その血、デルモン◯産につき


 人生には、三つの「坂」があるという。

 上り坂。

 下り坂。

 そして、「まさか」だ。


 今、俺こと相模さがみケイは、その「まさか」の真っ只中で頭を抱えていた。

 物理的に。


「……なんでこうなった」


 場所は、ダンジョンのボス部屋の隅っこ。

 の陰だ。

 俺は体育座りをして、小さくなっていた。


 ミノタウロスを倒した直後の高揚感?

 そんなものは、とっくに消え失せた。

 残っているのは、強烈な「羞恥心」と、これからどうすればいいんだという「絶望感」だけだ。


 頭上には、相変わらず無機質なドローンが浮いている。

 赤いランプが点滅している。

 まだ配信中だ。


≪現在の同接数:25,000人≫

≪コメント:『英雄はどこだ?』『照れて隠れたのか?』『トイレか?』『倒したミノタウロスの後ろに隠れてるぞ』≫


「見つかってんじゃねーか!」


 俺は小声で叫んだ。

 逃げたい。

 今すぐ家に帰って、布団にくるまりたい。

 そしてネットの掲示板で『ダンジョンでプロポーズした痛い奴www』というスレが立っていないか確認して、立っていたら枕を濡らしたい。


 だが現実は、それを許してくれない。


ピロン♪


 あの忌まわしい電子音が、また脳内に響いた。


≪緊急クエスト発生≫

≪クエスト名:『英雄の品格』≫

≪達成条件:直後に現れる人物に対し、『不治の病を隠して戦う孤独な男』を演じること≫

≪小道具:アイテム『無限ケチャップ(演技用)』≫

≪成功報酬:スキル『苦痛耐性(大)』≫

≪失敗ペナルティ:レベルを1にリセット、および全裸でダンジョン入り口へ転送≫


「ペナルティが重すぎるだろ!!」


 俺は思わず立ち上がった。

 全裸転送!?

 社会的に殺す気か!

 というか、なんだよ『無限ケチャップ』って!

 スーパーで買えよ!

 だが文句を言っている暇はなかった。


カツ、カツ、カツ……。


 瓦礫の向こうから、足音が近づいてくる。

 軽やかで、しかし凛とした足音だ。


「……そこにいるのですか?」


 鈴を転がすような、透き通った声。

 現れたのは、一人の少女だった。


 息を呑むほどに美しい。

 それが俺の第一印象だった。

 月光のように輝く銀色の髪。

 深い湖のような碧眼。

 身につけているのは、傷だらけだが手入れの行き届いた軽鎧。

 その胸元には、今は亡き『聖王家』の紋章が刻まれている。


 有名人だ。

 シルヴィア・ル・クロワ。

 かつてこの国を治めていた王家の生き残りにして、現在はSランクパーティー『銀翼』に所属する姫騎士。

 通称、『亡国の戦乙女』。


(なんでそんな超大物がここに!?)


 俺はパニックになった。

 ここはFランク推奨エリアだぞ?

 Sランク冒険者が来るような場所じゃない!

 シルヴィアは俺を見つけると、ハッとした表情で駆け寄ってきた。


「見つけました……! 配信を見ました! あの一撃、見事でした!」


 その瞳は、キラキラと輝いている。

 憧れのアイドルを見つけたファンのようだ。


「え、あ、はい……どうも……」


 俺はしどろもどろになった。

 美少女に免疫がないのだ。

 というか、直視できない。眩しすぎる。


「ですがなぜ隠れているのです? 怪我は? ギルドの救援を呼びましょうか?」


 シルヴィアが心配そうに手を伸ばしてくる。

 優しい。

 なんていい子なんだ。

 このまま「実は足が震えて立てないんです」と正直に言えば、おんぶして帰ってくれるかもしれない。


 だが。


≪警告。クエスト『英雄の品格』進行中≫

≪ターゲット接近。残り時間5秒≫

≪演技を開始してください。さもなくば、全裸です≫


(くそったれぇぇぇ!)


 システムという名の悪魔が、俺の耳元で囁く。

 やるしかない。

 全裸で街中を歩くよりは、嘘つき呼ばわりされる方がマシだ!


 俺は震える手で、虚空からアイテムを取り出した。

 『無限ケチャップ(チューブ入り)』。

 見た目は完全に市販のケチャップだ。

 ラベルに「完熟トマト100%」って書いてある。


(これを……飲むのか……?)


 躊躇している時間はない。

 シルヴィアの手が、俺の肩に触れようとしている。


 ええい、ままよ!


