DEADLINE UNDEAD

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DEADLINE UNDEAD

 西暦20XX年。謎のウィルスにより世界人口の9割がゾンビと化した今、この日本に生き残った人類は全国で推定5000人にまで落ち込んだ。

 灰色の空に今日もサイレンと呻き声が混じって響く。街の通りには断末魔の叫びと肉を咀嚼する湿った音が溢れている。

 電気も水も不安定。人類の文明は崩壊したかに思われた。


 そんな状況下でも週刊誌『デッドライン』は創刊以来一度も休刊することなく、毎週月曜日に変わらず雑誌を発行し続けていた。

 配達先は全国に点在する避難シェルター37ヶ所。死が蔓延した世界においても人々の野次馬根性だけは生ける屍のごとく蠢いている。

 死線を越えて真実をあなたのもとへ。社訓を胸に安井翔は腐乱死体を掻き分けて、崩れかけた雑居ビルを目指して疾走した。

 呻き声をあげながら死者の群れ(通称:読者層ではない人たち)が迫っている。しかし安井に立ち止まる選択肢はない。


 ――今週の特集は『最新版・安全なゾンビ狩りスポットTOP10』だ。お前の担当は渋谷センター街。ゾンビ密度データと写真3枚、証言3人分用意しろ。


 ゾンビよりも心無い編集長の声が安井の脳裏に蘇る。

 根っから雑誌記者である安井にとって、腐乱死体に噛まれて死ぬことなど怖くもなんともなかった。死んだら楽になれるだけだ。しかし原稿を落としたら、編集長の説教は永劫に安井の魂を追いかけてくることだろう。

 終わりのない地獄。生きること自体が安井にとっての死線だった。


「あの、本当に取材ですか?」

 バリケードの向こうから怯えた目でこちらを見る若い女性、生存者・高橋さん(仮名・23歳)に、安井は真剣に頷いて見せる。

「はい。『デッドライン』の記者です。このエリアのゾンビ密度と、やつらを安全に狩れるスポットについて証言をいただきたいんです」

「……頭おかしい」

 確かに読者は激減した。しかし、いやむしろだからこそ、今はジャーナリズムの真価が問われる時代なのだ。それが『デッドライン』のモットー、つまり編集長の言い分だった。


 ゾンビの唸り声が近づいてくる。時計を見ると、締め切りまで残り15分。

「高橋さん、このエリアで一番安全にゾンビを狩れるスポットは?」

「あなた、ゾンビ狩りをレジャーか何かだと思ってるんですか?」

「とんでもない、サバイバル術ですよ。読者の皆さんが安全に食料を調達できるように!」

 退く気配のない安井にうんざりしたのか、高橋さんはため息をついて仕方なさそうに答えた。

「ユニクロの3階。屋上への階段が封鎖されてるから、追い詰められる心配がないです。あとマクドナルドの厨房。狭くて機動性が高い」

「素晴らしい!」

 安井は感激してメモを取った。やはり現場の声は貴重だ。


 その時、バリケードが音を立てて揺れた。ゾンビの群れが押し寄せているのだ。高橋さんが素早く踵を返して逃走すると、安井はそれを追い抜いて高橋さんの肩越しに迫りくるゾンビにカメラを向ける。

 走りながらとは思えないほど正確にピントを合わせ、シャッターを切った。

「高橋さん! この写真『ゾンビに囲まれるサバイバー』で掲載許可よろしいでしょうか!」

「嫌です!」

「そこをなんとか! 目線入れますから!」

「マスゴミ死ね!!」

 世界が終わる前から変わらないお馴染みの罵倒を残して駆け去る高橋さんと別れ、安井は更なる記事の素材を求めて渋谷駅前のスクランブル交差点を目指した。


 かつて世界一の交差点と呼ばれたその場所を埋め尽くすのは、今やゾンビの群れだった。光景としては以前と大差ないのが社畜根性に満ちた日本人の恐ろしいところである。

 ショッピングモールの奥、元フードコートの椅子に比較的おとなしいゾンビが一体座っていた。生前はサラリーマンだったと思しきスーツを着たそのゾンビに、安井は丁寧に名刺を差し出した。

「失礼、少しお時間よろしいですか? 『デッドライン』です。この地域のゾンビ密度に関してご意見を伺いたいのですが」

 ゾンビは濁った瞳を虚ろにさまよわせながら低く唸る。

「なるほど、人口過密により死後も労働環境への不満は残る、と」


 さらに質問を続けようとした安井を遮るように天井の一部が崩落し、サラリーマンゾンビは瓦礫に押し潰されて頭部を失ってしまった。

 見計らったかのように懐の衛星電話が鳴った。安井は舌打ちを押し殺して通話を繋げる。

「はい、編集長! 安井です!」

『おい原稿はどうなってる』

「はい、今あげたところです! すぐに送ります!」

『1秒も遅れるなよ。原稿を落とす記者には明日なんぞねえんだからな』

「はい、編集長!」

 一方的に切られた通話に安井のまだ動いている心臓の動悸がおさまらない。

 改めて思う。編集長は人でなしだ。いや、すでに世界には、かつて人間が自らに夢見た『人類』などというものは残っていないのかもしれなかった。


 もう時間がない。編集長の指示には証言が1人分足りていないが、安井は覚悟を決めた。最後の証言は「でっちあげ」だ。

 この終末世界において悠長にルールを守る生真面目さは死を招く。しかし締め切りだけは守り抜かなければ死ぬよりひどい目に遭う。それもまた真実なのだ。


 瓦礫を避けつつ、ノートPCを開く。どこかで爆発が起きて新たな火の手があがる。


 翌週の月曜日、滅亡寸前の世界で『デッドライン』はいつも通り発売された。

 ――死線を越えても守るべきものがある。記者安井翔、彼は締め切りに打ち勝ったのだ。


 あの日以来、安井は行方不明となっている。だが編集長はもとより編集部の誰も気に留めていなかった。よくあることだった。

「それでも輪転機はまわっている」

 1人でも読者がいる限り、編集長が生きている限り。世界が終わってさえも締め切りは終わらない。

 それが人類最後の業なのだった。

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