第2話



「吟遊詩人がなんで【ウリエル】の目に留まったんだ?」


 歩いていると、いきなりそんな話の本質を突いて来た。

 メリクは笑った。


「よく分かりません。

 ただ、俺の生きた時代に【エデン天災】という災厄が起きて、その時に自然と、不死者退治のようなことを過ごして旅をした時期があったんです」


「【エデン天災】?」


「はい。【次元の狭間】が開いて、エデンを異界の死の瘴気が覆ってしまったのです」


「ふーん。そんなことが起きたのか。

 ん? じゃあお前も魔術師か?」


「あ、はい……少しなら、不死者を封じる技も知っていましたから、あの時代はどこへ行っても不死者がエデン大陸中に溢れていて……自然と人から頼られるようなことになってしまったんですよね」


「なんだ、そうだったのか。

 しかしそんな災厄が起きていたとは。それが分かっていればもう少し対不死者の魔術研究をしておけば良かったな。

 俺はサンゴール王国を出てからは次元転移の魔術に嵌まってしまって、随分そっちの方は疎かになってしまった。

 人間の器では、研究したい分野にどうも時間が追いつかない。

 そういえばサンゴールはどうなったんだろう」


 メリクは問われて少しだけ、声を落とした。

 ラムセスは自分が生きたサンゴール時代よりも随分昔の時代に生きた魔術師だった。

「俺の時代は、大国でしたが、その【エデン天災】がきっかけで、不死者との戦いで国力を消費し……結局そのあとは……」


「そうか。滅んだのか」


 悪い話を聞かせてしまったかな……とメリクは思ったが、ラムセスの顔色は伺いしれない。

 するとラムセスの方が笑い声を聞かせて来た。


「なんでお前がそんな申し訳なさそうな顔をするんだよ。

 気にしてやしない。俺は別にサンゴールという国にさほど思い入れはないんだ。

 古臭い慣習に満ちた国だったし、生まれ育った国だったからそこにいただけで、魅力は何にもない国だったよ。魔術という知識に無知だったのにも辟易したな」


「魔術に無知?」


「ああ。なんでそんなに驚く?」

「驚くも何も……俺の生きた時代ではサンゴールは魔術大国と呼ばれていましたよ」


 ラムセスが吹き出して大笑いしている。

「サンゴールが魔術大国? 嘘だろ!」


「いえ、エデンでも屈指の魔術の学府もありましたし……」

「へぇ~~~っ時代も変われば変わるもんだな! サンゴールに魔術の学校が出来たとは」


「サンゴールの魔術学院は、とても信頼性のあるものだと言われていました」


「そうなのか。俺の生きた時代では、魔術師なんか奇術師と一緒にされてたぞ。性格の明るい奴は貴族の夜会とかに呼ばれて魔術で火を起こしたり風を起こしたりして、喜ばれてたしな。

 そういう風に考えられない、暗い奴らはほとんど薬師扱いだ。魔術じゃなくほとんど薬品の精製とかしか仕事がなかった」


 メリクは首を傾げる。


 しかしリュティスの口ぶりからすると、サンゴール王家の魔法に対する矜持は相当なものだ。

 古代から継承されている、と彼は何度も口にしていた。

 サンゴールにとって、魔術というものは、そもそもが、王族にのみ特権として与えられていたものだったのかもしれない。

 生前のリュティスの自分の魔力と魔術知識に対する強烈な自信と矜持を思い出し、メリクはふと、そんな風に思った。


 彼の生きた時代はすでに魔術学院にも歴史があり、その実績はエデン大陸全土に知れ渡っていた。

 宮廷魔術師も人々に尊敬される位として見なされていた。






【下賤の分際で!】






 自分を見る時にリュティスの瞳に走る、怒り。苛立ち。


 メリクの出自の低さを、確かにリュティスは何度も口に出して責めたことがあった。

 つまるところあの人が自分を憎んだ最大の理由は、辺境出身の孤児の平民が当然の様な顔で王宮に出入りしていた、そのことだったのだろうか。


 そして、能力者としてもメリクは忌むべき闇の術師だったから、尚更彼は憎んだ。

 平凡だったら馬鹿な子供だと、時には頭でも撫でてもらえたんだろうかといつか思った救いようのない考えを思い出して、小さくメリクは笑ってしまった。


 リュティスと自分の運命は、すでにどうにも出来ないところまで捻じ曲がり、歪み、冷え切っている。

 