 俺は素早くケチャップを口に含んだ。

 ぶちゅっ。

 濃厚な酸味と甘味が口いっぱいに広がる。

 うまい。

 オムライスが食べたくなる味だ。


 だが今はシリアスな場面だ。

 俺は必死に表情を作り、シルヴィアの手を振り払った。


「……触るな!」

「っ!?」


 シルヴィアが驚いて手を引っ込める。

 俺は苦悶の表情(酸っぱさに耐えている顔)で胸を押さえ、膝をついた。


「俺の体に触れるな……。この『呪い』が……伝染うつるぞ……」


 言い終わると同時に。

 俺は口に含んだケチャップを、盛大に吐き出した。


ブフォッ!


 真っ赤な液体が地面に散らばる。

 量が多い。

 加減を間違えた。

 これじゃ致死量だ。


「かはっ……げほっ……!」


 俺は口元を拭いながら、うずくまった。

 どうだ。

 これなら「病弱な英雄」に見えるだろう!

 心の中では「ごめんなさい食べ物を粗末にして! 農家の皆さんごめんなさい!」と、ジャンピング土下座しているが!


 数秒の沈黙。

 恐る恐る顔を上げると、シルヴィアが口元を押さえ、目を見開いていた。

 その顔色は、紙のように白い。


「そん……な……」


 彼女の声が震えている。


「その血の量……。それに、どす黒い……」


 いや、鮮やかな赤色だよ?

 完熟だからね。


「あなたは……まさか、命を削って……?」


 シルヴィアの瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。


「知っています。強力すぎるスキルは、代償として術者の生命力を奪うと……」


 シルヴィアは涙を拭おうともせず、俺を見つめた。


「あの一撃は、あなたの寿命を賭けていたのですね……!」


(えっ、そういう解釈?)


 俺は呆気にとられた。

 いや、確かにスキル説明にそんなことは書いてないけど、まあ、結果オーライか?


 その時、空中のドローンが俺の周りを旋回し始めた。

 コメント欄が加速する。


『うわああああ! 吐血したァァァ!』

『マジかよ……あんなに強いのに、体ボロボロなのかよ……』

『命を燃やして戦うとか、少年漫画かよ……』

『泣いた。スパチャ投げるわ』

『赤スパ(1万円)×50』


≪クエスト達成≫

≪報酬を獲得しました≫

≪称号『薄命の英雄(偽)』を獲得しました≫


((偽)ってつけるな!)


 とりあえずクエストはクリアしたらしい。

 俺は安堵のため息をつき、立ち上がろうとした。

 しかし。


「動き回っては駄目です!」


 ガシッ!

 シルヴィアが俺の肩を掴んだ。

 その力は、ゴリラ並みに強かった。

 さすがSランク。痛い。

 骨が軋む音がした。


「シ、シルヴィアさん……?」

「もう……もういいんです」


 彼女は涙を拭い、決意に満ちた瞳で俺を見つめた。

 その瞳の奥には、燃えるような使命感が宿っている。

 そして同時に、深い悲しみも。


(嫌な予感がする……)


