

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