 確かその関係性を差して、進んだところで二人の間には争う道しかないと、そんな風に言った人間がいた気がする。


 確かにそうだろう。

 だが、メリクはリュティスと戦う意思は無い。

 だから、もう、どうしようもないのだ。



 彼との関係は、ここで最果てを迎えた。



「俺も最初は貴族の夜会に呼ばれて、魔法を笑いものにされてたよ。

 中にはそうされるのを嫌うような矜持の高い奴もいたけどな。

 俺は貴族連中の度肝を抜いてやるのは好きだったから、色んな魔術の操り方を研究して、披露してやったから、若い時からいいパトロンは付いてたんだ」


 自信満々に彼は言う。

 魔法を奇術まがいに披露して金を貰っていたなどと聞いたら、リュティスはどんな顔をするのだろうとふと考え、メリクはつい笑ってしまった。

 リュティスがメリクのその笑顔に気づいて気を良くしたことには、目の見えない彼は気づけなかった。


「俺の功績も後世まで評価されたようだな」


「ええ……それは、確かです。貴方の名前は俺でも知っていましたよ。魔術師ラムセス。王に仕えた宮廷魔術師として、貴方ほど名高い方はいない」


「もっと誉めていいぞ」


「はは……」


 宮廷魔術師ラムセス・バトーの名を知らない魔術師は、後の世ではサンゴールには存在しないだろう。

 実際彼が王に仕えたというのが、サンゴール王国において、魔術師の位を格段に押し上げたきっかけと言われている。


 奇術師まがいの話まではさすがにメリクも知らなかったが、彼の出現以前までは、魔術師には薬師としての仕事しか期待されていなかったという話は知っている。

 だから魔術学院でも、魔術と薬学は同じくらいに重んじられていた。

 魔術を知っていて薬学を知らない魔術師などいない、がサンゴールの魔術学院の教えの一つだった。


「貴方が収めた功績が、サンゴールの後の世の宮廷魔術師の価値を格段に上げたと、魔術学院の教典にまで載っています」


「うん。まぁ【エデン天災】ほどではないが、当時のサンゴールは、それまでほとんどなかった不死者の出現に、各地が脅かされ始めていたんだ。

【エデン天災】もそうだが、不死者の活動というのは、唐突に見えても実は周期がある。俺の時代はその、活動が活発化する周期に丁度当たったんだ。

 まぁだが俺ほどの人材がいなければサンゴール王国は不死者対策にはあと百年は遅れていた。

 剣を振るって威張ることしか能の無いサンゴールの騎士連中が不死者に対して何の手立ても持たないことに気づいてプライドがズタズタになるのに十年も掛からないだろうからな。

 俺がいなければ間違いなく、サンゴールはその時に国力の大半を失っていただろう」


 メリクは首を傾げる。


「けれど、サンゴール王家には有能な術師がいたのでは?」


「ああ【竜紋りゅうもん】所有者のことだろ」


 ラムセスも一応、そのことは知っていたらしい。


「俺のいた時代は数年前からそっちも不作だったんだ。

 あれは本来、異能として魔力の高い術者のことを差していたが、近年では身体の弱さの方に竜紋の作用が出ていてな。当時の王含め末端の王子まで、病弱な連中しかいなかったよ」


