第一章 その4
「
怪物が消えた跡地である崩壊した体育館で、俺は彼女の名を叫んだ。傷だらけで地に横たわる彼女——その右腕は、あの日と同じように大きく損傷していた。
せめて頭と地面の間にハンカチを——そう思いその身体を抱き抱えた瞬間、
「……ここは、崩れるから危ないよ?」
「え? あ、えっと……。……だったらなおさら、ここに一人にはしておけないです」
俺がそう言うと、彼女は目を丸くして、それから小さく笑った。この身体では、これ以上大きくは笑えない、という様子だった。
「……先輩、あの怪物を倒してくれて、ありがとうございます」
「フフ、なんだか不思議……。別にお礼を言われるようなことじゃないよ。それに、倒したのは私一人の力でもないしね……」
その言葉で、俺はずっと疑問に思っていたことを口にする。
「……
「——あの怪物は? とは言わないんだね」
「っ‼︎」
彼女は真顔でそう言い、それから「なんてねっ」と笑った。
「……ここまで見られた以上、隠しておくのも難しいか。……わかった、君の質問に答えるよ。私たちが何者で、あの怪物が何なのか、ちゃんと説明する」
「——あの怪物は『ヒトキドリ』。人間を滅ぼすためにこの社会に潜んでいる、人を気取った怪物だよ。私たちは、その脅威から人類を守るために作られた対ヒトキドリ組織——『トリモチ』。あのヘリも、あの武器も、みんな組織のもの。昨日私を回収しに来たのも、組織の仲間」
「紅瑠璃先輩が、対ヒトキドリ組織……?」
衝撃的な情報に、息を詰める俺。そんな俺の
「そう。そして私は、そんなヒトキドリと人間の間に生まれた子供。ヒトキドリの血を宿し、その力を使える特異で危険な人間。……私ね、バケモノなんだ」
息を漏らす俺。紅瑠璃先輩はそう言って、二色の瞳をわずかに細めた。
自身もヒトキドリの血を引きながら、こんなにボロボロになってまでその化け物と戦うことを選んでいる彼女。
——そんな彼女のことを、俺はもっと知りたいと思った。
たとえそれが自身が殺される未来に繋がっていたとしても、彼女のそばにいたいと思った。
……なんと愚かな気持ちなんだろう。
そう自嘲している自分にさえ、俺はどこかで心地よさを感じていた。
——この気持ちの正体を、この時の俺は知らなかった。
* * *
——私は、生まれた時から化け物だった。
父親は人ではなく、人のふりをして社会に潜む人殺しの化け物——ヒトキドリだった。しかし、父はそのなかで母に出会い、人間である母を本当に好きになってしまったのだという。そうして二人は結婚、生まれた子供が私だった。
最初にこの話を聞いたのは、高校一年生の時。母が死んだ時だった。
全身に怒りが巡った。なんとも迷惑な話だと思った。両親の勝手な大恋愛のせいで、私は人とは違う、化け物としての一生を運命づけられたのだから。
父親は、「すまない」と言った。それが何に対するものなのか、聞き返すことはしなかった。きっと、父にも分からなかったと思う。
私は家を出た。高校から少し離れた場所で、一人暮らしを始めた。
一人暮らしを始めてしばらく経ったある日、偶然ヒトキドリが暴れる事件に巻き込まれた。銀行強盗のふりをして現れたヒトキドリは、その場にいた人間を次々と殺していった。
恐ろしかった。目の前で失われていく命、それを楽しんでいるかのように笑う化け物。けれど何よりも、私にもあの化け物と同じナニカが宿っているのだと思うと、たまらなく恐ろしかった。
そのヒトキドリはやがて、突入してきたトリモチによって駆除され、事件は銀行強盗ということで隠蔽された。
きっと父は知っていたのだろう。ヒトキドリと戦う彼ら——トリモチのことも。ヒトキドリが混ざっている以上、彼らに対して心休まらない日々を送ることになることも。
また一つ、あの時の謝罪の意味を知った瞬間だった。
私の高校生活は、灰色だった。最初の一年をどう過ごしたのか、ほとんど覚えていない。疎外感と孤独感。誰と話していても、本当の自分でない気がする。誰に対しても心を開けず、自分にも他人にも、嘘をついているような気がする。どこまでも続く陰鬱とした気分が日々の生活を支配していた。
——そんなある日、ヒトキドリによる大事件が起きた。突如現れた龍型のヒトキドリによって、一夜にして一つの町が消滅、多くの人の命が奪われたのだ。
