クイーン・オブ・データ

ニート主夫

漆黒の令嬢は、情報の海で微笑む

 帝都ホテル、鳳凰の間。

 日本経済を牽引する「桐生きりゅうグループ」と、名門「藍川あいかわ財閥」。その合併披露パーティは、皮肉にも“決裂”の舞台へと変貌していた。


 煌めくシャンデリアの下、壇上に立つ桐生陽介ようすけの声が響く。

「藍川莉央りお。君との婚約は、今この瞬間をもって破棄する!」


 会場が凍りつく。

 陽介の腕には、純白のドレスを纏ったインフルエンサー、桜井唯さくらい・ゆいがしなだれかかっていた。

 対する藍川莉央は、最前列でただ一人、静寂を保っている。漆黒のシャネルスーツに、真紅の扇子。そのコントラストは、彼女の孤高さを際立たせていた。


「理由は分かっているな? 機密情報の流出、およびインサイダー取引への関与……。すべて、この唯さんが突き止めてくれた!」


 スクリーンに映し出される捏造された証拠データ。会場からは軽蔑の囁きが漏れる。

「ひどい……」「名門の恥だな」


 しかし、莉央は眉一つ動かさない。

 ゆっくりと立ち上がり、手にした扇子をパチリと閉じた。


「陽介さん。……あなたの“眼”は、飾りですか?」


 凛とした低温の声が、ざわめきを切り裂く。


「な、なんだと……?」

「その程度の偽造データと、ハニートラップに踊らされる判断力。桐生のトップに立つには、あまりに未熟」

「き、貴様! 負け惜しみを!」


 陽介が激昂する横で、唯が勝ち誇ったように微笑む。

「莉央さん、往生際が悪いですぅ。警備員さん、お願いします!」


 屈強な男たちが莉央を取り囲む。だが、彼女は優雅に一礼してみせただけだった。


「結構ですわ。――どうぞ、その“薄汚れた蜜月”をお楽しみになって。代償は高くつきますけれど」


 背を向け、カツカツとヒールの音を響かせて去っていく。

 その背中は、追放される敗者ではなく、愚者を見限った女王のそれだった。


 数日後。地方都市にある藍川信託銀行、地下資料室。

 そこは「左遷先」として有名な、埃とカビの臭いが充満する墓場だった。


「藍川さん、これ全部整理しといてね。終わるまで帰れないよ」

 上司の雑な命令に、莉央は無言で頷く。


 足音が遠ざかり、静寂が訪れる。

 莉央は汚れた段ボールの山を見上げ――ふわりと、華やかに笑った。


「ふふ……完璧だわ。これで、誰の目も届かない」


 彼女はスーツの襟元から超小型インカムを取り出す。

『――状況はどうだ、莉央』

 スピーカーから聞こえるのは、父である藍川総帥の声。


「ええ、想定通りです。私が“悪役”として追放されたことで、桐生側の監視は解けました。……バカな陽介さんは、桜井唯という“スパイ”を懐に入れたまま、無防備に喜んでいるでしょうね」


 藍川財閥。その真の姿は、戦後から日本経済の裏側を監視し、腐敗を浄化する国家公認の「情報管理組織」である。

 莉央の左遷は、桐生グループ内に眠る、国家転覆レベルの「裏金データ」を守るための偽装工作だった。


 莉央は埃まみれの棚を動かし、壁面の隠しポートを露わにする。

 持ち込んだノートPCを接続すると、無機質な認証画面が浮かび上がった。


「旧帝国回線、接続確認。……桐生グループのメインサーバーへバックドアより侵入します」


 彼女の指が、ピアニストのように軽やかにキーボードを叩く。

 画面に並ぶのは、攻撃プログラム『フェンリル』の起動コード。


『手荒な真似になるな』

「腐った患部は、切除しなければ全身に回ります。……彼らが盗もうとしている“裏金データ”ごと、すべて焼き払います」


 同時刻、桐生グループ本社。


「しゃ、社長! システムが制御不能です! 何者かが外部から……!」

「なんだと!? 唯、どうなっているんだ!」


 陽介は錯乱していた。裏金データを引き出し、海外へ売却しようとした瞬間、すべてのアクセス権がロックされたのだ。

 隣にいた唯の顔色が青ざめる。


「嘘……私のクラッキングツールが弾かれた? まさか、あの回線は……」


 その時、役員室の巨大モニターが突如として切り替わる。

 ノイズの向こうに現れたのは、地下室にいるはずの莉央の姿だった。


『ごきげんよう、陽介さん。それに、産業スパイの桜井唯さん』


「り、莉央!? なぜお前が!」

「なんで……地下の資料室にいるはずじゃ!」


 画面の中の莉央は、冷徹な瞳で彼らを見下ろしている。


『あなたたちが触れようとした“裏金データ”。それは、この国の経済バランスを保つためのパンドラの箱。……それを私利私欲のために開けようとした罪は、重いですよ』


「ふざけるな! すぐに解除しろ!」

「解除? いいえ、私は“浄化”するのです」


 莉央がエンターキーを叩く。

 

 《 PROGRAM : FENRIR >>> EXECUTE 》

 《 DATA PURGE : START 》


 画面上のプログレスバーが一気に進む。

 裏金データはもちろん、桐生グループの顧客リスト、不正会計の証拠、そして桜井唯が盗み出そうとしていた機密情報までもが、電子の海へと消えていく。


「やめてぇ! 私の報酬が! スポンサーに殺される!」

 唯が絶叫し、床に崩れ落ちる。


「莉央……ま、待ってくれ! これを消されたら、会社は終わりだ! 俺たちは破滅だ!」

 陽介が画面に向かって手を伸ばす。


 だが、莉央は扇子で口元を隠し、哀れむように目を細めた。


『陽介さん。あなたは経営者失格です。情報を制する者が世界を制する時代に、目先の欲望とハニートラップに溺れた。――これが、あなたの選んだ未来です』


《 PURGE COMPLETE 》


 モニターがブラックアウトする。

 残されたのは、抜け殻になったサーバーと、全てを失った二人の男女だけだった。

 

 一ヶ月後。

 藍川莉央は、桐生グループの救済合併を主導する「特別統括責任者」として、六本木の最上階オフィスにいた。


 陽介は責任を取って退任、巨額の負債を抱え消息不明。

 唯は背後の犯罪組織に追われ、海外へ逃亡したという。


「……報告は以上です、莉央様」

「ご苦労さま」


 秘書を下がらせ、莉央は窓辺に立つ。

 東京の街が、朝日で白み始めていた。


 かつて愛した男を破滅させ、自らの手を汚して経済を守った。

 世間は彼女を「冷酷な魔女」「乗っ取り屋」と呼ぶだろう。


悪役ヴィラン……か」


 莉央はガラスに映る自分に向かって、自嘲気味に、けれど誇り高く微笑んだ。


「おあいにく様。悲劇のヒロインとして泣き寝入りするより、悪名の高い女王として君臨するほうが、私には似合っているわ」


 真紅の扇子を開き、昇る太陽を仰ぐ。

 情報の女王が支配する、新しい日本の夜明けがそこにあった。

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