「そうなのですか」


「しかし当時の王には賢い王妃が嫁した。

 そのことが、サンゴールの命を長らえさせたんだよ。

 あの人以外に、俺をあれほど重用した人はいなかっただろうからな」


 魔術師ラムセスを重用したのは、その時代に生きた王妃だったという話は知っている。

 この国王夫妻は、そのほとんどが不仲であることが多かったサンゴール王家の歴史の中でも、特筆して夫婦仲が良かったと語られている。


 王は、賢く人格者であったこの王妃にあらゆる自分の補佐を任せていたようだ。


「だが、サンゴールが後に魔術で大成したということは、俺が国が出た後も、王は魔術師を重用してくれたのだろうな」


「はい」


「そうか。それは少し、いい話だ」


 穏やかな声で、ラムセスは言った。


「しかしお前もよくサンゴールのことを知っているな。もしかしてサンゴールの出身なのか?」

「あ、はい。いえ……生まれた場所は違うんですが、幼いころにサンゴール王国に移り住みました」

「そうなのか。生まれはどこだ?」

「リングレーです。尤も田舎の小さな村ですが」


「リングレーか! 懐かしいなぁ~~~」


「? 行かれたことがあるんですか?」


「行かれたことがあるも何も、国を出てから一番最初に向かったのがリングレーだった。 あそこの山岳地域に俺の秘密の研究所がある。

 あそこの山には貴重な魔石が埋もれていたから、それを使って様々な研究が出来た」


 宮廷魔術師ラムセス・バトーは【連立の業火ファナフレム】と【黄金の壁メルドノア】という二つの魔術を王に献上し国を去ったと言われているが、その後の消息はサンゴールにおいて、一切の謎だとされていた。


 リングレーにいたとあっさり本人の口から今聞かされて、メリクは笑ってしまった。


「リングレーにいらしたんですね。国では貴方を血眼になって探していたらしいですよ」

「国にいると自分のしたい研究が自由に出来なかったから煩わしかったんだ」


「他にはどんな場所に行かれたんですか?」


「色んなところに行ったよ。行くだけならタダだからな。そこで資料や材料を集めて、籠る研究室は幾つかだったが」


 本当に魔術研究に全てを捧げた人なんだなとメリクは感心する。

 確かに少し風変わりな言動の人だが、この人なら偉大な魔術師と言われて然るべきだろうと、彼は思った。


 魔術師は魔術を繰る者のことを差すのではない。

 魔術師は知識の探究者。

 一日欠かさずことも無く知識の探究に時間を費やす。

 そうしていることが魔術師のあるべき姿なのだ。


 メリクはサンゴール王国を出た後、魔術研究などは直後に止めてしまった。

 それまでの生活は、宮廷魔術師として朝起きて夜眠りにつくまで、文字通り一日中魔術に関することをしていたのにだ。


 その時、ふとメリクはそれまで忘れていた、劣化していた記憶の一つを思い出した。



(そうか。俺は宮廷魔術師時代は魔術研究をしていたんだ)



【天界セフィラ】に目覚めてから、全く空白になっていたそこが、突然埋まった気がした。


 そういえば各地方に派遣され、その地にある魔石を採掘したり、魔術的に見てその地が、どういう価値がある場所なのかを調査してまとめたり、そういう仕事をしていた気がする。

 

「では、晩年まで魔術研究をされた結果、こうして今【天界セフィラ】に招かれたのですね」


「ん? いや。晩年という晩年までは俺は生きなかったぞ。俺のこの姿は死んだ時の姿だし」


 メリクははおやと思った。

 てっきり尊大な口ぶりから随分な年上かと思っていたのだが、そういえば声は意外に若い印象だ。


 魔術師ラムセスは若くして死んだのだろうか?