その事件は、人々にヒトキドリの存在を知らしめるのに十分なインパクトがあった。
人々はヒトキドリの撲滅を望み、トリモチの活動はその勢いを増した。
私は世界を呪った。運命を呪った。この身を呪った。もはや、希望は見出せなかった。
目を開くと、私は学校の屋上のふちに立っていた。満月が綺麗な夜だった。
死のうとしているのだとわかった。恐怖はなかった。むしろ、安らかな気持ちだった。
ここから飛び降りて、この地獄を終わらせよう——そう思い、フェンスから手を離した瞬間だった。
「——あなたは、なんで死のうとしてるんですか?」
背後から声をかけられた。振り返ると、そこには一人の男子生徒が立っていた。目にかかりそうな前髪が重苦しく、立ち姿もナヨナヨとしたなんとも頼りない男の子だった。
「別に、なんでもいいでしょ? 君には関係ないことだよ」
そう強く言い捨てた。久しぶりに、大きな声を出した気がした。
「確かに、僕らには何の関係もない。ただ通う学校が同じなだけの二人の男女です。でも、だからこそ最後に聞かせて欲しい。あなたという人間が、何を思い、何を感じて、その命を終わらせようとしているのかを……」
不思議な目だった。そこには一切の焦りがなく、この状況に対して微塵も困惑していないようだった。一人の人間がこれから死のうとしているこの状況で、この男は本心で尋ねていた。だから私も、この世への置き土産のつもりで全てを話すことにした。
「——私はね、ヒトキドリの子供なの。ヒトキドリと人間の間に生まれた子供! この身にはヒトキドリの血が宿っていて、人を殺す力が使える。あなたにわかる? これまで出会ってきた友達、先生、目の前にいる誰とも、根本的に違うんだという疎外感! 決して理解し合えないという孤独感! いつ正体が発覚して、トリモチに命を狙われるようになるかも分からないという恐怖! それだけじゃない! 夢を見ることを奪われた苦しみ、失われた未来への希望、自分という存在の意味……、もうたくさんなんだよ……」
吐き出すだけ吐き出して、私は全身に不思議な感覚が宿ったのを感じた。私はすぐに、それを感謝だと思った。
「……ありがとう。最後に、あなたに聞いてもらえて良かった。人生の最後が、一人じゃなくて良かった……。じゃあね」
そうして、私は屋上から飛び降りた。
……凄まじい衝撃だった。これまで感じたことのない痛みが全身を包み、自分の骨が砕ける音がした。呼吸ができなくなり、視界が回転した。意識が混濁して、私はやがて目を閉じた。
……痛みが消えなかった。
私の意識は、消えずに残った。やがて、酷く乱れた呼吸音が聞こえた。
「な、んで……」
私は血溜まりのできた地面に拳を打ちつけた。徐々に、身体から痛みが減っていくのがわかった。大きな傷は塞がり、血溜まりはそれ以上広がることはなかった。
——私は死ねなかった。
大声で泣いた。自分でも、何が悲しいのか分からなかった。
本当は、こんなふうになりたいわけじゃなかった。私だって、普通に生きたかった。友達と遊んで、部活で仲間を作って、必死で勉強して、夢を追いかけたりしたかった。友達と笑って、時々喧嘩をして、気になる男の子の話に花を咲かせる——そんな普通の青春を送りたかった。
どこで間違えたのだろう。どうすれば良かったのだろう。もう私は、人生を諦めてしまったのに……。答えの分からないまま、私は生き延びてしまった。
ひたすら泣いた。泣くことをやめられなかった。このまま、ずっと泣いていたいと思った。
——ドンッ
ふと、横の方で音がした。何か、重いものが落ちてきたような音だった。
「驚いた……、あなたは本当に、ヒトキドリとのハーフなんですね」
そう言いながら立ち上がったのは、先ほどまで屋上にいたはずのあの男子生徒だった。
私の認識が正しければ、私が飛び降りてからまだ一分やそこらしか経っていない。四階の屋上から、昇降口と離れたこの場所に辿り着くには少し時間が足りない。そしてもう一つ。私が今聞いた音はなんだ? 目の前の男の子のズボンが砂まみれなのは何故だ? 仮にこの男の子も私と同じように飛び降りたのだとして、すぐに立ち上がって私を見下ろせているのは何故だ?