「あなたは十分に戦いました。もう、一人で背負わなくていいんです」

「は、はあ……」


 シルヴィアは、ふっと笑った。

 だがその笑顔は、どこか寂しげだ。


「私……実は、ずっと探していたんです」


 彼女の声が、静かに響く。


「王家は滅び、国は分裂し、民は苦しんでいます。私一人では、何もできない。何も変えられない」


 シルヴィアの手が、小さく震えている。


「だから……全てを捧げられる『本物』の英雄を。民を、国を、そして私を……導いてくれる人を」


 その言葉には、重みがあった。

 背負ってきた責任の重さが、ひしひしと伝わってくる。


「今、見つけました」


 シルヴィアは俺の血(ケチャップ)で汚れた手を取り、自分の胸に当てた。

 心臓の鼓動が伝わってくる。

 早い。

 バクバクと、ドラムのように打っている。


「決めました。あなたのその命の灯火が消えるまで……私があなたを守る『盾』になります!」

「えっ」

「王家の名にかけて誓います! あなたを一人で死なせはしません! あなたの呪いも、運命も、私が共に背負います!」


 背景にバラの花が見えるような、ドラマチックな宣言だった。

 美しい。

 感動的だ。

 相手がケチャップまみれの詐欺師でなければ。


「あ、いや、あの一応言っておくと、これ……」


 俺は言いかけた。

 これ、ケチャップです。

 舐めてみてください、美味しいですよ、と。


 だが。


≪警告。ネタばらし行動を検知≫

≪ペナルティ執行準備中:全裸転送まであと3秒≫

≪3……2……≫


「……っ!!」


 俺は言葉を飲み込んだ。

 全裸は嫌だ。

 社会的な死は、さっきプロポーズ宣言で味わったばかりだが、露出狂としての死はまた別ベクトルだ。


「……ありがとう。助かるよ」


 俺は、できる限りのイケボ(当社比)でそう言った。

 言うしかなかった。

 この嘘を、続けるしかなかった。


「はいっ! ケイ様!」


 シルヴィアが、花が咲いたような笑顔を見せる。

 可愛い。

 守りたい、この笑顔。

 でもこの笑顔を守るために、俺は一生トマトソース味の嘘をつき続けなきゃいけないのか?


「さあ、まずは治療です! 止血を!」


 シルヴィアは懐から高級そうなエリクサー(回復薬)と、純白のハンカチを取り出した。

 そして俺の口元についた赤い液体を、ハンカチで丁寧に拭き取った。


「……ん?」


 シルヴィアの手が止まる。

 彼女はハンカチについた赤い染みをじっと見つめ、そして鼻を近づけた。


(やばい! 匂いでバレる!)


 ケチャップ特有の、あの酸味の効いた香り。

 隠しようがない。

 俺は覚悟を決めた。

 終わった。

 詐欺罪で逮捕だ。

 いや、詐欺か? ロマンス詐欺? スキル詐欺?


 シルヴィアは真剣な表情で俺を見た。


「……甘酸っぱい香り」

「あ、はい……」

「そして、鼻を刺すような刺激臭……」

「ですね……」


 さあ、言え。

 それはデルモン○だと。

 カゴ○だと。

 ハイン○だと。


 シルヴィアはゴクリと喉を鳴らした。


「これは……伝説に聞く『竜の血(ドラゴンブラッド)』の香り……!」


「……はい?」


 俺は耳を疑った。


「間違いないわ。古い文献で読んだことがあります。古竜の血は、熟した果実のような芳醇な香りを放ち、しかし触れた者の肉体を内側から溶かす猛毒だと……!」


 彼女の瞳が、恐怖と畏敬の色に染まる。


「ケイ様……あなたは、体の中に竜の毒を飼っているのですか!? それを抑え込みながら戦っているというのですか!?」


 俺はゆっくりと瞬きをした。

 そして、静かに頷いた。


「……ああ。バレちまったか」


 肯定した。

 肯定するしかなかった。

 だって否定したら全裸だから。

 あと、あの純粋な瞳を曇らせたくなかったから。


「なんて……なんて壮絶な……!」

「うっ、ぐぅ……(罪悪感で胃が痛い)」

「大丈夫ですか!? 発作ですか!? 今すぐ地上へ戻りましょう! 私が運びます!」


 シルヴィアは華奢な体で俺を軽々と担ぎ上げた。

 お姫様抱っこだ。

 逆だけど。


「ちょ、恥ずかしい! 降ろして!」

「駄目です! 安静にしていてください! さあ、行きますよ!」


 タタッ!

 シルヴィアは風のような速さで走り出した。

 俺を抱えたまま。

 ドローンが追ってくる。


≪コメント:『お姫様抱っこwww』『ヒロイン力高いな』『竜の血とかマジかよ、設定盛すぎだろ』『応援するわ』≫


 視界の端で流れるコメントを見ながら、俺は遠い目をした。

 天井が回る。

 意識が遠のく。


 俺はただ妹の入院費を稼ぎたかっただけなのに。

 いつの間にか『竜の毒を宿し、余命わずかながら世界を救うために戦う、没落王女の守護者』になっていた。


 ……設定が重い。

 重すぎる。


「……誰か、助けてくれ」


 俺のつぶやきは、シルヴィアの「任せてください!」という頼もしい声にかき消された。


 こうして。

 俺と勘違い王女の、奇妙な逃避行(?)が幕を開けたのである。


 ちなみにこの後、ダンジョンの出口で待ち構えていたマスコミに対して、シルヴィアが「彼は竜の呪いと戦っています!」と大声で発表し、翌日の新聞の一面を飾ることになるのは、また別の話だ。


(完)

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俺のスキルは【死亡フラグ】~絶体絶命なセリフを吐くほどステータスが倍増するので、泣く泣く「ここは俺に任せて先に行け!」と叫び続けます 東影カドナ @Kadona

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