「何歳くらいで亡くなられたんですか?」


「ん~~~。確か【連立の業火ファナフレム】を完成させた時が二十二くらいだったから……それから一年くらいで国を出たから……三十ちょっと手前か? そんくらいだな、多分」


「えっ⁉」


 メリクはさすがに驚いた。


 サンゴールでは魔術師ラムセスのその後は謎なので、中には賢者ラムセスは不老不死の術を完成させて千歳まで生きたなどというお伽噺まであるほどなのだ。


「そんなに早く亡くなったんですか?」

「うん。」

 あっさり頷いている。

「あの……これは全然理由もないただの興味で聞いているんですが……死んだ理由は、ちなみに……なぜ?」


「事故死。」


 これまたあっさり賢者は答えた。


「事故死?」


 思わず聞き返してしまう。


「そうなんだよ! 聞いてくれよ! 

 今思い出した。誰かに言いたかったんだよ! 俺の死んだ理由~!」


 ラムセスがメリクに駆け寄って来て、背中をばしばしと叩いた。

「カドゥナの方にアスネグロ洞窟って場所があってよ~」

「あ。はい知っています。内部に溶岩だまりがあるところですよね」

「そうだ! あそこ、特殊な洞窟でな。炎に特化した色んな貴重な研究材料があったんで、俺の気に入りの採掘場所だったんだよ」

「はぁ……」

「そんであの日も、取りたい魔石があって、入ってったらいきなり見たこともないくらい巨大な火竜と遭遇してさ~~~~。

 いや~~~びっくりした。俺が見た中でもあのでかさは第一位だぜ」

「ではその火竜に?」

「ううん。その火竜に遭遇して、驚いて逃げてた途中に崖から足滑らせて下のマグマの中に落ちて死んだ」

 メリクは見えない目だったが、両の目を丸くしてぽかん……としてしまった。


「もう死んだ! って思ったよなあの足滑らせた瞬間。

 いや実際死んだんだけどさあそこで」


 別にメリク自身、サンゴール王国で神格化されている賢者ラムセス・バトーに特別な思い入れがあったわけではないが、なんとなく何故かその終結にがっかりしてしまった。


 どうやら自覚は無かったが、人並みにこの人にはすごい理由で立派に死んで欲しかったなどという子供じみた理想が自分にもあったようだ。


「【ウリエル】はその時、俺がそこに残してた護符で俺を見つけたらしいぜ。

 それ、炎の威力を高める護符だったんだけどな。火竜に遭遇した時に意味ねーじゃねかっ! っていってどっかに投げ捨てたんだよ。

 捨てといて良かったよなぁ~。じゃないと俺遺体も燃えてるし魔力の宿る遺品すら皆無だったんじゃないか?

 あ! でも各地に俺の研究所があるからな。そこの遺品でも【ウリエル】の目に留まることは出来たか。俺って大天才だしな!

 あはは! まぁどっちでもいいやこうして今は蘇って第二の生の研究生活を謳歌してるし」


 明るく自分の死を語られて、ぽかんとした顔でメリクは言葉も無い。

 しかし、自分で聞いておいてなんなので、そ、そうですか……と一応適当な相槌は打っておいた。


「お前も随分若い姿だな。それ死んだ時の姿だろ?」

「はい」

「お前も事故死か?」

 勝手に事故死仲間にされてメリクはまた吹き出してしまった。


「さぁ……そうかもしれませんね。俺は、自分の死ぬ時の記憶はちょっと覚えてなくて」


「そうか。色んな奴がいるっていうからな。死んだ時の姿じゃない奴もいるし、俺みたいに鮮明に死んだ時の記憶を持ってる奴もいれば、全く前後覚えてない奴もいるっていうし」


「俺はそれみたいですね」


 風が吹いた。

 メリクは前方を見る。

 水の精霊と風の精霊が、宙を楽しげに駆け巡っている。


「綺麗な湖だな」


 ラムセスの声が聞こえる。


「ええ」


 メリクは相槌を打った。

 この精霊の気配を見れば、それは分かる。

 この湖には強い魔力が宿り、そして澱みの無い流れがあり、地脈に力が流れ込んでいる。

 

「水の底にも貴重な魔石があるんだ」


 ラムセスが少し前方で声を響かせる。

 