「あなたは、一体……?」
困惑する私の前で、男の子は月明かりに寂しそうな顔を反射させ、その背に尾のようなナニカを出現させた。
「僕は結己。ヒトになりたい、ヒトキドリです」
彼の言葉に、私は目を見開いた。
「……あなたは多分、相当強いヒトキドリの子供だ。簡単に死ぬことはできない。本当に死にたいなら、自分よりも強いヒトキドリに殺してもらった方がいいと思う……」
そう言って尾を揺らす男を見て、私は皮肉めいた笑みを浮かべた。
「……なに? 君になら殺せるっていうの?」
「——殺せます。僕はこう見えて、めちゃめちゃ強いですから」
屋上で私に尋ねてきた時と同じように、偽りのないまっすぐな表情で彼は答えた。それを見て、彼の言葉が真実だとわかった。
「……じゃあ話は早い。……殺してよ。今、ここで!」
私は、やけになったように叫んだ。一度死に損なった身、どうなってもよかった。
「——それはできません。あなたには、死ぬ前に生きてもらいます」
「……は?」
「僕に、ヒトを教えてほしい。……ヒトキドリは、ヒトに近づくほどに強くなる。僕は、ヒトを知りたいんだ」
呆気に取られる私の前に、彼はひざまずき手を差し出してきた。
「——僕と、友達になってください」
大真面目な顔をしてそう言う彼を見て、気づけば私は大笑いしていた。きっと、一年分の笑いがそこに凝縮されていた。
「友達? ヒトキドリのあなたと? あ〜はっは!」
突然笑い出した私を前に、彼は困惑しているようだった。けれど、私は笑いを止められなかった。
——ヒトキドリと友達。そんなこと想像したこともなかった。
——どうせ一度死に損なった身だ。ヒトキドリと友達になってみたって、構いはしない。
気づけば私は手をとり、彼の前に立っていた。
「いいよ、友達になろう。……私は
私がそう言うと、彼は初めて困ったような表情を見せた。彼は少し考えるように視線を左右させてから、思いついたように口を開いた。
「僕は、ゆうき。結ぶに
「結己……。いい名前だね」
私がそう言うと、彼は照れ臭そうに笑った。
そうして私は、結己と友達になった。
——私たちはやがて恋に落ちる。
ヒトキドリに恋をするなんて、結局私も母の子か。
そんな皮肉も言えるようになったある日、突然私たちの日々は終わりを迎える。
全てを滅ぼす最強のヒトキドリによって、終わりを迎える。
——これは、約束を果たすための戦い。
時間を巻き戻し、私は何度も戦った。何度も時間を巻き戻し、その度にあなたに恋をした。その度にあなたと誓い合った。
——そうして迎えた最後のループ。
今回失敗すれば、もう二度とやり直すことは出来ない。
二人で願った未来のために、全てを賭けて、私は戦う。
——やがて訪れるその日まで、私の想いは秘密のままに。
ヒトキドリ 富士月愛渡 @aito24moon
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