「エデン大陸は古の時代、多くの場所が水の底にあった。つまり時間が経ち、地層が這い出たり変動することによって地表にそれが表われる。

 俺達の手の届く場所に、出て来るって訳だ」


 水の音がした。


「つまり水の底には俺が今目に出来ない秘密が、きっとまだたくさん隠れているに違いない。

 何とかして海底に潜れる身体に変えてほしかったもんだ。どうせこんな精神体なんていう訳の分からない身体なんだから。

【四大天使】とかいうあいつらは水の底まで行けるらしいぞ。

 それは羨ましいよな」


 冷たい湖に手を差し込んで、ラムセスは言った。


「そのうちにそのあたりのことも魔術でなんとかしてやるんだ俺は。

 遣り方は、きっとあると思うんだよな。

 だって水にも精霊が宿るってことは、水に対して魔力的なアプローチが出来るということだろ。

 そうか……水の精霊をもっと研究したら何かが見えてくるかもしれんな。

 俺は長く火の精霊の研究をして来たからそのあたりが盲点だった。

 そもそも【連立の業火ファナフレム】が、

 火の精霊の、魔算学において、

 他の精霊に対し、必ず反発的行動を起こすというその特性を利用して、

 そこに他の精霊の力を吸収する闇の精霊と、理想的な数値で組ませた算術なんだ。

 

 この数値はすんごい膨大なデータから採取したんだぞ。

 でもこの時に俺は精霊法に従い規律を重んじて動く精霊達の中にも、例外的な動きをする変異があることを発見した。その中でも闇と雷の精霊の動きはなかなか奥が深いんだ。


 この両方とも、発露の際に異空に触れる性質があるからな。


 精霊界とも称されるべきこの異界はな、エデンやこの【天界セフィラ】のように「空間」ではなく、その空間に至るまでの「通路」、そのもの自体のことを差しているんだ。


 つまりこの湖で例えるならば海底の地層の奥が空間で、俺達が今いるこの地表も空間で、水の中にのみ精霊界が存在する。

 そこから出た時点で、精霊は本来、異空に出ているという解釈だ。

 魔力の発露はすでに彼らの変異の発端であり……」


 息継ぎも無く興奮気味に喋りまくっていたラムセスの前で魚が突然跳ね、彼の顔に水を当てた。水飛沫が上がる音がしたので、これは目の見えないメリクにも分かった。


「うっ!」


 突然思考を止められて、ラムセスは仰け反る。

 顔を拭って彼は立ち上がった。


「……水の中が精霊界なら今の小魚はどういう解釈になる?」


「さぁ……【唯眼の神イシュメル】ですかねぇ」


 ラムセスはメリクを振り返った。


【唯眼の神】といえば、魔術観において片目を代償に白雷の宿る腕で闇を裂き、神の死角となる異空の領域を手にした異能の神イシュメルのことである。


 彼は雷の原歌においてふんだんに唱えられる精霊だ。

 

 何気に呟いた自分の言葉に心地良い速さで返った相槌を、ラムセスはひどく気に入った。

 

 無論、魔術論を学んだ魔術師ならば知っていて当然の知識ではあるが、雷の精霊といえば他にも唱えるべき名はある。


 ここに原歌の精霊の名を出して来た青年の受け答えは、ラムセス好みのものだった。



「そうか。【イシュメル】か」



 ラムセスが楽しそうに笑っている。


「……?」


 何がそんなに面白かったのだろうとメリクは分からなかったが、そんな彼をラムセスは微笑ましそうに目を眇めて見ていた。

 それは初めて、自覚と共にラムセスがメリクという人間に興味を持った一瞬だったのである。

 そして興味を持ったその表れとして、ラムセスは尋ねていた。

 思い出したのだ。


「そうだ。そういえばまだお前の名前を聞いてなかった。名前は何ていうんだ?」


「名前ですか? メリクです」


 ラムセスは薄い色の瞳を瞬かせる。


「メリク……そうか。リングレー出身でメリクなら、知恵の女神サダルメリクから付けられた名前だな」


「? はい……」


 なんだろう、と首を傾げる。


「綺麗な名前だな。予想していたどの名前とも違かった」


 何故名前を予想するんだろうとかどんな名前を予想していたのかという疑問はあるものの、とりあえず誉められたと解釈したメリクは笑いながら返す。


「どうもありがとうございます」


「女の子みたいな名前だ」


 遠慮なく言われて、メリクは吹き出してしまった。


「ああ……そういえばそんな風に言われたこともありますね」

「サダルメリクか! いい名前だな。うん、お前らしいよ。合ってる」

「はぁ……」

 何故か上機嫌になったラムセスに、メリクは小首を傾げた。

 分からないような顔に、今度はラムセスが無遠慮に笑っている。


「……?」



「いや。ごめん。あれだな……メリクは笑うと可愛い顔だな」


 メリクは目を丸くした。

「え?」

 ぶくすーっとまた吹き出す音が聞こえる。


「初めて会った時はおまえ全然笑わなかったからさ。

 随分クールな奴だと思ってたけど。

 なんだ。笑うと可愛いな」


 何を言われたのかと自分の頭で反芻して、メリクはまた笑ってしまった。


「そうですか? ……そんなこと言われたこともありませんが……」

「なんだ。周りのヤツの見る目が無いな」


 あっさり、ラムセスはそんな風に言って、近くにやって来る。


「魔術師っていうのは陰に籠る奴が結構多いだろ。だから魔術師で笑顔が可愛い奴っていうのは結構珍しいんだぞ。貴重だ」


「はぁ……」


 魔術学院には穏やかな人間も、明るい人間もたくさんいたため、単なる個人差だと思うけど……とメリクは思ったが、口にはしなかった。

 ラムセスの生きた時代は、とにかく魔術師の総数自体が少なかったのである。


 でも、なんだかこの人の生きた時代の話は面白い、とメリクは思った。

 自分の知っているサンゴール王国と、全く違うからだ。


「貴方は、どちらの魔術師なんですか?」


「俺が陰に籠る魔術師に見えるのか?」


 呆れた声が返る。


「いえ、でも部屋に長い間籠ってたっていうから」


「部屋に籠ってたって俺の精神は常に! 健全だぞ。

 魔術師というと何かと危険思想に取り憑かれがちとか言われるが、そんなのは取り憑かれる奴が馬鹿なだけなんだよ」


「貴方は陽気な人なんですね」


「うん。陰気か陽気かでいうと俺は陽気だ」



(目が見えなくても、そのくらいのことは分かる)



 でもよく考えたら不思議なことだ。

 魔力と精霊の動きを辿ることしか出来ないはずの今の自分に、何故ラムセスが陽気だと分かるのだろう。

 声もある。

 受け答えも勿論あるだろう。


 それでも人は人を騙すものである。


 あるべき感覚を一つ失っているメリクをラムセスがどう侮ろうと、それは彼の意のままのはずだ。

 それでもメリクには、ラムセスの明るさが分かった。


【精霊】が、それを知っているということなのだろうか?


 彼の周囲にいる精霊は、確かに他とどこか違う気がした。

 漠然とした言い方にしかならないが、他と違う動きをしている。


 普通精霊は周囲の環境に対して動きを見せるが、ラムセスの周囲にいる精霊は、彼の見せる動きに対して反応しているようなのだ。


 彼の動きを追い、彼が笑ったりすると、ざわめく気配がする。


 それがもっと遠くの、周囲の精霊と全く違う動きをするため、メリクはその対比でラムセスの動きを追えるのだ。




「メリクはどっちなんだ?」




 メリクは微笑んだ。




「陰気か陽気かで言えば、俺は陰気です」



 ラムセスがおかしそうに声を立てて笑う。



 彼の周囲で、精霊達が瞬いたのが分かった。


【終】

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その翡翠き彷徨い【第79話 その名を讃えよ】 七海ポルカ @reeeeeen13

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